慈光寺へ上がって行く道路の脇に板碑が並んでいます
下側墓地入口に
駐車スペースが有ります
嘗て山門があった所のようで、山門跡の板碑群とされています
板碑と石塔です
説明版が有ります
慈光寺山門跡の板碑群
慈光寺山門跡に断つ九基の板碑は、鎌倉時代から室餅時代にかけて造られた供養塔です。表面の大きな梵字
は本尊を表し、仏像彫刻と同じように蓮座の上に刻まれています。蓮座の下には年号や願文など造立の目的が
刻まれています。
個々の板碑の造立目的をみると、磨滅の進んだ十三仏種子板碑④は判読できませんが、一番大きい貞治4年
銘板碑⑤は、慶秀・頼承・慶救の3名が、寺ゆかりの頼憲・専信・頼慶など14名の僧侶の霊を供養するため
に造立したことがわかります。また、元亨4年銘板碑⑦は朋全という僧侶が自らの死後の往生を願う逆修供養
のために造立したことがわかります。これと同様に逆修供養のために造立した板碑が5基①②⑥⑧⑨がありま
す。
この場所は大型板碑が群立する景観としてしられていますが、明治時代の初期に山中の僧坊跡から移設した
ものと考えられています。
なお、板碑の年代と現状の大きさについては、左から順に次のとおりです。
①嘉暦2年(1327)銘 阿弥陀一尊種子板碑 鎌倉時代 高さ141cm幅40cm 厚さ5.5cm
②文和4年(1355)銘 阿弥陀三尊種子板碑 南北朝時代高さ137cm幅39cm 厚さ5.0cm
③弘安7年(1284)銘 阿弥陀一尊種子板碑 鎌倉時代 高さ123cm幅42.4cm厚さ4.5cm
④十三仏種子板碑(年代不詳) 高さ140cm幅40.4cm厚さ3.5cm
⑤貞治4年(1365)銘 阿弥陀一尊種子板碑 南北朝時代高さ272cm幅65cm 厚さ7、0cm
⑥元亨4年(1324)銘 阿弥陀一尊種子板碑 鎌倉時代 高さ256cm幅64cm 厚さ11cm
⑦元亨4年(1324)銘 阿弥陀一尊種子板碑 鎌倉時代 高さ255cm幅65cm 厚さ10.7cm
⑧徳治2年(1307)銘 阿弥陀一尊種子板碑 鎌倉時代 高さ221cm幅56cm 厚さ9.0cm
⑨寛正5年(1464)銘 胎蔵界大日種子板碑 室町時代 高さ218cm幅58cm 厚さ7.0cm
江戸時代の絵図によると、この場所には山門(仁王門)や女人禁制を示す結界がありました。女性は結界を避
けて「女人道(にょにんみち)」と呼ばれている西側の尾根道を登り、坂東観音霊場九番札所寺慈光寺観音堂へ
と向かいました。
(ブログでの紹介順番が観音堂から板碑群へと逆になってしまいましたm(__)m)
では、次へ行きましょう