KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

海が見たい

2019年08月03日 | 暮らしのつぶやき
天気 晴

相変わらずの猛暑日が続く。
明後日の右眼の手術が無事に終わるまでは無理せずに過ごそう、と決め、今日はとくに用もないので家に籠った。
今日はネットの「塗り絵」はしなかったが、かなり前に作った、今年になってから一度も見ていない海の風景。何だか、暑くなると海が見たくなる。子供の頃、庭の続きが海だった家で育ったせいかもしれない。山ばかりの見える家に住んでいて、富士山も見えるからそれはそれで満足しているけれど・・

最晩年の母は「海が見たい」とよく言っていた。海の見えない世田谷に住んでいた。
母は、ちょうど私の年齢くらいで亡くなった。当時としては平均寿命だったから、惜しい、という年齢ではなかった。進行性の不治の病で、「海が見たい」という口癖を知った長兄が家族旅行を計画してくれた。行く先は、母の故郷の房総半島の、東京湾側ではなく、太平洋側の鴨川。父母と子供たちと、孫たちの幾人か・・最初で最後の大家族旅行だった。旅館は、海岸にあって、砂浜を歩くことが出来た。
「いいねえ、海はいいねえ」と砂浜にしゃがんで、母は子供みたいに砂を手で掬ってはこぼしていた。
その翌年の冬、亡くなる何日か前、病院で看病に付き添っていた私に「もう一度海が見たいねえ」と呟いた。「行きましょう、歩けるようになったら」と答えたものの、歩けるようになる訳もなく・・

今、昼の倉本聡原作の帯ドラで「人にはそれぞれ原風景というものがある」と主人公に語らせている。
母にとって、育った故郷の海が「原風景」だったのだろうか。
私は生まれたのは東京で、終戦近くに母の実家を頼って房総へ疎開した。でも、東京の記憶はないから「原風景」は、やはりあの、海岸の家から見ていた海なのかもしれない。
とにかく、海が見たい。今のところ、去年の5月に行った宮島の風景が、最後に見た海になる。


この写真の向こうが四国になっていて(写真の陸地は島だと思う)、そこに中学3年から高校の途中まで住んだことがあった。連絡船の汽笛の聞こえる家だったから、海はすぐ近かった。いつでも海が見られる暮らしが、しきりに懐かしい・・というのも、人生の終わりが近いから?

朝凪や行きかふ船の著き水脈   KUMI

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3 コメント

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Unknown (ふきのとう)
2019-08-05 07:49:22
「庭の続きが海だった」私の場合は畑、または田んぼでした。川で泳ぎを覚えましたから海は苦手です。町内には海がありますのにね。ですから原風景は茶畑と青田とどこまでも舗装してない草の道でしょうか。その原風景は影を潜め今浦島の私です。
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Ichikoさん、琵琶湖はいいですね (KUMI)
2019-08-04 16:55:22
琵琶湖の広さは、海そのものですから、気分爽快になれますねえ。羨ましいこと。海は、台風などで暴れますけど、湖はあつその心配はありませんし。淡海の吟行をしてみたい、と夢見ていましたが・・
日本中、猛暑。無理をして草取りなどされても、熱中症になるより、生えていく草の庭を眺めるのも素敵です。庭なしの暮らし、今年は朝顔以外は花も育てず殺風景なベランダです。
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Unknown (Ichiko)
2019-08-04 12:44:33
右目の手術も無事終了しますようお祈り申し上げます。
KUMIさんも海の近くで成長されたんですね。私も海の近くでしたが、今はほとんど毎日琵琶湖を見ての生活です。日曜礼拝に行く教会の前は琵琶湖です。礼拝堂は二階、受付をしていると、湖上に釣り舟が浮かび、湖岸をランニングしたりサイクリングする人たちが行き交い、皆猛暑でも日常を生きているんだなと少し心強く感じました。私もいつもながらの日々ですが、庭が気になりつつあまりの暑さに、だんだんジャングルのようになるにまかせています。でもこの暑さの中、デュランタやビバーナムが咲き出し心が癒されています。
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