天気 晴のち曇
関東は、猛暑の夏は終ったそうだ。真夏日がじつに2ヶ月だったという。
毎日、同じ方角の空しか見られずうんざりしてきたが、ラウンジには感染していない人も居るので出るのは遠慮している。検査すればもうコロナ陰性かもしれないが、そこまでやってはくれないので、隔離終了後も5日間は要注意、なのだそうだ。ラウンジからならば、富士山も満月も見えたのに。
気付いたらツバメの姿が全く見えなくなっている。もう、帰ってしまったのだ。カレンダーがなくても鳥はよく知っている。その代り、たまに赤トンボ(秋茜)が一匹だけすーっと飛んでいることがある。以前の家からは「集団飛行」の赤トンボを見ることがあった。秋になると、山から下りてくるのだろう。今年は暑いからまだ町へは来ない?公園には来ているかもしれない。
赤トンボの写真が見つからないので、上はシジミ蝶の写真。今頃は、シジミ蝶がたくさん現れる散歩道だった。で、シジミ蝶だとばっかり思っていた写真、実は蛾の一種、と解りがっかり。
昨日は震災記念日、関東大震災から百年、なので、かなり色々な報道がされていた。そのことを書こうと思っていたが・・TVで活断層の話を見て、忘れていた「活断層」を思い出してしまった。このあたりも首都直下型地震の震源地候補の活断層がある。30年以内の確率30%だったかしらん?数字に弱いので自信はないが、南海トラフよりずっと低い確率ではある。マンションを買ったとき、活断層の上に建ってる・・と怖くなったけれど。
だから、100年前の地震の話どころじゃありませんよ、明日は我が身に・・の地震のことを考えなくちゃならない。ここに居る限りは新しい建物だし命は大丈夫、と思うものの、一緒に居る人たちのことを考えると、今、地震が起きたら、私は私一人で助かる道を探さねば・・人は頼れない。むしろ、重度の認知症の人を介護する立場になってしまうかも。
大震災の時、若い産婆・看護婦だった母は浅草の産院に住み込んでいたそうだ。
浅草も火事のおそれがあったので上野の山へ避難して、産婦と赤ちゃんとを世話したという。そんな母の地震の際の教訓。
「大揺れの時は頭に座布団のせること」上からの物の落下がいちばん怖いそうだ。その他色々と言っていたが、この「頭に座布団」が私は身についてしまっていて「机の下にもぐる」という小学生からの訓練の時も、頭に椅子の座布団か教科書を乗せていたものだ。大人になってからも、家で、座布団のない時はソファのクッションを頭に乗せて・・7階住まいは結構揺れたので、本棚の本が飛んでくるかもしれないし、天井の蛍光灯がぶっちぎれるかも・・と。
今の部屋は、ベッドの上で布団を被っていれば大丈夫。
こんな私の習慣が役に立つ日は来ないことを祈っている。
秋蝶の一巡りして選ぶ花 KUMI