今日、店のエアコンの内部掃除をプロにお願いしてやってもらった。
そのことは特段言うことはないのだけれど、その作業のために周辺の本を 退避させねばならなかった。 昨晩閉店後に作業した。 さて、清掃が終わって元の棚に返す作業をしていて、ミカンコンテナ5函の本、これらを今本に戻したとして、大牟田の人たちにどれだけ見てもらえるか?あくまでも「見て」であった「買ってもらえる」とはまず鼻から思えない品々。Amazonはともかくも、
「日本の古本屋」で注文を受ける品々をみるにつけ、先ず大牟田では売れまい、という物ばかり! 古い文庫で500円とか800円あるいはそれ以上の価格のものを大牟田の誰が買うだろうか? まず望めない。特装本、限定本、署名本などに至ってはここ何年と接触も話題も何もない。 均一・特価を覗く人はあっても目の前のショーウィンドウに並んだ品に目線を当てる人は殆どない。かつて盛んであった即売会のお客について、いわゆる売台にある品々(目線は下向きになる)をみるお客はお金は出さない、棚に並べた品(目線は上になる)を見る人はまとも(?!)な客だ、という話しがあった。我店に引っかる人たちを見ていると全く其通り。 さて、その環境の中でいかに「古本屋」を維持し世間に見せびらかすか! そして食っていけるか? これまでにも書いてきた「来客なし、3日連続」というのは冗談ではないのです。
マスコミはさびれてゆく町の中に「本やが出来ました」というのは良く取り上げるけれどそれはまず「新刊店」であり、しかも専業ではなくキャフェなどの併設がほとんど、そして数年ののちに撤退した店のことは取り上げない。またあくまでも「新刊店」であって古本屋の記事は殆ど見たことがない。書く記者自身が「古本店」に立ち寄ったこともないのだから仕方がないとも言えるけれども、神田の古書街を取り上げるなら、地方の古本屋だって「個性」という点では引けを取らない店は沢山ある、というより「古書店」は「個性」があってこそなので、新規開店の「個性ある小さな(新刊)本屋」などという「惹句」は片腹痛い。新刊屋に「個性」があるか?出せるか? たとえいくらか他所と違う品揃えといっても「新刊」なら其「個性」たるやたかが知れているではないか。本屋の中身を知らない「アホ」な記事としか言いようがない。
国会図書館の蔵書のほとんどがデジタル化され「タダで」見れるようになったそうで、郷土史などの厚い本などはこれから全く売れない、紙クズになるらしい。
さて本当にそうなるまで我店が生きているかどうかわからないけれどいずれにせよ資料・古典籍・古美術以外はやっていけなくなるのは間違いないだろう。
さすれば、大牟田の云々 などと言わずに済む、言っておれない、ことになる。