KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

百年を生きる

2023年09月10日 | 俳句
天気 晴32℃

暑さが戻ったものの、寒暖差でアレルギー症状が出ていて(クシャミ連発)おまけに頭痛がして・・ちょっと熱っぽい。となれば、コロナ感染か、と心配になるのだが、幸いな?ことに先日コロナ患者を卒業したばかり、直後に感染はあり得ない。手許にあるカロナールを飲んで今日も静かに部屋籠り。明後日はやっと、延期ばかりしていた心臓の検査の日なので、今度は無事に受けたい。

こういう施設で入所者が亡くなるのは珍しいことではないが、自室で大往生する人は、よほど元気に過ごし老衰していく人に限っている。「施設での看取りもします」とはいえ、大抵は病気持ちなので入院して帰らない・・というのが普通だ。でも、同じ階の100歳のTさん、最近は部屋で寝ていることが多くなった・・と思ったら昨夜、亡くなったのだという。私の部屋からは離れているので気づかなかった。人生全う、の老衰だと思う。
合掌。

何しろ、一ヶ月くらい前には、まだ歩行器に掴って歩いていた。コロナの隔離が始まる頃から食堂に来なくなり、クラスター明けには部屋で寝たきりになっていたようだ。耳が異常に遠い人で、1年くらい前から「私、解らなくなってきたのよ、ご飯食べたかどうか」と大声で廊下で介護士さんと話していて、いよいよ認知症になったのか、と思った。でも、介護士の困るほどの認知症ではなかったようだ。
「息子が勝手にこんな所へ押し込めて、家へ帰ろうにもここが何処だか解らない」などと愚痴を大声で話す。私は大声を出すと心臓に負担がかかるので、彼女に事情を話して、殆ど会話はしなかった。それでも彼女の事情や生い立ちなど、そこら中に聞こえていた。
ともかく、耳の遠いこと以外、1年前までは元気で認知症もなくて、100歳人生も悪くない、と思わせる人だった。耳が遠いと周囲に迷惑はかけても、施設内でなら本人はさして困らない。2年前、一緒に入居した5歳下のご主人は入居直後のコロナ・クラスターで、入院はしたもののあっけなく亡くなってしまった。接種方法がよく解らないままで居て、ワクチンを全く打っていなかったという。元気なご主人で耳の遠いTさんの耳になっていたのに。

さて、認知症もなくて病気も殆どなく、稀有な100歳人生を全うした彼女、なぜ長寿を保てたのかというと・・私の推測では、本が好きでよく文庫本を開いていた。70代まで夫婦で縫製の仕事をしいていて、紳士服も作っていたとか。着ているものも自作のスカートやジャケットなど、とてもお洒落だった。時々、ラウンジで布を広げ何やら縫っていたり。話しかけたかったが、とにかく凄まじく大声でなくては通じない。話すには、彼女の耳元へ口を付けて会話せねば、というちょっと私にはする気になれない方法・・介護士さんは仕方なくやっていたけれど。筆談するほど仲良くなりたい方でもなかったし。

ということで、90歳過ぎても認知症にならないためには、やはり手先を動かし、頭を使わねば・・彼女からは、そんなことを学べた。でも、私は病気だらけで90歳まで生きる自信はない。他の90歳後半の人たちは・・殆どがそれなりに車椅子、それなりに認知症。

虫の声かもしれぬ耳鳴りの耳の底  KUMI
コメント (6)
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