涌谷黄金宮前地区は、涌谷町役場の北東約2.5kmのところ
涌谷町役場前から県道155号線を東へ、間も無く県道173号線となって江合川を涌谷大橋で左岸へ渡ります
道成りに約1km進むと国道346号線と合流して北上します
約2.3kmで国道右手に「わくや万葉の里天平ろまん館」があります
駐車場を利用させて頂きました
すぐ先に金色の鳥居です
縣社 黄金山神社の社號標です
わくや万葉の里天平ろまん館では、砂金取りが体験できます
黄金山産金遺跡の史跡標柱です
日本遺産の説明柱です
境内案内図です
南西側から長い参道を進みます
ニノ鳥居が見えて来ました
説明版です
国史跡 黄金山産金遺跡と黄金山神社
涌谷(陸奥国小田郡)は、日本で初めて金(砂金)の採れた所である。それは奈良時代、聖武天皇によって東大寺の大仏が建立されていた時のことである。
大仏は銅で鋳造した後鍍金する金銅仏であった。だがこの鍍金用の金が不足し、大仏の完成が危ぶまれていた。そこへ天平21(749)年、小田郡から日本で初めて産出した黄金900両(約13kg)が、陸奥国守百済王敬福によって献上された。この黄金によって大仏は無事完成へと導かれたのである。
このできごとは世の中を大きくわかせ、聖武天皇は年号を天平から天平感宝へと変え、大伴家持は初産金を祝して歌を詠み、万葉集に残した。
黄金産金遺跡は、発掘調査によって河川で砂金が採取できることが確認され、奈良時代の建物跡が1棟発見された。この建物は、産金を記念して建立された六角円堂と推定されており、天平産金の重要な関連遺跡として、昭和42年国史跡の指定を受けた。
一方黄金山神社の歴史は古く、初産金のあった天平21(749)年、砂金が採れた山に神社があったことを示す記録がある。この神社が涌谷の産金と深い関わりのある黄金山神社で、後に国の官社となった。その後砂金の枯渇とともに朽ちたが、江戸時代に沖安海によって再興され、現在も人々の信仰を集めている。
かつて砂金を採った地域は、本史跡を中心にした箟岳丘陵一帯と考えられている。今でもこの丘陵のあちこちの沢から採れるわずかな砂金が、古代の栄華を現代に伝えている。
「延喜式」神名帳(10世紀前半)黄金山神社は式内社という国から認められた国弊社となった。
黄金山神社の祭神
主神 天照皇大神
金山彦命
猿田彦命
黄金山神社の祭日
元旦祭 1月 1日 午前1時
祈念祭 2月17日
大祭 9月15日
新穀感謝祭11月23日
発掘調査
昭和32年、東北大学教授伊東信雄によって、黄金山神社周辺の発掘調査が行われた。
その結果、建物の基礎になった根石が4基発見された。根石の上に据えられた礎石は検出されなかったが、現在の神社拝殿に使われている10個の大きな礎石が、古代の建物から転用されたと考えられている。
史跡 黄金山産金遺跡の詳しい説明石碑です
参道を進みます
手水舎です
万葉歌碑と音声ガイダンスです
日本黄金始出地碑です
拝殿です
本殿です
次回は黄金山神社御神木スギ2本を紹介いたします
2023年4月4日午後1時35分訪問です
涌谷町役場前から県道155号線を東へ、間も無く県道173号線となって江合川を涌谷大橋で左岸へ渡ります
道成りに約1km進むと国道346号線と合流して北上します
約2.3kmで国道右手に「わくや万葉の里天平ろまん館」があります
駐車場を利用させて頂きました
すぐ先に金色の鳥居です
縣社 黄金山神社の社號標です
わくや万葉の里天平ろまん館では、砂金取りが体験できます
黄金山産金遺跡の史跡標柱です
日本遺産の説明柱です
境内案内図です
南西側から長い参道を進みます
ニノ鳥居が見えて来ました
説明版です
国史跡 黄金山産金遺跡と黄金山神社
涌谷(陸奥国小田郡)は、日本で初めて金(砂金)の採れた所である。それは奈良時代、聖武天皇によって東大寺の大仏が建立されていた時のことである。
大仏は銅で鋳造した後鍍金する金銅仏であった。だがこの鍍金用の金が不足し、大仏の完成が危ぶまれていた。そこへ天平21(749)年、小田郡から日本で初めて産出した黄金900両(約13kg)が、陸奥国守百済王敬福によって献上された。この黄金によって大仏は無事完成へと導かれたのである。
このできごとは世の中を大きくわかせ、聖武天皇は年号を天平から天平感宝へと変え、大伴家持は初産金を祝して歌を詠み、万葉集に残した。
黄金産金遺跡は、発掘調査によって河川で砂金が採取できることが確認され、奈良時代の建物跡が1棟発見された。この建物は、産金を記念して建立された六角円堂と推定されており、天平産金の重要な関連遺跡として、昭和42年国史跡の指定を受けた。
一方黄金山神社の歴史は古く、初産金のあった天平21(749)年、砂金が採れた山に神社があったことを示す記録がある。この神社が涌谷の産金と深い関わりのある黄金山神社で、後に国の官社となった。その後砂金の枯渇とともに朽ちたが、江戸時代に沖安海によって再興され、現在も人々の信仰を集めている。
かつて砂金を採った地域は、本史跡を中心にした箟岳丘陵一帯と考えられている。今でもこの丘陵のあちこちの沢から採れるわずかな砂金が、古代の栄華を現代に伝えている。
「延喜式」神名帳(10世紀前半)黄金山神社は式内社という国から認められた国弊社となった。
黄金山神社の祭神
主神 天照皇大神
金山彦命
猿田彦命
黄金山神社の祭日
元旦祭 1月 1日 午前1時
祈念祭 2月17日
大祭 9月15日
新穀感謝祭11月23日
発掘調査
昭和32年、東北大学教授伊東信雄によって、黄金山神社周辺の発掘調査が行われた。
その結果、建物の基礎になった根石が4基発見された。根石の上に据えられた礎石は検出されなかったが、現在の神社拝殿に使われている10個の大きな礎石が、古代の建物から転用されたと考えられている。
史跡 黄金山産金遺跡の詳しい説明石碑です
参道を進みます
手水舎です
万葉歌碑と音声ガイダンスです
日本黄金始出地碑です
拝殿です
本殿です
次回は黄金山神社御神木スギ2本を紹介いたします
2023年4月4日午後1時35分訪問です
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