KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

頑張らなくては・・

2023年09月13日 | 俳句
天気 晴34℃

また、暑さが戻ってきた。昨日、ムラサキシキブの一叢のある裏道をバス停まで行ったのだが、式部の実は、小さくて、あまり綺麗になっていなかった。いつもの年ならもっと見事になる筈が・・多分、猛暑続きと雨不足のせいだろう。
写真は、5年前のもの。

先月、主宰の最後の句集が届けられた。亡くなる前に稿は出来ていて、句は結社誌にのせたものが殆どのようだし、ご本人は無論、ご自分で出版する気になっていた。が、途中で倒れられて・・結局、ご主人の希望で、結社の有志が最後の仕上げをして、ご本人の希望の句集名として出版した。


「八月」は、主宰の誕生日。そして、日本列島は禱りの日々となる深い意味のある月。師は、東京本郷に生まれ、6歳で父上の実家のある栃木へ疎開、高校までを栃木で過ごしている。

疎開の子生きて斃れて終戦日  杏子 2021年の句。

この時はお元気だったから、斃れたのはご自分というよりも同年代のたくさんの疎開児童を指していたのだろう。私もその一人。
師と同行する吟行句会で房総に行ったことがあり、
「この近くが父の実家で、隣村へ疎開していたのですよ」と話したら
「貴女も疎開の子なのね」と言われた。師と姉は同じ年齢。私よりも記憶に残る疎開だったろうと思う。

運命のように、8月・そして戦争を題材とした句もたくさん残している。
コロナ隔離で暇でもあり、一気に読んでしまおうか、と読み始めたら、涙が溢れてくる。なので、ひとまずは閉じた。そして・・最近、時々開いては少しずつ読んでいる。
何しろ、昨日の続きの今日で、体力がひどく怠い上に気力までもが「かったるい」状態になっている。これではいけない、先生に叱られる。私はまだ歩ける足がある、頑張れ!!「俳句は人生の杖」なのだ。師の亡くなられたあと、少し気が緩んで「杖」をあまり使わなくなっていた。
コロナの後遺症?と思ってしまったかったるさを吹っ飛ばさねば。
でも、怠いです。でも頑張らなくちゃ。

コロナで句会の開けなかった2年間、東京例会の代わりに師の郵便指導があった。もう、句会へは行けない体調になっていたので、私には有難い企画だった。事務局へ5句を郵送して、主宰が丁寧に添削して返送された・3回企画されたうちの、一回目の返信。右側に私の句がある・・省略。3句に◎がついていた。ダメな2句には「独りよがりにならない」「理屈になっている」と赤字で。師の辛辣な批評ももう聞けない。


5句の中でいちばん良かった句を結社誌に載せてもらえた。

なほ生きるつもり傘寿の生ビール  KUMI(2021年)

もう、この2021年にはビールは飲まなくなっていたが。最近は、治療のためにアルコールは禁止、でもビールのひと口くらいは許される。ここは禁酒の施設ではないので、自室では自由に飲める。缶酎ハイの空き缶などよく見るけれど・・ひとりで飲むつもりにもなれない。
コメント (6)
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