KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

雲の峰

2018年07月30日 | 暮らしのつぶやき
天気 晴れたり曇ったり

台風は南九州まで行き、ウロウロしているという。前代未聞の台風なので台風一過とはいかず、昨日からこんな雲がウロウロしている。まさに季語で言う雲の峰。

朝の新聞に、アメリカの高校でキノコ雲をシンボルにしているところがある、という記事と写真に唖然とした。入道雲ですら忌まわしい原爆のキノコ雲を連想するという日本人には信じられない。あの原爆が、「強いアメリカの象徴」として生徒たちに教えられているとは・・

昨日、結社の8月号が届いたら、本誌とは別に小冊子が付いていた。


結社の会員に縁のある人が中学2年の時、市内で勤労動員中に被爆、そのときの体験をつぶさに書いたものだ。
体験記は日本人だからたくさん読んだり聞いたりしている。
でも、驚くのは、この体験記を書かれた方は、それを高校2年生・・つまり被爆した3年後に書いている、ということだ。
終戦直後、広島から千葉に引っ越して通学していた高校の文学部の冊子に掲載されたものだという。その冊子が残されていて、読みやすいように現代文に書き直したもの。16頁にも及ぶ詳細な体験には胸が詰まる。中学2年、といったら今は子供・・こんな体験をしたなんて・・
書かれた方は今86歳でご健在という。
その一部を・・


作者のお父は広島の陸軍幹部で、爆心地近くで亡くなる。中学1年の弟もまた、動員作業中に
爆心地近くで被爆、後日亡くなる。郊外の家も壊滅、たまたま女学校の動員作業の休日だった姉と母・妹2人はその瓦礫の中で助かった。

5月に、広島へ行ったばかり。なので読んでいて地名も地形も少し解る。その時、平和記念公園でたっぷり時間はあったものの、写真はあまり撮っていない。祷りの地なのだと思い、カメラを構えるのは気が引けた。
再掲になるけれど原爆資料館。


たくさんの中学・高校生の修学旅行者が溢れるほど居た。
同じ年代の人たちが何の罪もないのに命を絶たれた。それを思うと、この体験記は若い人に是非読んでもらいたい。
この冊子は複製可、なのでプリントして読んでくれる人に渡そうと思う。

kotonoha「原爆手記」で検索すると、そちらのHPから全文を読むことが出来ます。
HPは、結社のお仲間の舞台女優さんのものです。

薄れゆく戦の記憶雲の峰  KUMI
コメント (2)
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