天気 曇
昨日の続き。
コスモスの丘に隣接して、「こもれびの里」という農村を再現した一画がある。市内の小学生などが体験学習する場所でもあるらしい。完成したのは3年くらい前のこと。
国営昭和記念公園は、戦前は軍事産業(飛行機)の工場だった。戦後、米軍基地となり、そのために隣接の農地が基地となるときの「砂川闘争」は多摩の歴史に残るものだ。その、旧砂川村(今は立川市の北のはずれ)のあった所に、こもれびの里はある。
なぜ詳しいかというと、基地が返還された頃から10年ほど、近くの団地に住んでいた。そんな田園風景がまだ残っている頃で、春先には畑の土埃に悩まされたものだ。
なので、この一画は何だか懐かしい風景でもある。
返還後、平和利用のために・・と公園になり、一部は自衛隊と消防庁の災害救助の出動拠点になっている。なので、この広大な公園の唯一の欠点は、平日に行くと、時々訓練のヘリの轟音に悩まされる。運が悪いと(良いと?)頭上を飛行機が飛んだり。でも、災害のときのためなのだから文句は言えない。
いちめん、とまではいかないが、蕎麦畑は花が満開で眩しかった。
あとの写真は、デジブックにしてみました。
デジブック 『コスモスの丘のほとり』
風のなきときにも揺れて蕎麦の花 KUMI
昨日の続き。
コスモスの丘に隣接して、「こもれびの里」という農村を再現した一画がある。市内の小学生などが体験学習する場所でもあるらしい。完成したのは3年くらい前のこと。
国営昭和記念公園は、戦前は軍事産業(飛行機)の工場だった。戦後、米軍基地となり、そのために隣接の農地が基地となるときの「砂川闘争」は多摩の歴史に残るものだ。その、旧砂川村(今は立川市の北のはずれ)のあった所に、こもれびの里はある。
なぜ詳しいかというと、基地が返還された頃から10年ほど、近くの団地に住んでいた。そんな田園風景がまだ残っている頃で、春先には畑の土埃に悩まされたものだ。
なので、この一画は何だか懐かしい風景でもある。
返還後、平和利用のために・・と公園になり、一部は自衛隊と消防庁の災害救助の出動拠点になっている。なので、この広大な公園の唯一の欠点は、平日に行くと、時々訓練のヘリの轟音に悩まされる。運が悪いと(良いと?)頭上を飛行機が飛んだり。でも、災害のときのためなのだから文句は言えない。
いちめん、とまではいかないが、蕎麦畑は花が満開で眩しかった。
あとの写真は、デジブックにしてみました。
デジブック 『コスモスの丘のほとり』
風のなきときにも揺れて蕎麦の花 KUMI