ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

神奈川県伊勢原市、日向薬師宝城坊の二本杉です!!

2016-03-19 21:07:09 | 巨樹・大木
日向薬師は、伊勢原市役所の北西約6kmのところ

県道63号線から県道603号線へ日向川沿いの道を案内板に従い登ります

駐車場は、日向薬師から七沢温泉へ続く林道脇に有ります


駐車場から下るようにして、日向薬師宝城坊へ向かいます

重要文化財 日向薬師です

薬師堂は改修工事中です、弘法大師様の像はそのままになっています

宝城坊本堂説明版です
   国指定重要文化財  宝城坊本堂
     宝城坊は旧霊山寺の別当坊で、この本堂は霊山寺の本堂を引き継いだものである。霊山寺は、霊亀二
    年(716)の創建と伝えられる真言宗の古刹で、「吾妻鏡」の建久5年(1194)源頼朝参詣の記
    亊には「是行基菩薩建立、薬師如来霊場也」とあり、早くから崇敬を集めてきた様子が窺える。
     南北朝時代の暦応3年(1340)の銅鐘銘によると、この時に十二神将を勧請していること、また
    康暦2年(1380)には遠江国・三河国二か国の棟別をもって修造すべき綸旨が下されているので、
    この頃に本格的な本堂の造営があったと考えられる。
     その後、江戸時代には万治3年(1660)に幕府から丹沢の立木百本の寄進を得て修造が行われて
    おり、現本堂はこの時の再建と考えられている。柱や繋梁などの一部には前の本堂の古材が再利用され
    ている。
     本堂は寄棟造、茅葺の七間堂で南面んしている。内部は前方二間を土間床の外陣、後方三間を板敷の
    内陣で、内外陣境に中央五間は中敷居に引違格子戸を構えている。天井は内外陣とも側廻りの一間通り
    を化粧屋根裏、内側は竿縁天井となっている。
     この本堂は、数次にわたる政変を経て現在の姿となったもので、簡素ながら古材を再利用して中世的
    な華やかな外陣に架構に見るべきものがあり貴重である。
        平成九年一月                       伊勢原市教育委員会

伊勢原市指定重要文化財    史跡 宝城坊境内
                           指定日  昭和48年3月23日
     日向・宝城坊は一般的には「日向薬師」と呼ばれています。霊亀二年(716)に行基が開創したと
    いわれているのが霊山寺で、その中の一坊である宝城坊だけが現存しています。
     この霊山寺には、天暦六年(952)に村上天皇の発願により梵鐘が納められました。その後、歌人
    として有名の相模守 大江公貴の妻 相模が、眼病平癒を祈って参詣しています。また、仁平三年(1
    153)には鳥羽上皇の院宣で銅鐘が改鋳されています。建久五年(1194)には源頼朝が娘、大姫
    の病気治癒を祈って参詣し、その後は頼朝の妻北条政子、鎌倉公方足利基氏、小田原北条氏などが参詣
    しています。また、修験場としても有名で、文明十八年(1486)に本山派修験の棟梁、聖護院准后
    道興が奥州巡錫の際に逗留しています。
     境内中央には、国指定重要文化財の本堂、東側には市指定重要文化財の鐘堂、県指定重要文化財の二
    本杉、西側には国指定重要文化財を収蔵する宝殿があります。


東へ進むと、大杉が見えて来ます

県指定天然記念物 宝城坊の二本杉 石碑です、胸高周囲6.3mと7.8mの、共に巨木です




北西側から

鐘楼です

梵鐘です

説明版です


鐘楼の北側にある、古木の根元に虚空蔵菩薩が祀られています

説明版です


参道入り口には、撫で牛と獅子の狛犬?がありました

では次へ行きましょう
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神奈川県伊勢原市、高部屋神社の大欅です?!

2016-03-18 05:26:56 | 巨樹・大木
高部屋神社は、伊勢原市役所の東約1kmのところ

丸山城址公園の南側、国道246号線の向かい側に有ります

嘗ての丸山城の一部だったようです


国道246号線を、丸山城址公園の上面から跨道橋で超えます

南側にまわります、延喜式内 高部屋神社です

鳥居から拝殿への参道です

説明版が有ります
   延喜式内 高部屋神社
     鎮座地  神奈川県伊勢原市下糟屋2202 
     祭 神  三箇男命(住吉大神)・神倭伊波禮彦命・誉田別命・大鷦鷯命・息気長足姫命・磐姫之命
     由 緒
       当社は「延喜式神名帳」に記載されている相模国13座の一座で、大住郡127ヶ村の惣社と言わ
      れていた。創建年代は不詳なるも、紀元前660年とも言われている。
       当社の本宮(元宮)は、糟屋庄の奥津城(霊城)である。澁田山(澁田川の源流)に鎮座している 
      。澁田山は、古来より高部屋神社所有の飛地境内でもある。
       糟屋住吉の大神として、又の名を「大住大明神」と呼ばれ、武門・武士を始め万民の崇敬せられた
      る古社である。江戸中期頃までは、別名「糟屋八幡宮」と呼ばれ、名社の名を謳われた。古社たる由
      縁には「汐汲みの神事」があり、更に「雅楽面三面の古面」と「源朝臣・頼重施入の経巻」・「上杉
      定正が寄進の大般若経典」の伝来があり、境内の釣鐘堂には、至徳三年(1386年作・県重要文化
      財に指定)平秀憲が寄進の銅鐘が、今でも時を刻んでいる。
       当神社のこの地は、千鳥ヶ城と呼ばれる要害が後北条氏の滅亡まで、社地の続きに存在が認められ
      た。鎌倉時代に源頼朝の家人で、藤原鎌足・冬嗣の地を引く糟屋庄の地頭「糟屋藤太左兵衛尉有季」
      の館跡と言われていて、高部屋神社を守護神として社殿を造営した。
       室町時代に入ると、将軍・足利氏の家人団・上杉一族の関与があったと思われる。糟屋氏・上杉氏
      と関わった武士達の興亡をのせてきた高部屋神社も、後北条氏を迎え、相模国風土記稿に載る、天正
      九年(1581年)五月十日、八幡宮境内(高部屋神社)の三ヶ条、松山城主「上田能登守長則」の
      禁制(法度)が知られている。
       天文二十年(1551年)に、地頭「渡辺岩見守」が社殿を再興し、天正19年(1591年)に
      徳川家康から式内社の名社あることで、社領十石を寄進され、朱印状を頂いた。
       社殿は、正保四年(1647年)に本殿を再建されたが関東大震災で倒壊し、昭和四年に柱・彫刻
      正面扉等をそのまま生かし再建、拝殿は慶応元年(1865年)に再建され現在に至っている。
       尚、拝殿正面の頭上に、山岡鉄舟の筆による「高部屋神社」の社号額が掲げられている。

手水舎です


神木でしょうか、鳥居の側に注連縄の掛けられたイチョウです

鐘楼です

梵鐘です

神奈川県指定重要文化財説明版です

神楽殿です

拝殿です、屋根は茅葺です

本殿です、幣殿や玉垣は有りません

拝殿東側にも神木でしょうか、注連縄の掛けられたケヤキです

県道沿い鳥居の西側に境内社の八坂神社が有ります

注連縄の巻かれた大きなケヤキの切株があります、嘗ては幹回り5.5mあったとか



外形はしっかりしていてヒコバエがまだ生きている様ですが、中は空洞化しています

では、次へ行きましょう
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神奈川県伊勢原市、丸山城址公園です!!

2016-03-17 07:24:29 | 城跡・館跡・陣屋跡
丸山城址公園は、伊勢原市役所の北東約1kmのところ

国道246号線が切通になった部分にあります

公園化で、発掘調査等が行われています

城址公園の東側に駐車場が有ります

国道沿いの案内板です、後ろに見えるのが切通し部分です

丸山城跡公園入口です


説明版です
    丸山城址とその周辺
   丸山城址は、伊勢原市下糟屋地区の台地上に築かれた中世に城郭です。昭和60年度に実施された発掘調
  査により、大規模な堀や土塁の存在が確認され、現在まで区画整理事業などに伴い、複数回の発掘調査が実
  施されました。
   江戸時代末の地誌には、平安時代から鎌倉時代初期にこの地を支配した糟屋氏の居跡との伝承があります
  が、発掘調査の成果から、15世紀から16世紀頃の城郭と考えられるようになってきました。ちょうど太
  田道真・道灌父子とその主家の扇谷上杉氏が活躍した頃から、上杉氏の勢力を追い払い、伊豆から相模へ侵
  攻した小田原北条氏の時代に当たります。結論は今後の研究を待つのみですが、城の範囲は、西は東海大学
  医学部付属病院あたりから東へ延び、上杉氏と関係深い臨済宗・普済寺あたりまでと考えられ、城郭遺構が
  発見されています。    
          平成27年3月                  伊勢原市教育委員会


北側の通路を登ります

第二東名の工事が進められています、正面の三角形の山が大山です

北側の虎口跡です

説明版です

虎口跡の東側から、公園上面へ行きましょう

広い上面の広場です、北側に虎口脇の土塁跡が見えます

土塁1の説明版です

西側の土塁2です

土塁2の説明版です

土塁の西側斜面です


詳しい説明版が公園の南側に有りました

では、城址の南側、高部屋神社へ行きましょう



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神奈川県秦野市、鶴巻の大欅です!!

2016-03-16 16:54:12 | 巨樹・大木
鶴巻の大欅は、秦野市役所の東約5kmのところ

小田急小田原線つるまきおんせん駅の直ぐ南東側です

役前から県道612号線に入って直ぐです、つるまき幼稚園が目印です

欅の脇、幼稚園入口に駐車スペースが有ります



道路南側から



見上げます

県指定天然記念物 鶴巻の大欅の石碑です
   県下で最も太いケヤキで、「逆さほうき」状のケヤキの典型的な樹形ではなく、むしろエノキに似ている
  ため、昔から大エノキと呼ばれ親しまれてきた。
   昭和59年12月には「かながわの名木100選」に選定されている。
    樹高  30m  胸高周囲   10m    樹齢約600年(推定)

   ケヤキは本州から九州に分布する落葉高木で、枝を広げた姿は雄大であり、日陰木として公園、街路など
  に植えられる。
   樹高50m、胸高周囲15m、樹齢約1900年に達するものもあると言われている。

説明版です
    神奈川県指定天然記念物  鶴巻の大ケヤキ
                       昭和28年12月22日指定
      このケヤキは昔から落幡の大エノキとして、村人たちが保護して育ててきたものであるが、実はケ
     ヤキである。
      根回り12。25m、目通り10m、樹高30mにおぶ大木である。
      ケヤキはニレ科の温帯性高木で、ヤブツバキクラス域シラカシ群集ケヤキ亜群集に位置付けられて
     いる。県下では沖積地や台地斜面などに自生しているため昔から親しまれてきた木である。屋敷内に
     植栽されることも多く。しばしばケヤキの見事な屋敷林も見かける。このあたりではケヤキ林が自然
     植生で栄えていた。
      大ケヤキは落幡の神木として村人が豊作と生活の平安を祈った名木である。郷土を代表する木とし
     て永く保存する必要があり、県指定天然記念物に指定したものである。
                                     秦野市教育委員会
      





北西側から

六角形の石碑が有ります




北東側から





東側から見上げました

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神奈川県平塚市、坂東第七番札所光明寺です!!

2016-03-15 20:45:45 | 坂東三十三観音霊場
光明寺は、平塚市役所の西北西約7kmのところ

小田原厚木道路平塚インターチェンジの西約1kmです

県道62号線を西へ

光明寺入口信号を南に入ると直ぐ


駐車場が有ります

入口仁王門です

平塚八景の標柱です

手水舎です

境内の案内図です


本堂です

重要文化財の案内板です




文化財の説明版です

歓喜堂です

説明版です

七福神の説明版です

文殊堂です

説明版です



大銀杏です

本堂の裏側にはカヤの木が有ります




平塚市の木です

金目川です

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春の草花を、またまた投稿です!!

2016-03-14 21:30:12 | Weblog
この春の草花です

ムスカリ

ハナニラ


ハクモクレン


アカモクレン


スイセン

ノイチゴ

白梅

紅梅

などなど、まだまだ梅の花見状態です

そんな中

アーモンドの花です


桜と同じバラ科なので、ヒガンザクラの様な花を咲かせていました

では、次へ行きましょう
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今年の桜開花情報は?

2016-03-13 07:11:19 | Weblog
今年の桜の開花時期は、昨年より早くなりそうですね

今朝のニュースの中で、早ければ・・・・

東京の標準木である靖国神社のソメイヨシノでは

3月18日開花予想が一番早く

他の予想も20日までには咲きそうですね

櫻は開花から見ごろになるまで約1週間ですので

3月25日頃が見ごろでしょうか



櫻前線の北上に合わせて、櫻を追いかけなくっちゃ
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新潟県新潟市中央区、白山神社の合格祈願梅と蛇松です!!

2016-03-12 08:50:42 | 文化財・寺社
白山神社は、新潟市役所の直ぐ南側に有ります

信濃川沿いの白山公園には大きな駐車場が有ります

短時間であれば神社境内の駐車場も利用できるようです


参道に鳥居です

楼門です

手水舎です

拝殿です



拝殿の松ノ木です、境内には多くの松ノ木が有ります


合格祈願の梅です

拝殿西側の地下通路を通り本殿裏側に行きましょう

安産・子授け・夫婦円満の道祖神です

餅搗き道祖神です

蛇松神社です



注連縄の巻かれた「蛇松」です

蛇松の説明版です

本殿の装飾です


松尾神社です


黄龍神社です

では、次へ行きましょう
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新潟県新潟市中央区、蒲原神社のケヤキです!!

2016-03-11 10:19:45 | 巨樹・大木
蒲原神社は、新潟市役所の東約3kmのところ

JR上越新幹線にいがた駅の東約1kmの新幹線の高架下に有ります

国道7号線、通称栗の木バイパスの西側です

駐車場は、参道の鳥居をくぐって社殿の南側に有ります


国道沿いの赤鳥居です

蒲原神社です

石鳥居です

由緒が有ります
    蒲原神社由緒
      当社の創立は大化改新以前と推定され、当時蒲原の津に鎮守し青海社とて延喜式帳に記載されてい
     る。
      御祭神は椎根津彦の命でその后、五行の神(火の神・水の神・木の神・金の神・土の神)を合祀し
     五社神社と称した。昭和56年、蒲原の地に千数百年来鎮守したことから蒲原祭の名で親しまれて来
     たので「蒲原神社」と改称された。この他、畠山六郎重宗夫妻の木像・天照大神(神明様)・健御名
     方大神(お諏訪様)・日本武命(古峰様)・藤原道真命(天神様)を合祀してある。
      又、六郎様とも云われている。
          * 祭 禮 日 *
      一月一日        元旦祭
      四月三日        春季祭・菅公祭・梅まつり
      六月三十日~七月三日  蒲原大祭
      十月十日        秋季祭
      十一月二十三日     菊まつり
      十二月一日       新嘗祭   
      十二月三十一日     大祓祭・除夜祭
        毎月一日      朔日祭
        毎月十五日     月次祭
                       中興 第十六代宮司  金子隆弘

参道を進むと両側に二本のケヤキがありますが、大ケヤキは先の右側です

注連縄の掛けられた大ケヤキです

説明版です
    老古木「言魂の欅」について
      当社がこの地に移転建立されたのは元禄三年であるが、このとき既にこの欅があったらしく、推定
     500年は経っていると云う、私の曾祖母が朝のお務めに欅の前を通ったら、この欅の精が現れて手
     に水玉を持ち立って居られ、長男を薬師にする様にと言葉を残し消えられた、そこで長男を医師にし
     次男三男を神職にしたのが敗戦後、神も佛もない時代に医師になった長男(康隆)がこの神社を護り
     今日にいたったのである、この老古木には欅の精が宿って居ります。
      命名「言魂の欅」平成二十年十月        宮司金子隆弘記

     (大きさに関する記載は有りませんでした・・・)




幹に空洞が出来ていますが、元気なようです

手水舎です

拝殿です

南側駐車場から神社の建物を見ます

では、次へ行きましょう     
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梅の花の写真を少しだけ!!

2016-03-10 07:48:05 | Weblog
春は、行きつ戻りつとか、三寒四温とか

だんだんと暖かさを増していきますが

今日は、雨模様で三寒の様です

桜の開花まで、あと2週間ほどになりましたね

今が見ごろの梅の写真を投稿いたします











品種を記録していませんでした

では、又ね~
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埼玉県羽生市、勘兵衛松です!!

2016-03-09 09:05:47 | 文化財・寺社
勘兵衛松は、羽生市役所の西北西約5kmのところ

道の駅羽生から西に延びる県道7号線沿いに松並木が有ります





南側からの松並木です


勘兵衛松の石碑が松並木の中ほどに有ります

裏面に説明が有ります
    徳川三代将軍家光公日光御社参道路 るを以て風致を添ゆるため時の忍城主に施て勘兵衛なるものに命
   じて植樹せしものとの伝説に基き大正15年2月13日本県史蹟名称天然記念物調査かいに施て審査の結
   果天然記念物と認定せらる 明治維新当時には百本以上の樹薮ありしも年々風雪に害せられ枯損のため遂
   に現在38本となりしを時恰も
   今上天皇御即位の大禮を學行の秋に際し稚松5千本を補稙し以て奉祝の記念とす
     昭和三年十一月                       北埼玉郡新郷村長渡辺喜代三郎
  と、ありました、昭和天皇即位記念で、植え替えられたようです




幹に麻巻された松が一番大きいようです

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埼玉県羽生市、川俣締切址です!!

2016-03-07 21:15:24 | 文化財・寺社
川俣締切址は、羽生市役所の西北西約4kmのところ

国道122号線が利根川を渡る手前に、道の駅羽生が有ります

利根川の土手道側に石碑が立っています

道の駅羽生の位置です

群馬県境の利根川を渡る昭和橋です


男体山をはじめとする日光連山が見渡せます

埼玉県指定史跡 川俣締切址石碑です

説明版です
   県指定旧跡 川俣締切跡(昭和38年8月27日)
      川俣締切跡は、それまで分流していた利根川流路のうち会の川筋を文禄3年(1594)に締め切
     った跡である。
      近世以前の利根川は、武蔵・下総両国の国境を南へ流れ、現在の東京湾に注いでいた。千葉・茨城
     両県境を東流し、千葉県銚子市から太平洋に注ぐ現在の流路は、利根川東遷事業と呼ばれる近世前期
     の大規模な流路変更と河川改修によって付け替えられたものである。この東遷事業は、水害からの江
     戸の防備、関東平野の開発、物資輸送のための船運水路の整備などを目的としたといわれ、徳川氏・
     江戸幕府によって、半世紀以上にわたって段階的に行なわれた。羽生領新郷川俣付近における会の川
     筋の締切は、江戸開府前に行われ。その最初の工事であった。
      当時、利根川の流れは幾筋にも分流しており、新郷川俣付近においては、南流して現在の加須市志
     多見、加須を経て川口へ向かう会の川筋と、現在の河道を東流する一流とに分かれていた。文禄元年
     (1592)忍城主となった松平定吉の命を受け、付家老の小笠原三郎左衛門吉次が指揮して、新郷
     に堤を築いて会の川筋を締切り、同三年に利根川本流を東流させたと伝えられている。この工事は困
     難をきわめ、僧侶が人身御供として入水したという伝説も残されている。この締切工事により、会の
     川や古利根川が利根川から切り離され、以後、江戸や流域の治水がはかられるとともに、利根川流域
     の広大な新田開発が進められていった。
      (石碑には史跡とあるが、場所の移動に伴い旧跡に指定替えとなった。)
     平成十六年四月一日                          羽生市教育委員会
                                        埼玉県教育委員会





歌碑や神社石碑が有ります


締切されたのは道の駅の東側、この辺でしょうか~

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群馬県太田市、市場稲荷山古墳です!!

2016-03-06 07:26:08 | 文化財・寺社
稲荷山古墳は、太田市役所の北東約6kmのところ

足利市との境を流れる渡良瀬川の右岸(南側)の市場町に有ります

県道39号線沿いの東応寺から矢場川の南側に有ります

国道50号線の工業団地の三和シャッターの東を北へを進むと住宅地の中に有ります



稲荷山古墳です

太田市指定史跡の標柱です

説明版です
   太田市指定重要文化財  稲荷山古墳
                 指定年月日  平成17年(2005)3月28日
                        (昭和61年2月1日)
                 所 在 地  太田市市場町488-1
     太田市北辺の渡良瀬川右岸沿いの洪積台地上に築造され、かつての渡良瀬川の旧流路である矢場川に
    墳丘裾部を接するように立地している。
     昭和13年作成の「上毛古墳綜覧」によると市場地域にはほかに三基の円墳が記載されているが、現
    在ではこの古墳と北西にある白山神社古墳が原型を留めているにすぎない。このほか小円墳の痕跡が市
    場八幡宮を中心とした地区に十数基認められ、稲荷山古墳はその中心的存在であったものと考えられる
     古墳の規模は直径32m、高さ4mの円墳と推定されているが、南西部に周囲より一段高い平坦部が
    あり、帆立貝型古墳の可能性も考えられている。西側には周濠の形跡が残され、墳丘には葺石があり、
    埴輪であは円筒埴輪・形象埴輪(人物など)が知られる、主体部は未調査のため不明であるが、横穴式
    石室と推定され、築造時期は六世紀中頃と推定される。
     墳丘頂部には、稲荷山神社社殿が建てられているが全体の墳形はよく保存されている。古墳時代後期
    における矢場川水系の地域古墳群を知る上で重要な古墳である。
      平成19年(2007)3月            太田市教育委員会    

鳥居をくぐって墳丘へ上がります


稲荷神社の社殿です

丸い葺石でしょうか階段の降り口に並んでいます

古墳の南側には石塔が並びます

西側の濠跡です

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三月五日は、啓蟄です!!

2016-03-05 12:02:19 | Weblog
今日は、「二十四節期」の一つ「啓蟄」です

虫が地中から這い出る頃だそうです

アブラナ科ナズナ属ナズナ・別名ペンペングサ

マメ科ソラマメ属カラスノエンドウ

シソ科オドリコソウ属ヒメオドリコソウ



シソ科オドリコソウ属ホトケノザ

ゴマノハグサ科クワガタソウ科オオイヌノフグリの青い花


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群馬県太田市、大光院(呑龍様)の臥龍松です!!

2016-03-04 20:41:07 | 文化財・寺社
大光院は、子育て呑龍として有名なお寺です

太田市役所の北北西約1.5kmのところ

金山城跡への登り口にあります

本堂の東側に駐車場が有ります


太田市観光ガイドマップです

旧中島飛行機(株)呑龍工場と中島知久平の説明版です


山門の吉祥門です

太田市指定文重要化財 大光院吉祥門の標柱です

説明版です
  太田市指定重要文化財 大光院吉祥門
        所 在 地  太田市金山町37番8号
        指定年月日  昭和47年(1972)9月26日
    「呑龍様」の名で親しまれる大光院は慶長18年(1613)徳川家康がその祖とした新田義重(源義家
   孫・新田氏祖)を追善するため創建したものである。寺名の義重山新田寺大光院は義重の法号「大光院殿方
   山西公大禅定門」による。寺領300石、徳川幕府が定めた浄土宗の学問所関東十八壇林の一寺となる。
    初代住職には江戸芝増上寺の観智国師四哲の一人呑龍上人が迎えられた。呑龍は庶民教育に心をくだき、
   生活困窮者の子供を弟子の名目で養育、その高徳により「子育て呑龍」として信仰を今に集めている。
    吉祥門は元和元年(1615)に中門として建立されたと伝えられている。名前の由来について次のよう
   な言伝えがある。この山門が上棟された日に大阪城が落城し、徳川方にとってめでたく記念すべきことなの
   であったので、徳川家康によって吉祥門と名付けられたという。
    吉祥門は間口三間、奥行一間の切妻造り、桟瓦葺である。比較的簡素にできているが、瓦の葺き替え・袖
   垣の修理の他は当時のまま保存され古式をよく残している。大光院創建期の姿を伝えているといわれる本堂
   内陣・大方丈・小方丈・庫裏とともに、本市における近世初頭の建築物として重要なものである。
        平成四年(1992)二月二九日             太田市教育委員会
  

ぐんま名所百選 第一位 大光院呑龍様の案内板です、境内へ入ります

右手に鐘楼です

慈愛の鐘です

説明版です
  慈愛の鐘
    義重山新田寺大光院は、慶長十八年徳川家康公によって建立された関東十八壇林随一の寺で、この梵鐘は
   明治四十四年鋳造されてが、太平洋戦争で供出されたままであった。
    昭和三十一年呑龍上人生誕四百年を記念して、当山六十八世大誉霊海師の発願によって再鋳造されたもの
   で    総重量   八百五十貫
        口 径   四尺三寸
    越中高岡在住の鋳匠  香取正彦氏(人間国宝)老子治右エ門氏の作成により昭和三十三年十月に完成落
   慶を見たもので、その名の通りく衆生に慈愛の徳を賜るものである。


臥龍松です

石碑です
   臥龍松
     大光院は慶長十八年(1613)4月開創の古刹である。ここに培踞する重厚雄大化して優美な黒松は
    当寺開山然誉呑龍上人お手植えの松と伝える、樹齢約七百年といわれるこの松の姿が、あたかも巨龍が地
    に臥し今まさに昇天せんとする勢いあらわすもので「臥龍松」と称される。
     享保五年(1720)の「義重山風土見聞録」に「臥龍松 本堂・鐘楼中間の庭上に古松有り 其形髣
    髪として臥龍の勢いの如し故に以て名つく」とあり、また、天保十二年(1841)の「北国見聞記」に
    は呑龍上人に血脈を乞うた雷神の大蛇が松の根元に伏したので臥龍松と命名されたとある
       平成八年(1996)4月吉日            大光院第六十九世 法誉霊考謹書

本堂です

説明版です
   本堂
     慶長十八年開創以来の建築にして大正十四年に大改修を加えしもの中央須弥壇上に安阿弥快慶作の本尊
    阿弥陀仏を安置し、脇段には新田義貞公・徳川家康公・秀忠公・家光公・歴代上人の像を祀る、正面新田
    寺の大額は尊超法親王の御㳃筆によるものである。

新田寺の大額です

開山堂です

説明版です
   開山堂
     十三間四面鉄筋コンクリート造り桃山風建築にして昭和八年第六十七世寶誉上人代に落成せるもの、正
    面壇上に開基子育呑龍上人御自作の尊像を安置す。
     御開帳日は毎月一日・八日・十五日


開山堂の南に槻の大木が有りますが、上の部分は切られてしまっています

では、次へ行きましょう

   
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