閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

来客の違い

2018-04-21 06:50:40 | 日記
 少し前、ある県庁所在地でやっている同業者と話す機会があった。その中で、彼の店には博物館、美術館、県立図書館などの職員がくるそうで、「先日ですね、店先のものを手にして、これはいいと言って買ってくれたんですよ、ところがね、たった650円の品なんですよ、それを公費でっていうんです。しょうがないから書類を書きましたよ。これまでいろいろ買ってくれてますからね。」というのである。ちょっと待てよ、ひるがえってわが店は如何。国立・県立を問わず関係職員が来店して店の品を見て拾い上げるということは過去全くない! 市の諸部署からもない。まれに何かの要件で来店しても棚の本を自分の意志で見ていくものはいない。これまでのことを思い出しても、公費買い上げはあるのだけれど、いずれも、「いかがでしょう、これは必要なのではありませんか」と、すべて我が方からの持ち込み提案の結果であって、彼らのほうから「買います」というのはまずない。わが店に来て現物を見て買い上げが決まったのは、まず遠来の研究者たち。ことにここ数年は三井三池に関しての話が多くまず関東・関西、そして北海道などの機関からの話である。この差は何であろうか。顔を知っていて何も買わずに帰るのが気まずい、という話が聞こえてきたことがあるけれど、小生は買うことを勧めることはめったにない。かえって図書館で済ませることを、あるいは店の手持ちではない本・資料を紹介することのほうが多い。「古本屋ってどんなものがあるか時々のぞいてみるものではないですか」と言ってくれた信州からの来客は「古本屋」をわかった発言。以前にも書いたけれど、本を買ってもらうよりも周辺の情報をもたらしてくれるのがありがたいのだ。その人が探している・あるいは読んだ本について。あるいは勤務先の、先生・仲間のことなどで結構。もちろん黙って出てゆかれてもあれこれ言う筋ではない。高々8坪強の小さな店である、目下の探し物がある方が珍しいだろう。なければどうするか、という相談には乗ります。ただしその本が今棚にあるかどうかは自分の目で確かめてください。 
 先の店の話のようなのを聞くと この町で店を続けるのが嫌になる。
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