KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

心臓の写真です

2023年09月15日 | お散歩写真
天気 曇のち一時雷雨

心電図の写真なんて、究極のプライバシーなので他人に見せるものじゃない・・のかしらん?良く解らないけれど、三日前の検査の結果を聞きに行ったら渡してくれた。血液検査のデータと同じで、これも貴重なプライバシー? 解る人には解ってしまう、私のheartではありますが。私には見ただけではさっぱり解らない。
エコー検査の方は、パソコンの画面で見せてくれた。動いていました、しっかりと。で、結果は悪化せずにこの1年を現状維持しているので、年に3回の定期検査は1回にしましょう、ということになった。心臓は器械の助けを受けながら何とか動いているのに、この息切れと怠さは??
循環器のドクターも、やはりコロナの影響があるかもしれない、ということだった。でも、それを差し引いてもいつも目眩と動悸と息切れで徒歩の速度がとても遅くなっている。とはいえ検査の結果が悪くなっていないのだから、文句は言えないはずなのに・・

今日は診察が午前の最後の時刻だったので、終わってから、いつも助けてもらう友人とランチ。彼女は私よりずっと若いが、昨日、帯状疱疹のワクチンを接種したら少し熱が出てしまったという。滅多に副作用の発熱はないのだそうだ。私は、帯状疱疹のワクチンを受けようと思っていたら、罹ってしまった。
あれもこれも・・80歳越えてなお、検査したりワクチン打ったり、と命を保つ努力を続けているのは、日本人だけかもしれない。最近、日本人の長寿の秘密がだんだん解ってきたような。医療体制が世界でもかなり充実していることもあるが、高齢者への医療や予防医療はとても手厚い、と思う。私自身が今、こんなに色々と治療を受けたり投薬してくれたり、の至れり尽くせりの病気療養三昧だ。今日も「時々、こんなにお金かけてもらっていいのかしらん、と思うことが・・」と友人にもちょっと話してしまった。
だからといって、もう今の治療は全部やめる・・という選択をする訳でもなく。北欧のどこかの国では、80歳を過ぎたら病気を積極的に検査したり治療したりはしない、自然に任せる・・と聞いた。それを時々思い出す。
認知症になれば、こんな悩みを持つこともないのかしらん?その認知症の予防薬も健保承認されたし。必要なら投薬して欲しい、などと欲を出している矛盾。

水が流れている限りはきちんと音を打つ鹿(しし)威し。今の私と同じ?


県境をいま越えてきし稲光  KUMI
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空は秋めいた

2023年09月14日 | お散歩写真
天気 晴 32℃

朝の空。少しだけ秋めいた雲になってきた。
明日は心臓の検査結果を聞きに行かねばならないので、今日のうちにシャワーを浴びておかなくては・・と、目眩息切れのひどい状態で何とか朝一番・・9時に浴室へ。入浴前には、シャワーだけでも体温・血圧・酸素飽和度が正常でなければならない。普通は、いちいち介護士や人によっては看護師を呼んで計測する。私の場合は自己管理。酸素飽和度を測る機器も買ったので面倒がない。人に測ってもらっていると、かえって正常値ではなくなる。
こんなに体調悪いのに大丈夫?と思っても、数値化出来るものは全て正常だ。やっぱり、意味不明に体調が悪くなるというコロナの後遺症も少しはあるのかも。
いつも、台風の近い時の気象病の症状だと、血圧や心拍数に異常が出たりするのに・・。今日の数値は健康そのもののような。

もう一つ気になること。この夏の猛暑のせいもあり、昼間から眠くて眠くて・・
そんなことを言うと、大抵の人が「私も眠くて、昼寝ばかりよ。眠い時はちょっとでも眠った方がいいのよ」とおっしゃる。子供の時から昼寝が嫌いだった私には今や、昼寝=認知症予備軍に入った、としか思えない。食堂であちこちから「〇さん、目を覚まして。朝食ですよ」という声がする。食堂まで連れてきたものの、椅子に座ると又眠ってしまう人が何人か居る。朝と昼食が多い。
斜め前の席のSさん、同じ階なので彼女が入所した2年前からよく観察してきた。部屋にじっとしているのが苦手、とかで始終ラウンジの椅子に座り、人とおしゃべりをしたりTVを見たりしていたが・・
次第に寡黙になっていき、眠っている時間がどんどん増えてきて・・その前に、時計の読み方が解らなくなり、被害妄想を口にするようになり、エレベータ―の使い方を忘れ・・今は、ひたすら眠っている。なので、夜中に近い早朝に起きだして廊下を歩いていたり。

一瞬にして認知症になる訳ではない。だから、こんなにゆっくり観察したのは初めてのこと。認知症になっていくプロセスが良く解った。
昼間眠ってばかり居るということは、脳を休めているから、その間に認知機能が落ちていくとか。なので、昼間のレクでは、コロナ隔離も終ったので又、「頭の体操」とか「ゲーム」など、毎日、何かをしている。私は行く暇と元気があったら他のことをしたいので行かない。よく参加している人から
「KUMIさん、部屋で一人でばかり居るとボケるわよ、話くらいしないと・・」と言われた。確かに話くらいはしないと・と思いつつも私はブログを書いたり読んだりだけでも忙しい。俳句も考えねば・・今日の朝刊も読み終えていないし・・
と、人には言わないけれど。こう眠くて、時々は20分くらい居眠りしてしまう最近のことを思うと、本当に心配になる。今日はネット句会の句を作っていたら眠らなかった。やはり、脳を動かしていないと認知症は静かに近づいてくるものらしい。
そうそう、珈琲は認知症の防止にもなるそうだ。信じよう。

小説の頁を戻り読む夜長  KUMI
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頑張らなくては・・

2023年09月13日 | 俳句
天気 晴34℃

また、暑さが戻ってきた。昨日、ムラサキシキブの一叢のある裏道をバス停まで行ったのだが、式部の実は、小さくて、あまり綺麗になっていなかった。いつもの年ならもっと見事になる筈が・・多分、猛暑続きと雨不足のせいだろう。
写真は、5年前のもの。

先月、主宰の最後の句集が届けられた。亡くなる前に稿は出来ていて、句は結社誌にのせたものが殆どのようだし、ご本人は無論、ご自分で出版する気になっていた。が、途中で倒れられて・・結局、ご主人の希望で、結社の有志が最後の仕上げをして、ご本人の希望の句集名として出版した。


「八月」は、主宰の誕生日。そして、日本列島は禱りの日々となる深い意味のある月。師は、東京本郷に生まれ、6歳で父上の実家のある栃木へ疎開、高校までを栃木で過ごしている。

疎開の子生きて斃れて終戦日  杏子 2021年の句。

この時はお元気だったから、斃れたのはご自分というよりも同年代のたくさんの疎開児童を指していたのだろう。私もその一人。
師と同行する吟行句会で房総に行ったことがあり、
「この近くが父の実家で、隣村へ疎開していたのですよ」と話したら
「貴女も疎開の子なのね」と言われた。師と姉は同じ年齢。私よりも記憶に残る疎開だったろうと思う。

運命のように、8月・そして戦争を題材とした句もたくさん残している。
コロナ隔離で暇でもあり、一気に読んでしまおうか、と読み始めたら、涙が溢れてくる。なので、ひとまずは閉じた。そして・・最近、時々開いては少しずつ読んでいる。
何しろ、昨日の続きの今日で、体力がひどく怠い上に気力までもが「かったるい」状態になっている。これではいけない、先生に叱られる。私はまだ歩ける足がある、頑張れ!!「俳句は人生の杖」なのだ。師の亡くなられたあと、少し気が緩んで「杖」をあまり使わなくなっていた。
コロナの後遺症?と思ってしまったかったるさを吹っ飛ばさねば。
でも、怠いです。でも頑張らなくちゃ。

コロナで句会の開けなかった2年間、東京例会の代わりに師の郵便指導があった。もう、句会へは行けない体調になっていたので、私には有難い企画だった。事務局へ5句を郵送して、主宰が丁寧に添削して返送された・3回企画されたうちの、一回目の返信。右側に私の句がある・・省略。3句に◎がついていた。ダメな2句には「独りよがりにならない」「理屈になっている」と赤字で。師の辛辣な批評ももう聞けない。


5句の中でいちばん良かった句を結社誌に載せてもらえた。

なほ生きるつもり傘寿の生ビール  KUMI(2021年)

もう、この2021年にはビールは飲まなくなっていたが。最近は、治療のためにアルコールは禁止、でもビールのひと口くらいは許される。ここは禁酒の施設ではないので、自室では自由に飲める。缶酎ハイの空き缶などよく見るけれど・・ひとりで飲むつもりにもなれない。
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コロナ後遺症?まさか・・

2023年09月12日 | 俳句
天気 晴

写真は、どこかで撮った鶏頭。5年前の写真なのに覚えていない。

月初めに予約してあった心臓の検査、コロナで延期になり、やっと今日の午後の時間を予約出来た。超音波検査は心電図とは違い専門の検査師が時間をかけるのでなかなか予約が難しいらしい。ドクターの予約した日なら、午前の検査で結果は昼頃出るので通院も一回で済む。でも、今日の結果はドクターの外来診察日の3日後になってしまう。

心臓の検査は疲れるものでもないし、と、今日の通院は一人で出掛けた。バス停までの5分を歩けばあとはバスが病院の玄関前まで連れていってくれる。体調悪くても、バスに乗ってしまえば病院へは着くので安心。
しかし・・何でこんなに?と思うくらい、今日は体が思うように動かない。そのために検査するのだし・・と思いつつも、いつもの倍の体調の悪さ。天気は良いし猛暑でもないし、私には心地よいくらいの暑さなのに・・
レントゲン・心電図、と場所を替えての検査が済んだら、フラフラになってしまった。マスクを外せば少しは楽になる筈なのに、人の通らない所で水を飲みながらノーマスクでしばらく過ごしてみる。でも、あまり変わらない。早めに行ったのでエコー検査の予約時間まで30分くらい待った。待っている間に落ち付いてきた。

それでも食い意地は衰えないので、帰路のバスを降りたら、ヨーグルトを切らせてしまったのを思い出しスーパーには寄る。
果物売場で、粒の小さいシャインマスカットの安売りをしていた。一房780円(税込)ナリ。他に楽しみはない暮らし、果物くらいは贅沢したいからいつも、高くても買っていた。粒が小さくたって味が多分変わりない筈。買わないのはもったいない・・と、手を伸ばす。食欲のある間は大丈夫・・というのが私の信条で。で、すっごく怠いなあ、と思いつつゆっくりゆっくり歩いていたら、ふと、思い出した。これ、もしかしてコロナの後遺症?テレビで後遺症の話題をしていたとき、働き盛りの男性がコロナ完治後、体がかったるくてまともには歩けなくなった、という映像があった。今日の検査結果がどう出るのか解らないが、とにかく、いつもより足が動いてくれなくて心臓が完全にストライキを起こしているような・・。

夕食後、コロナ感染した(と思う)介護福祉士に「かったるくて、これ、コロナの後遺症かも」と聞いてみた。
「ほんと、体が重そうね。もしかしたらそうかも。でもすぐに治るから」と言ってはくれたけれど・・
心臓のせいだったら今日の怠さが一生続くことになる。
ま、何とか生きていきましょ。シャインマスカットは、小さくても美味しかったし。



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百年を生きる

2023年09月10日 | 俳句
天気 晴32℃

暑さが戻ったものの、寒暖差でアレルギー症状が出ていて(クシャミ連発)おまけに頭痛がして・・ちょっと熱っぽい。となれば、コロナ感染か、と心配になるのだが、幸いな?ことに先日コロナ患者を卒業したばかり、直後に感染はあり得ない。手許にあるカロナールを飲んで今日も静かに部屋籠り。明後日はやっと、延期ばかりしていた心臓の検査の日なので、今度は無事に受けたい。

こういう施設で入所者が亡くなるのは珍しいことではないが、自室で大往生する人は、よほど元気に過ごし老衰していく人に限っている。「施設での看取りもします」とはいえ、大抵は病気持ちなので入院して帰らない・・というのが普通だ。でも、同じ階の100歳のTさん、最近は部屋で寝ていることが多くなった・・と思ったら昨夜、亡くなったのだという。私の部屋からは離れているので気づかなかった。人生全う、の老衰だと思う。
合掌。

何しろ、一ヶ月くらい前には、まだ歩行器に掴って歩いていた。コロナの隔離が始まる頃から食堂に来なくなり、クラスター明けには部屋で寝たきりになっていたようだ。耳が異常に遠い人で、1年くらい前から「私、解らなくなってきたのよ、ご飯食べたかどうか」と大声で廊下で介護士さんと話していて、いよいよ認知症になったのか、と思った。でも、介護士の困るほどの認知症ではなかったようだ。
「息子が勝手にこんな所へ押し込めて、家へ帰ろうにもここが何処だか解らない」などと愚痴を大声で話す。私は大声を出すと心臓に負担がかかるので、彼女に事情を話して、殆ど会話はしなかった。それでも彼女の事情や生い立ちなど、そこら中に聞こえていた。
ともかく、耳の遠いこと以外、1年前までは元気で認知症もなくて、100歳人生も悪くない、と思わせる人だった。耳が遠いと周囲に迷惑はかけても、施設内でなら本人はさして困らない。2年前、一緒に入居した5歳下のご主人は入居直後のコロナ・クラスターで、入院はしたもののあっけなく亡くなってしまった。接種方法がよく解らないままで居て、ワクチンを全く打っていなかったという。元気なご主人で耳の遠いTさんの耳になっていたのに。

さて、認知症もなくて病気も殆どなく、稀有な100歳人生を全うした彼女、なぜ長寿を保てたのかというと・・私の推測では、本が好きでよく文庫本を開いていた。70代まで夫婦で縫製の仕事をしいていて、紳士服も作っていたとか。着ているものも自作のスカートやジャケットなど、とてもお洒落だった。時々、ラウンジで布を広げ何やら縫っていたり。話しかけたかったが、とにかく凄まじく大声でなくては通じない。話すには、彼女の耳元へ口を付けて会話せねば、というちょっと私にはする気になれない方法・・介護士さんは仕方なくやっていたけれど。筆談するほど仲良くなりたい方でもなかったし。

ということで、90歳過ぎても認知症にならないためには、やはり手先を動かし、頭を使わねば・・彼女からは、そんなことを学べた。でも、私は病気だらけで90歳まで生きる自信はない。他の90歳後半の人たちは・・殆どがそれなりに車椅子、それなりに認知症。

虫の声かもしれぬ耳鳴りの耳の底  KUMI
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