天気 曇
近所の学習塾の前にたくさんの葉牡丹が植えられている。毎年見ているが、種類も色々、茎立ちになって花が咲くまで楽しめる。今日もその横を通ってじっくりと眺めてきた。
昨日の暖かい(暖かかったらしい)陽気に比べて、また真冬に戻った暗い空。昨日から眼のアレルギーとドライアイがひどくなりそうで、先月もらった点眼薬を使い果たしていることに気づいた。
眼科は、徒歩数分のところ。天気の良い日を待って行こう、などという余裕はない。何しろ痒くて手で擦りたくなるので午前の早いうちに眼科へ。暗い、寒い日。運の悪いこと。
さて、以前、食事時間がいちばん楽しくないことを書いた。
(以下は、愚痴なので読みたくない人はスルー願います)
・・それは今も変わらない。「どうしようもないことはどうしようもない」には入らない、人間相手だからどうにかなる、ことではある。私は「修行」だと思って頑張っている。毎日のように職員が変るので、食事テーブルの席は一覧になっていて、替える訳にはいかない。一律に全員が同じ食事ではないし、どれだけ食べたかも観察する必要のある人が多いし。
それは解る。でも、入所した当時の所長は退職して今月から替わった。はっきり言えるのは、私の席をここに決めた前の所長は間違っていた。人の気持を解らないとは、福祉現場失格だ。
入所者の置かれた環境は自ら調査に来て、私が夫の一周忌前の寡婦と知っていた。「パートナーズ・ロス」にはならずに済んだが、見知らぬ夫婦と日に三度の食事を共にしてもう、平気だとでも思ったのだろうか。しかも私は、まさか夫婦で入所している人が居ることすら知らなかった。単身用の部屋しかない。だから、二部屋に別れて入居しているのだ。事前に「ご夫婦連れの方と、ご主人は別の施設に入っている方と一緒でも良いですか」と訊かれていたら、同席を断ったと思う。いきなり、連れていかれたのだ。
このご夫婦、私が話しかければ会話してくれるが、あちらさんからは、全く声をかけて来ないことが解った。なので、用事でもない限り今年になってからは「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」しか言わないことにした。無論、あちらさんが会話を要求したら話はするが、全くその気配もなく、夫婦だけで必要な話や、思い出話をしている。何も食堂へ来てから「〇子が明日会いに来るよ」などと話さなくても、自分たちの部屋で話してくださいよ。お互いの部屋で時間を過ごすことは殆どないようで、それも又、私には不可解だ。以前は朝のことを夕方まで覚えていたのに、今は2時間前のことも忘れている。でも、会話は普通に出来る。都合が悪いと「忘れちゃった」で済ませている。私は認知症の人との付き合いは苦手ではない。
ご主人は耳が遠いものの、頭はしっかりしていて歌が抜群に旨くて、カラオケの日(月2回くらい開いている)に演歌ではない欧米の歌を歌いたくて仕方ない。世界を股にかけたJapanese businessman」だったことが自慢のようだ。社交的な人ではあるけれど、私にはちょっと~、な人と解ってきた。理解力の全然なくなった奥様に、コロナのことや大統領選の話を懸命にしている。奥様素直にはいはい、と聞いてはいるがすぐに忘れる。ご主人の声が大きいので、厭でも会話はみな聞こえてしまう。
ご主人は、少しでも奥様と話をして何とか認知症を食い止めたいのだろう・・と思うことにした。それで少し、気が楽になってきた。食事時間も短く済ませるようにして、すぐに部屋へ帰る。隣に居たもう一人の女性はこの1週間前くらい体調悪くなり食事には来ない。それも私の気分を暗くすることでもあるが・・それは、書ける日が来たら書こうかとも思う。
一生続くのかと思うとうんざりもするが、何かの機会があれば席替えもあるかも・・って、小学校みたいな話。一人で食べるのは慣れているし苦ではないので、今の修行を続けよう。多分、施設では入所者のバランスも考えている、と最近は解ってきた。私に代わって別の人がここに座るよりは、私なら我慢出来る人間だと、信頼されているのかもしれないし。新しい所長は、知っていても無視を続けているし。このご時世で色々大変、きっと些細なこと、と無視しているのだろう。
ぎっしりと葉牡丹並べ子供塾 KUMI
近所の学習塾の前にたくさんの葉牡丹が植えられている。毎年見ているが、種類も色々、茎立ちになって花が咲くまで楽しめる。今日もその横を通ってじっくりと眺めてきた。
昨日の暖かい(暖かかったらしい)陽気に比べて、また真冬に戻った暗い空。昨日から眼のアレルギーとドライアイがひどくなりそうで、先月もらった点眼薬を使い果たしていることに気づいた。
眼科は、徒歩数分のところ。天気の良い日を待って行こう、などという余裕はない。何しろ痒くて手で擦りたくなるので午前の早いうちに眼科へ。暗い、寒い日。運の悪いこと。
さて、以前、食事時間がいちばん楽しくないことを書いた。
(以下は、愚痴なので読みたくない人はスルー願います)
・・それは今も変わらない。「どうしようもないことはどうしようもない」には入らない、人間相手だからどうにかなる、ことではある。私は「修行」だと思って頑張っている。毎日のように職員が変るので、食事テーブルの席は一覧になっていて、替える訳にはいかない。一律に全員が同じ食事ではないし、どれだけ食べたかも観察する必要のある人が多いし。
それは解る。でも、入所した当時の所長は退職して今月から替わった。はっきり言えるのは、私の席をここに決めた前の所長は間違っていた。人の気持を解らないとは、福祉現場失格だ。
入所者の置かれた環境は自ら調査に来て、私が夫の一周忌前の寡婦と知っていた。「パートナーズ・ロス」にはならずに済んだが、見知らぬ夫婦と日に三度の食事を共にしてもう、平気だとでも思ったのだろうか。しかも私は、まさか夫婦で入所している人が居ることすら知らなかった。単身用の部屋しかない。だから、二部屋に別れて入居しているのだ。事前に「ご夫婦連れの方と、ご主人は別の施設に入っている方と一緒でも良いですか」と訊かれていたら、同席を断ったと思う。いきなり、連れていかれたのだ。
このご夫婦、私が話しかければ会話してくれるが、あちらさんからは、全く声をかけて来ないことが解った。なので、用事でもない限り今年になってからは「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」しか言わないことにした。無論、あちらさんが会話を要求したら話はするが、全くその気配もなく、夫婦だけで必要な話や、思い出話をしている。何も食堂へ来てから「〇子が明日会いに来るよ」などと話さなくても、自分たちの部屋で話してくださいよ。お互いの部屋で時間を過ごすことは殆どないようで、それも又、私には不可解だ。以前は朝のことを夕方まで覚えていたのに、今は2時間前のことも忘れている。でも、会話は普通に出来る。都合が悪いと「忘れちゃった」で済ませている。私は認知症の人との付き合いは苦手ではない。
ご主人は耳が遠いものの、頭はしっかりしていて歌が抜群に旨くて、カラオケの日(月2回くらい開いている)に演歌ではない欧米の歌を歌いたくて仕方ない。世界を股にかけたJapanese businessman」だったことが自慢のようだ。社交的な人ではあるけれど、私にはちょっと~、な人と解ってきた。理解力の全然なくなった奥様に、コロナのことや大統領選の話を懸命にしている。奥様素直にはいはい、と聞いてはいるがすぐに忘れる。ご主人の声が大きいので、厭でも会話はみな聞こえてしまう。
ご主人は、少しでも奥様と話をして何とか認知症を食い止めたいのだろう・・と思うことにした。それで少し、気が楽になってきた。食事時間も短く済ませるようにして、すぐに部屋へ帰る。隣に居たもう一人の女性はこの1週間前くらい体調悪くなり食事には来ない。それも私の気分を暗くすることでもあるが・・それは、書ける日が来たら書こうかとも思う。
一生続くのかと思うとうんざりもするが、何かの機会があれば席替えもあるかも・・って、小学校みたいな話。一人で食べるのは慣れているし苦ではないので、今の修行を続けよう。多分、施設では入所者のバランスも考えている、と最近は解ってきた。私に代わって別の人がここに座るよりは、私なら我慢出来る人間だと、信頼されているのかもしれないし。新しい所長は、知っていても無視を続けているし。このご時世で色々大変、きっと些細なこと、と無視しているのだろう。
ぎっしりと葉牡丹並べ子供塾 KUMI
こどもたちの声や葉牡丹には癒されますね。
長文はスルーしないでしっかり読みました。
KUMIさんの心の内を想像します。
楽しい人間関係は人生を豊かにしてくれますが、相手が一人でも声や表情だけでも拒否したくなるって人はいるものです。
>見知らぬ夫婦と日に三度の食事を共にしてもう、平気だとでも思ったのだろうか。
せっかくの御馳走も味わう気にはならないでしょうね。
私が通っていた週一2時間の高齢者大学ですら、気が合わない人と並んだり、前後するのも避けていたくらいですから、一緒に生活していたら、かつ同席させられていたら苦痛でしょうね。
読ませていただいていて、勉強になります。
いつ顔を逢わせても、ほっとするような、楽しい雰囲気の人と生活したいものですね。
有難うございました。
私は人を相手の仕事が長かったので、割と人とは旨く付き合える方です。
ですから、このご夫婦も、個別であれば旨く付き合えると思います。
性格悪い人間ではなさそうですので。
でも、夫婦間でしか話さないことを他人の前で話すのは・・
我慢するのも結構辛いものです。
でも、食事時間以外では楽しく話せる「寡婦・寡夫」が居ますので。
職員が三交代ですし、介護の必要な人も席が優先で、そう簡単には動かせない、という事情もよく解ります。でも、夫婦にしか解らないことを他人の前で話す、って、考えられませんでしょう?
余程長い付き合いの気心知れた友人ならいざ知らず、と思います。教養とか肩書のある人って、庶民のことが解らなくなっているのでしょうか。