前のブログは PCの事を繰り返し書いていて ちょっとみっともないところをお見せした感があります。その前に書いていることを忘れ、確かめもせず書いたのですがそれだけ PCの騒動は「面白くなかった」小生としては大事件だったということで 勘弁してください。 これも前に触れたことだけれど、地方都市で本屋がなくなっているという記事が新聞に時々掲載される、一方では小さな個性ある本屋が誕生したという 記事も目につく。しかし、しかし、吾店の状況をかんがみれば、あるいは古本という「時間」を置いた本の価値から見れば 何でもないことで、「本」を必要とする人は世の中にそうたくさんはいないということだ。 売れるものなら店はつぶれはしない。売れないからこそ町から本屋が消えてゆく。そこを何かすごく情緒的に「文化・教養・知的財産」 云々が失われるという論調になるのがおかしい。 田舎の新刊屋に限らず、都会でも小さな本屋が消えてゆく、その元凶はコンビニで週刊誌を売ることにある。とずっと以前から主張していて ある複数の記者にも話したことがあるけれど反応はない。 また「小さな個性ある本屋が誕生した」という 記事も数年後にその店がどうなったかはまず触れない。おそらく生き残っているのはほとんどいないのではないか。以前「文庫屋」という店がマスコミで騒がれたことがあって、その数年後今度はその店の主人が 蒸発して残った本の処分に自治体が困っているという報道だった。これもその後については何も書いていない。 先にこの店を褒めそやした記者連中は今なぜ黙っているのだろうか。 3~40年前の出版物が多すぎる、資源の無駄使いであったとは これまでも書いてきたけれど、今の出版もまだ多すぎると確信している。大手の宣伝上手でしかない「仕掛けられた」ものが多すぎる、これに乗る、あるいは煽るマスコミも問題。いつもいうように「べストセラー」は古本屋にとっては「ゴミ」でしかない。一時のあだ花でしかないのに宣伝に乗って買う方も問題かもしれないが、それないついてはちょっと別問題。 翻って吾店の事に触れると、大牟田という町でやっていること自体が奇跡。 ずっと前はともかくも、今、大牟田の人は吾店の相手では「全く」無い! 売ってくださる、処分を依頼されるのを見ても、そのレベル(古書として)の低いこと覆うべくもありません。買い手についても同様で、日々売れるのは百均ばかり。我が地我家だからこそしがみついているだけでおよそ「商売」のレベルではない。 一般論としても商店街や小売店がつぶれるのは、買い手がないからつぶれるのであって、つぶたから本を買わなくなる、本屋離れを助長するというマスコミの論調は間違いだといえる。そんな少女趣味の感情論の話ではない。 一方では、本離れ、本屋離れは当然の事、そもそも本を必要とする人ははんの一握りでしかないハズです。吾店の通販の実績を見ても論じることができる。来信・送本のホボ半分は関東1都3県、2割強が近畿の2府1県。そもそも通信販売は離島や地方の人こそ使える道具 と思っていたのだけれど実際はまったく違っておそらく生活圏に古本屋がないわけはない人たちからの注文が断然多いというのはどういう意味を持つのか。要するに「本を必要」とするかどうか、であって、本が「好き」という程度ではないといえよう。このことはまた別の機会に話しましょう。 日本の出版量が減ってきたとをいかにも「まずい」文化の危機のように言うけれど、吾店の目線からすれば大いに結構、資源と流通エネルギーの無駄使いをやめましょう ということでしかない。後世に残すような本はそう多いわけではないのですよ。
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