晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

西国三十三所徒歩巡礼二日目 10/13

2023-10-14 | 徒歩巡礼

2023.10.13(金)曇、晴れ  越すに越されぬ七廻り八峠

巡礼者: 小原、津田
タイム: 成相寺着 8:00    成相寺発 8:15
     参道分岐点8:35    天橋立  9:30
     文殊  10:15   
     カトリック宮津教会着 11:00   発 11:20
     山中十字路着 12:00(昼食)   発 12:30
     小寺国道178線13:40      七廻八峠ロスタイム約60分か?
     由良15:35            丹後由良駅 16:00

https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-6046431.html

 待ちに待った巡礼の日が来た。とは言っても前の日には妙に緊張する。というのは今回のルートは記録では通行不能の峠がいくつか含まれているからだ。
 津田さんの車で成相寺の駐車場まで送ってもらう。津田さんは天橋立に車を置いて、参道を登ってくると言う。成相寺は8時の開門なので受付で待っていると、係の人が出勤してこられたので少し早くに入れてもらう。
  第二十八番 成相山 成相寺
 まだ網の幕が張られている本堂で、作法通り開教偈から本尊真言までお経をあげていると8時になり改めて真言を唱える。納経の朱印をいただき、記念撮影をして成相寺を後にする。下りはかつての参道を下るべく、バス道を降りていく。旧参道は地図には破線で示されているが、心空さんも歩いていないし、加藤淳子さんの参考書「街道を歩く 西国三十三所」でも分岐点が解らなかったとある。バス道は時々視界が開き、阿蘇海側の絶景が素晴らしい。
  下っていくと五重塔があり、やがて阿蘇海の景色が現れる。
 なにより誰一人あうこともなく、心ゆくまで眺められることがいい。やがて右手に災害で荒れた地形が現れ、そこに草深い山道が続いている。
道標も何も無いのだが地図アプリで見るとここが分岐点だ。ザックを下ろして地下足袋に履き替えていると草道の向こうから「小原さ~ん」と声がかかる、津田さんが登ってきたのだ。さっそく草道を降りていくがあまり人が歩いている様子は無い。近畿自然歩道として整備されていただろうロープの柵や道標がある。一ヶ所展望所があり、天橋立とその周囲の景色が最高のところがある。下っていくほどに道はきれいになり、地蔵や板碑など現れて参道らしくなる。旧街道の参道入り口にたどり着くとそこには立派な道標が立っていた。
   
天橋立の絶景、一の地蔵そして板碑群
 正式には成相寺参詣道本坂道というようだ。成相寺は観光客も含めて多くの参拝者があり、入山料他いくらかの収入があるだろうから、その極一部でこの参詣道の整備をしてもらえないかと思う。道といい景色と言い絶好の場所なのだから。
 本坂道入り口
 朝の準備に忙がわしい土産物店を横目に天橋立を歩く。10年続いた天橋立トライアスロンの会場だったので、スタッフをしていたわたしは何度ここを歩いたことだろう。あの頃は若かったなあと妙な感傷に浸ってしまう。外国人の観光客が多く、聞き慣れない言葉が飛び交う。わたし達の姿はきっと奇異に映っているだろうが、誰も気に留めている様子はなく、嬉しいような残念なような、、、。「ここは西国巡礼の道中でも随一の景色だろうね」と話ながら歩く。
 文殊から国道を行くと、犬堂の碑という珍しい石碑に出合う。江戸時代に賢い犬が寺用を果たしていたが亡くなったのでその死を憐れんでお堂を建て、やがてお堂が壊れて石碑を建てたという。何とも立派な石碑で、犬のためにそれだけのことをするというのは江戸時代というのは結構豊だったんだなあと感心する。
  犬堂の碑
 国道から宮津の旧市街、街道を行く。古い街並みというのは心がなごむ、やがて旧三上家住宅が南側に現れる。北前船で栄えた豪商の屋敷で、ゆっくり見物していきたいところだが今回はパス。適当に路地を楽しみ、京街道の府道に出、和貴宮神社のある通りに入る。和貴宮神社には大きな楠と水越岩という大岩があり、かつてはここまで海岸線が来ていたという。宮津という地名の語源だという、宮のある津ということだろうが、その宮がどの神社であるかは判然としていない。(京都地名語源辞典)お詣りをしてカトリック宮津教会に向かう。
  旧三上家住宅、和貴神社水越岩
 明治29年に建てられた、現役の教会としては日本でもっとも古い教会ということだ。畳敷きの礼拝堂だそうだが残念ながら閉まっており中は見られない。横に廻ってステンドグラスを見物していると、自転車の婦人が門から飛び出してきて、津田さんと接触しそうになる。「こちらの方ですか?」「中を見せて頂くわけにいきませんか?」偶然に教会の方であって、快く鍵を開け聖堂に案内された。ドアを開けてびっくりしたのは、先程のステンドグラスを通した陽光が床と傘立てに見事に映っているのだ。赤、緑、青とそのグラデーションが美しい。「写真に撮ってもいいですか?」「こちらはもっときれいですよ」噂通りの畳にその光が映っている。立体的なテーブルでなくて平面的な畳に映るその光は、きっと計算されたものに違いない。「朝の光は祭壇の辺りに映るんですよ」などと話を聞いているうちに曇ってきたのか、美しい模様は消えてしまった。
    宮津教会は畳敷きである。
 笈摺(おいずる)に白衣の巡礼スタイルの二人が教会を訪れている姿はなんとも奇妙なものだが、教会のご婦人に巡り会えたのも美しい光景を見られたのも神さまの思し召しかもしれない。津田さんの叔母さんが敬虔なクリスチャンでミサに伺うことを約束して、宮津教会を後にする。
「小原さんは本当に人と会う運があるなあ」前回の四方さんの事を思い出して言っておられるのかもしれないが、確かに巡礼を始めてから偶然の出会いが増えたようだ。つづく

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丹波西国道中記・四日目-2

2023-10-05 | 徒歩巡礼

2023.9.29(金)快晴 塩久~高源寺~岩瀧寺 観音さまが居ない?
 経費 バス代 880円 (京都バス 450円 神姫バス 430円)
    電車代 420円 (石生~福知山)
    駐車  300円
    朱印  600円 (高源寺、岩瀧寺)
    賽銭  100円 高   

    合計 2,300円
 山辺の街道を進み、適当なところで加古川を渡る、氷上西高のところだ。干上がった加古川沿いに歩き、休憩所があったので昼食とする。飯を食いながらいろんな話をするのだが、英樹君の波瀾万丈な生き方に驚く。わたしも大概好きな様に生きてきたが、彼はそれ以上だ。一番驚いたのは、わたしが初めて沖縄に行ったとき、それは沖縄返還の翌年(1973年)の3月なんだが、誰も居ない何も無い川平湾に感動したのだが、彼も同じ時にそこに居たそうだ。誰も居ないはずの川平湾にひとりテントを張って原始生活している学生さんがいた。シャコ貝の殻を鍋にして、あの馬鹿でかいトカゲを煮て食ってるんだから驚きだ。天理大の学生さんだと思ったが、英樹君もその子を知っていたから間違いない。わたしはその後東京に帰ったが、彼は石垣に残り小屋を建て、潜水の免許を取りスキューバダイビングのインストラクターをしていたと言うから凄い。巡礼も二人で行くと面白い話が出てきて楽しい。
 話がそれてしまったが、昼食を終えて一本南の旧街道に出たとき、角に道しるべを見つける。
 左いくの 右由し満
 「左いくの 右由し満」いくのは生野で良いが、由し満とは何処だろう。「丹波の古道」(奥谷高史)によると湯島道中とあって、但馬国湯島が今の城崎温泉だそうだ。この道しるべネットで調べると「左京大坂」とも書かれており、もう一面には年号らしき文言もある。もう少ししっかり見れば良かった。
 加古川に沿って国道427号線を行く、歩道があって歩きやすいが退屈な道だ。商店や農園の看板に足立姓の多いことに気づく。福知山に多い足立姓のふる里なんだろうか。やがて道の両側に紅葉の並木が始まり高源寺の近いことを匂わす。左手に高源寺の駐車場が現れる、紅葉の季節には大型バスが何台も駐まるそうだ。

 高源寺到着、自然石の石段が素晴らしい。紅葉はまだ青々。
 生憎本堂は工事中でシートに覆われている。もう少し石段を登って方丈横の納札所に行く。大黒さんらしきご婦人が朱印を書いてくれるのだが、「ここには観音様はおられないのですよ」と言われる。志保美円照さんの冊子には観世音座像と記してあるのだが、お寺の方がおっしゃるのだからそうなんだろう。代わりに三重塔の毘沙門天にお参りする。
 三重塔の頭だけが望める。
 紅葉の頃はさぞかしと思いつつ高源寺を後にして、元来た道を歩く。国道から分かれて、篠山街道の町並みに入ると、土塀の家や旧い商家らしき家が続き、屋号を着けた薬屋さんや酒屋さんがあってとても嬉しい。カーテンを閉めた多くの家もかつては商売をしていたのだろう。こんな町並みがいつまでも残って欲しいと思うのだが、なかなか難しいのだろう。
 町並みを抜けるとつまらない道になるのだが、道ばたに立派な地蔵堂などあって篠山街道のおもかげが残っている。午後の日差しがきつい上に退屈な道なので二人とも黙って歩く。1リッター用意した梅麦茶も残り少なくなってきた。ようやく岩瀧寺への入り口、香良口に着く。3時15分、バス停で時刻を調べると、柏原(かいばら)行が16:20、岩瀧寺まで2Kmだから微妙な時間である。とにかく急ぎ足で歩くと2Kmがやたら長い、行きすぎたのではと不安になり始めた頃左手に大きな病院が現れ、その先でようやくお寺の雰囲気が出てきた。右手の坂を小走りで登ると本堂に着いた。香良口から30分かかっている、滞在可能時間は5分余り。納経所は人の気配が無く、料金箱と朱印が数枚置いてある。花の寺とか丹波古刹とかの朱印で、丹波西国がない。どうやら丹波西国を巡っている人はあまり居ないようだ。やむなく丹波古刹第八番の朱印をもらい、料金を払いお参りをする。
 丹波西国第七番の印が欲しいのだが。 茅葺きの観音堂は珍しい。
 茅葺きの観音堂でしっかりお参りしたいのだが何しろ時間が無い。手だけ合わせて帰ろうとすると、大黒さんとおぼしきご婦人が出てこられた。先ほどの朱印の件も聞きたかったが、その時間も無い、お礼だけ言って出発する。独鈷(どっこ)の滝とか浅山不動尊とか行きたかったのだがそれどころでは無い。
 元来た道を速歩で下っていく、25分でバス停に到着、間に合った。最後の水を飲みきって今日の巡礼おしまい、次はこの香良口バス停から始まる。復帰目指してリハビリ中の英樹君は痛み止めの薬持参で頑張った。「痛みも出ずに頑張れた、なんか吹っ切れた気がする」と満足の様子。わたしとしては歩きそのものは大満足だが、二つの寺院の参拝が中途半端でちょっと残念。まっ次回に期待しよう。合掌

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丹波西国道中記・四日目-1 ’23.9/29

2023-10-01 | 徒歩巡礼

2023.9.29(金)快晴 観興寺~高源寺~岩瀧寺  彼らはどの峠を越えたのか?
同行者:山本英樹
         
福知山駅前 8:00  バス    8:24 上畑中バス停 
上畑中バス停8:40             8:50 観興寺
観興寺   9:10  休憩10分 10:20塩久峠
佐治休憩所11:55  昼食   13:20 高源寺
高源寺    13:45        16:45  岩瀧寺
岩瀧寺  16:50       17:15 香良口バス停
歩行 8時間35分 27.6Km 

(国土地理院福知山) 
 仁和寺の法師の如く、1368年の宝篋印塔を見ずして帰ってしまった。観興寺を再度訪れたのはそのためだけではない、同行の山本英樹君にお詣りして御朱印を貰ってもうらうためでもある。住職は先月訪れたわたしを憶えておられたようだ、早速例の宝篋印塔を案内して頂く。前回訪問時にはお墓や境内をくまなく探したのだが、見つけられなかった。それは観音堂に続く渡り廊下の奥にあった。宝篋印塔にまつわるお話しを聞き、観音堂にお参りする。勤行次第に則って開経偈、懺悔文、心経、観音経、本尊真言等唱えていく。その間に英樹君の納経帳が書き上がり、住職に峠越えの道を尋ねる。古文書(丹波西国三十七所道中記 嘉永五年)には「是より氷上郡小倉村高源寺へ三里大峠あり奥塩久村通る小川二つあり」と記するばかりで蓮根(はすね)峠か塩久(しおく)峠かいずれを越えたかは解らない。
住職は蓮根峠を越えるものとおっしゃっている。蓮根峠には村から登る道の他に観興寺から直接登る道もあり、巡礼道としてはこの峠が使われたものと思う。ただ地図上の表記では蓮根峠は塩久より一本東の谷、東芦田に下りるもので、塩久に下りるのはもう一つ西の峠である。地図には表記されていないがこれも蓮根峠なのかもしれない。樽水から都合三本の道が上っており、往時はこちらが主流であったとも考えられる。住職はわたしたちが塩久峠を越えるといったら怪訝な顔をされていたが、こちらの方が直線的に越えており、林道が奥深くまで入っていて歩き良さそうだから選んだまでである。
    仁和寺の法師が見忘れた宝篋印塔
 住職にお礼を言って出発する。峠取り付きまでは下見をしているので問題ない。蓮根峠との分岐の辺りで地下足袋に履き替える。オフロードはサンダルでは堪らない。そして用意したダニよけスプレーを二人ともしっかり振りかける。英樹君はトレールランナーなので七分裾パンツ、素足だ。真ダニの害は死に至る場合もあると認識してもらいたい。しばらく林道を進み、山道に入るが道らしい道は無い、「サバイバル巡礼やなあ」なんていいながら登っていく。地図上の破線を外さないように、適当に登って行くのだが倒木やぬかるみがあるばかりで、ブッシュは少なく歩きやすい。やがて小さな尾根上の広場に出る。驚いたのはそこに斜めに作業道が上がってきているのだ。どうやら最初の林道が大回りして上っている様だ。
 広場に出たら林道が上がってきていた。 
 その後も作業道は続いており、結局峠を越えている。峠で記念撮影、一つの目標は達成した。塩久峠は地形的には峠らしい峠だが、街道としての痕跡は何も無い。道しるべか地蔵さんでもあれば絵になるんだが、、。
 変哲も無い峠
 塩久側は植林の道で、やはり作業道が下っている。ジグザグに下る作業道の間を直線的に下っていく。やがて防獣柵が現れ、かんぬきを外して、下界に出る。快晴の奥塩久は稲刈り後の田んぼと曼珠沙華、草の道がうねうねと続き牧歌的である。
 輪郭は一級品の塩久峠  奥塩久の村が見えてきた。
 道中六地蔵や御大師さんが祀られていて街道の雰囲気充分だ。しばらく行くと待望の道しるべが現れた。「右ふくち山 左むらゑ」とあり、案内板に「佐治から郡境の塩久峠を通り福知山へ行く云々」とある。巡礼道としては蓮根峠が使われたと思うが、福知山への往来はやはり塩久峠が主流だったのではないか。この地には地蔵堂や六地蔵もあり村境(矢の内村)であったそうだ。
   

 古道を歩いて気づいたことだが、昔の街道は山辺を水平に走り、谷の部分は入り込み、尾根の部分は出っ張ってうねうねと曲がりながら進んでいるケースが多い。陽当たりの良い平野部を耕地としたことと、道造りの便が良いことだろう。土砂を持ってくることなく、山側の土を削れば道が出来るだろうから。こんなことを考えながら歩くのは実に楽しい。つづく
 

 

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西国三十三所徒歩巡礼始める-3 9/21

2023-09-21 | 徒歩巡礼

西国三十三所徒歩巡礼初日2023.9.15(金)晴れ 松尾寺
 前回の地図は大変わかりにくかった、新たな地図を照会したいが時間が無いので後日と言うことで勘弁いただきたい。
 さていよいよ待望の松尾寺に近づいてきた。松尾寺(まつのおでら)は西国第廿九番札所で真言宗醍醐寺派の寺院である。青葉山の中腹にあり、本尊は馬頭観音菩薩である。西国巡礼も徒歩でまわるとその日にお寺にたどり着けない場合がある。一番から二番の間は190Km余りありとてもたどり着けない。そういうときは何かを目標にして歩まなければならないが、やはり目標に札所があるのは心強い。”札所は心と身体のオアシス”というのは誰かが言ってるかもしれないが、わたしが思いついた言葉である、我ながら名言だと気に入っている。
 見上げるような石段が目に入ってきた、「やっと着いたなー」っと腰を下ろす。心空さんは徒歩巡礼のトレーニングに三十三段の石段を15回往復し、本堂の廻り100mを20周、その間に腕立て伏せを15回と20回されていたという。「この石段ですか?」と聞くと「それはすぐ上の石段、歩きにくい方です」ということ。自然石の石段が続いていた。トレーニングの最中に飲んでおられたという石清水を一杯戴き、灯明と線香をお供えする。本堂が改修中なので大師堂でお参りする。わたしはいつも心経だけで省略なのだが津田さんは開経偈(かいきょうげ)、懺悔文(さんげもん)、心経、延命十句観音経、御本尊真言、回向文と勤行次第に沿って読経される。心経を憶えるだけでも大変だったのに、まあ頑張ろう。
 改修なった仁王門  これから参拝

 朱印を戴くために納経所に行くと、辻本さんという方が番をしておられ、聞くと海自の教育隊におられたということである。亡くなられた橋立さんや頑張ってる松田夫婦の話などをしていると、辻本さんもかつて舞鶴デュアスロンに出場されていたとのこと。10回大会まで全て関わっていたので、どこかでお合いしているねなんて話が弾んだ。
 納経朱印第一号
 住職象空さんも周空さんも不在だったが、心空さんの奥さんがいらっしゃるということで、津田さんに紹介してもらった。心空さんの徒歩巡礼に何度も同行されているのを本で読んで是非合いたいと思っていたところである。巡礼の苦労話や逸話など面白い話を沢山聞かせて戴き、楽しい時間を過ごす事が出来た。冷たいお茶を戴き、お礼を言って失礼すると、丁度住職象空さんが帰ってこられ、ご挨拶をして松尾寺をあとにする。
 高浜か青郷まで行くつもりだったが、どうも電車の時間に間に合いそうにない。やむなく元来た道を松尾寺駅まで戻ることにする。今度は国道から戻り、行きがけに興味のあった岩室稲荷に寄ってみる。
 岩室稲荷のいわれは本殿の裏にあるこの岩室か?
 小浜線に乗るのは初めてだが、歩いてきた道のりを電車で帰るのはなんとも嬉しい感がする。東舞鶴で京都行きに乗り換えるとすぐに、「おはらさん!」と声がかかる。なんと舞鶴に勤めている四方さんだ、四方さんは以前に京都トライアスロン協会の役員をお願いして、何かと手伝ってもらっていた女性である。巡礼スタイルなのですぐにわかったのだろう、西舞鶴までいろんなお話をする。なんと出会いの多い巡礼だったことか。大満足で帰途につく。
 追記 この巡礼では本当に沢山の出会いがあり、縁ということをつくづく感じた。もうひとつブログでは公表できないが大切な出会いがあった。永年願っていた出会いである。なにか気になる方はじょんのびにお越し戴ければお話しする所存である。この項終わり 合掌

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西国三十三所徒歩巡礼始める-2 9/19

2023-09-18 | 徒歩巡礼

西舞鶴~松尾寺 2023.9.15(晴れ)


 わたしが使ってる5万図、PCで2万5千図に書き込んだ方がわかりやすいだろうが時間がなく失礼
 東舞鶴駅からは少し上がって朝日通(白糸浜中学と新舞鶴小の間)を東進する。小浜線の線路を越え市場通りを進む。この辺りだったろうか、「まつのおさん参りですか」と声をかけられる。巡礼スタイルにしてから良く声をかけられるのだが、大抵年配の人だ。若い人にはただの奇妙なおっさんにしか映らないのだろうか。挨拶されたり声をかけられると嬉しいもので、なにか大変いいことをしているように思ってしまう。やがて国道の高架をくぐり、遊歩道を歩く。街道は国道を東に進み、コメリのある辺りで北の小道に入るようだが国道は歩く気がしない。巡礼では昔の街道を丹念に歩こうと決めていたのだが、車の多い歩きにくい道は避けて、歩きやすい気持ちの良い道を選んで照会することが後人のためかなと思い始めた。津田さんも賛同して下さったのでそういう歩きをしたい。
 そんなわけで、田んぼの中の小道を泉源寺のお寺目指して歩く。適当に東に向かい、東舞鶴高校のそばを通って田中町に入る。12時を過ぎお腹も空いてきたので、心地よさそうなところを探していたら、鈴鹿神社という社があり昼食とする。食事も行の一部と心得ているので、弁当は梅干しのおむすびとして自作することとしている。梅干しも例年漬けている。今回ご飯が余ったので津田さんに一個あげたが、お返しに梨をいただいた。暑いときにみずみずしい梨は実に美味しかった。水は1リットルの水筒に麦茶と梅干し一個を入れたものだが、昼食時にほとんど無くなった。20分ほどで出発、長く休むと足が動かなくなる。
 田中、安岡、吉坂と車の少ない気持ちのよい道を行く。周囲は新しい住宅から古いお屋敷そして樹林帯と変わっていく。やがて本道は左に線路を越えるが、松尾寺駅(まつのおてらえき)につづく右の道を行く。線路脇を歩くようになると松尾寺駅が近い。かつては日本板硝子の引き込み線が来ていて、随分賑わったそうだ。
 レトロ感たっぷり 抹茶の氷、超美味
 駅舎は大正年間の建物を改修して残したもので、木造でレトロ感が素晴らしい。中にはお茶を扱う流々亭(るるてい)というお店があり、日本茶の他にアイスクリームやスイーツなども提供されている。我が家では毎年末にお正月の大福茶を予約して、いただいている。今日はもちろん抹茶の氷をいただいた。本物の抹茶でこしらえた氷の美味いこと、これは暑さだけのものではなさそうだ。すっかり空になった水筒に、冷たい水をたっぷり入れてもらって出発。
 駅からは志楽川に沿ってしばらく行き、左に小浜線のガードをくぐる。くぐったところに三本の立派な赤い鳥居が立っており、岩室稲荷と書いてある。東に歩を進めるとやがて道は三つ股となり、真ん中のダート道を行く。道は草道だが歩きやすくサンダルのまま進む。しばらくで、国道から松尾寺に向かう車道に出る。志楽川を渡る橋が滅罪橋(めっさいばし)で何かいわれがあるのだろうが、字の通り懺悔をして罪を無くするところなのだろう。
 滅罪橋  真っ直ぐ行った先が旧道入り口
 道が大きく左に曲がり上っていくところが、旧道の入り口だ。津田さんは雪の時に一度歩いたことがあると言うことだが、心空さんは「久しぶりに通る旧道もひどい荒れようで、古道巡礼を礼賛する我が身の「脚下照顧」こそ肝要と自戒の念を深くする。」と書いておられる。この他に古道があるがこれも随分荒れているようだ。わたしたちの手で改修できるものか、草の勢いが終わった時期に一度歩いてみたい。さて新道に戻って、これからが今日一番の登りだ。黙々と歩むが全身汗だらけになり、あごの下から汗がしたたり落ちる。右手崖の下に人工の段が見える。「あれが旧道ですよ、この先で新道に出合うのですが、危険なので人が入らないように草が残してあり解らないようになってます。」「なるほどきれいにしたら入りますもんね。」
 駐車場が出てきたりしてお寺が近いことを匂わせる。右手に芭蕉が数本植えられている、よくみんながバナナと言ってるあの大きな植物だ。上林や山家のお寺にも植わっており、いったい何のために植えられているのだろう。琵琶のように薬効があるのか、銀杏のように防火に役立つのか、繊維がとれることは確かだが、、、。つづく

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西国三十三所徒歩巡礼始める-1 9/15

2023-09-16 | 徒歩巡礼

2023.9.15(金)曇~晴れ

 西舞鶴駅出発  7:40
 二ツ橋     8:20  休憩10分(福来の灯籠)
 白鳥峠下    9:20  
 峠出る     9:55
 大森神社   10:40  休憩10分
 鈴鹿神社(志楽)12:10 昼食20分 安岡付近休憩10分
 JR松尾寺   13:30  休憩30分
 松尾寺山門下 14:50  参拝45分
 JR松尾寺   17:15  吉坂バス停休憩20分 岩室稲荷休憩10分

 松尾寺出発までの歩行時間 8:02
 歩行距離 25.95Km  速度 3.2Km/h
 歩数   31,287歩 上昇 350m

 経費 2,538円
    交通費990円(車代750円、電車賃240円)
    食費 648円(抹茶氷)
    参拝 900円(賽銭100円、朱印300円、手ぬぐい500円)
 
 津田さんは上林にある宝珠院に泊まって松尾寺のお世話をされている。従前からじょんのびのお客様で、わたしが綾部西国や丹波西国の徒歩巡礼をしているお話をしていたら、ある日「西国三十三所古道徒歩巡礼地図」なる150頁になる立派な本を持ってこられ、「差し上げますから参考にして下さい」と言うことで有り難く戴いた。2万5千の地理院地図に朱線でルートが引かれ、随所に案内やトイレの位置など書かれていて、道しるべや灯籠、石仏などの参考になる写真も添えられている。
   
  これだけでも充分参考になるのだが、序文に発行者の松尾心空氏の「西国札所古道巡礼」という本が紹介されていた。昭和32年に徒歩による三十三所の法灯リレーを開始されその後何回も巡礼されているのだが、その紀行文である。入手して読んでみるとこれが随分と面白い。巡礼道の説明だけでなく、周囲の様子や一行の苦労話、古文書の紹介、伝説や歴史的な話、当時の社会的な提言や俳句、詩歌、仏教のお話しなど満載で、これほど楽しい紀行文はない。連日読み返して、是非心空さんに逢ってお話ししたいと思い、津田さんにその旨伝えると、心空さんは亡くなられて、もうすぐ三回忌という事だった。7月はじめの頃だったと思う。もう少し早く知っていればと残念がっていたときに、津田さんと心空さんの孫さんにあたる周空さんがじょんのびに来られた。お話をしている間に、両人と一緒に西国を巡礼できないかという話になった。わたしにとっては夢のような話である。しかも今行っているように日帰りで歩き繋いで回りたいということだ。勿論二つ返事で了解し、今回の西国三十三所巡礼が始まった。後日、あやべ温泉でばったりご両人に合い将に裸のつきあいができたとともに、縁ということを深く感じたものである。
 さて今回の打ち始めは周空さんが所用で津田さんと二人になったのだが、将に縁のある巡礼となった。
 7:00にじょんのびスタートの約束なんだが、津田さんは20分も早く到着、バタバタと準備する。といっても前回の反省で準備は全てできており、弁当とお茶の用意、服を着るだけだが、とにかく夜は興奮してよく眠れなかった。不安は何もないのだが、レース前夜のように何度も目が覚めた。
 行程は西舞鶴を出発して、松尾寺から青郷、高浜、本郷と行けるところまで行こうというもの。
西舞鶴市営駐車場に駐車し、西に歩き始める。高野川沿いに北上し、本町通りまで行く。遠回りだがこの辺りを起点にしたいと津田さんの言。次回成相寺から来た際に中継点になるという。丁度藤井豆腐店の辺りだ。
藤井豆腐店
 藤井さんは永年上林に豆腐を販売に来られていて、我が家も毎週購入していた。昔ながらの豆腐の味で嬉しかったのだが、数年前に上林の販売は中止になった。店長は気さくな方で、出発直後だったので寄らなかったが、寄れば良かったと思っている。道は城北中学校の先を南進し、白鳥街道に出る。伊佐津川を渡るのが二ツ橋で橋の西南に「左松の道」というなんとも風情のある道しるべがある。
二ツ橋西南の道しるべ
橋を渡ってそのまま白鳥街道を東進、車も多く工事のため歩道が使えなくて歩きにくい。保健所のあたりで左の旧街道に入る。灯籠やお地蔵さんが出てきて街道らしい。気持ちよくどんどん歩くと大きな灯籠と地蔵さんある辻に出る。ここで給水のため休憩、気温はだんだん上がってきて蒸し暑い。
 石碑、石碑(何も書かれていない)灯籠、地蔵堂のある辻から白鳥街道を渡る。
旧街道は白鳥街道の南側に移るので、この辺で府道を渡って住宅街を進む。心空さん一行は白鳥街道を歩いたようだが、福来から天台の山沿いに街道は走っているようだ。一本府道寄りの道を歩くが住宅街の新しい道で面白くもなんともない。あっという間に天台に着いて、線路沿いの小道を行く。街道は府道沿いに走っていたのだろうが、この小道は2021年11月昭和台から逃げ出した保護犬ふくちゃんを探して歩いた道だ。山道になるので地下足袋に履き替え、トンネルの上をゆく。捜索の時は秋だったので草も少なく歩きやすかったが今回は堪らない。その上倒竹も増えていて歩行困難なので府道に逃げる。白鳥トンネルの右に林道が上っており、これが白鳥峠への道だ。情報通り、「トンネル工事のため通行止め」の看板があるが、歩行は可能と判断して進む。白鳥峠は重要な峠で、お地蔵さんぐらいは有ってもいいはずだが、何の変哲も無いただの切り通しだ。やがて工事の柵が現れ、眼下では新しいトンネルが掘られている。隙間を通って竹林の中を進むと府道から派生した舗装道路に出る。東舞鶴の市街に向かうこの道は歩道も無く通行量も多くて歩くのは苦労する。線路寄りの住宅街の中が本来の街道で、所々に地蔵さまがある。西舞鶴から多くの地蔵さまに出会ったが、どれもきれいにしてあって、生花も供えられている。信仰心厚く大切に祀られているものと感心するが世代が代わったらどうなるのだろうかと不安になる。
 やがて正面に森が見えてくる、彌加宜神社(大森神社) の森だ。森に向かってどんどん歩くと、神社に至る。お参りをして、休憩。本殿の下から霊水(延齢泉)が湧き出ていて、冷たくて美味しい。
            「ひだりまつを」の道標、本殿参拝、延齢泉は冷たくて美味しい
 神社を出ると街道は東に走り、府道51号線を北に行くようだが、わたし達はJR東舞鶴駅の北にある某所に向かう。津田さんの言によると、心空さんが健在の時、このサロンで毎月正坐会というのを開いておられ、座禅や正坐で瞑想し、講話もされていたそうだ。終了後は持ち寄った酒や肴で和気藹々と楽しい催しであったとのこと。心空さんはユーモアのある方で講話と言っても冗談交じりで、皆を引きつけるお話だったということである。さてわたしが奇遇だなあと思ったのは、そのサロンのビルが2年前に偶然見つけた「みつる食堂のシューマイ」を売っているところだったのだ。ふくちゃん捜索の帰り道に看板を見つけ、シューマイを買って帰ったわけ。社長は不在だったが奥さんが帰ってこられ、サロンを案内していただいた。心空さんのお話、聞きたかったなあ。つづく
   今もシューマイは販売中、このサロンで正座会が行われていた。


 





































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































 














































































































































































 
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丹波西国道中記・初打-2

2023-09-08 | 徒歩巡礼

2023.6.20(火)晴れ  丹波西国三十三所打ち始め いきなりの逆打ち

 若宮酒造前スタート 9:20         9:40着 二番 正暦寺 9:55発
 あやべ市民新聞社 10:45~11:40 取材を受ける
 福田神社昼食15分  小滝先生宅訪問30分 13:00着 一番 観音寺13:50発
 高津コミセンバス停着14:00
 歩行 10.9Km   バス代800円 朱印500円 計1,300円

 一番は福知山市の観音寺なんだが、綾部市を起点とするとすこぶる効率が悪い。綾部福知山間を往復することとなる。時間的制約の多いわたしの巡礼では、二番の正曆寺からスタートすることにする。綾バスで大宮から若宮酒造前まで行く。白衣に白ズボン(空手の道衣)サンダル(草鞋の代用)錫杖を片手に皆地笠を背負ったスタイルは目を惹いて気恥ずかしくもあるのだが、最近では慣れてきた。綾部駅を出発としないで、若宮酒造前を起点としたのは、綾部三十三所一番の正暦寺にお参りしたとき、裏口からお参りしたので今回は山門からお参り出来るよう、新綾部大橋(R173)経緯で行ったものである。
 丹波茶屋ゆらりの手前から踏切を渡って見上げる山門は風情があって、桜の季節はまた訪れてみたい。あいにく本堂は屋根の工事中で、お寺の方も取り込んでおられるようで心経を読んで後にする。
 あやバス若宮酒造前出発  正暦寺参道
 正暦寺本堂は屋根工事中
 あやべ市民新聞で取材してもらうことになっているので、鳥ヶ坪の社屋に急ぐ。一時間近く取材を受けるが、その中で「綾部33所巡礼でつらかったこと、苦しかったことは何ですか?」という質問に考え込んでしまった。雨の中や寒い中を素足で歩き通したが、つらいと思うことは無かったからだ。日帰り巡礼では歩く距離も十数キロで足腰が痛くなることもない。楽しいばかりでつらいことはなかった。
 朝倉記者にお礼を言い、炎天下の街に出る。府道の南を走る疎水沿いの道はおそらく昔の街道だろう。道標だとかお地蔵さんとか無いかなと思いながら歩くが、見つからない。大島町で左手に神社を見つけ昼食とする。大きな神社で、福田神社という。
 高津の辺りで一度府道に出、また一本南の旧街道を歩く。福知山市との境に郡界を表す石柱に出会う。何鹿郡と天田郡の郡境だ、やはりこれが街道だったのだと嬉しくなる。
 旧街道を西に歩むと  郡界の石柱に出会う

 郡境から西に行く道が街道のように見えるが、実は南に直角に曲がってぐるっと回って小滝先生宅の辺りに出るのが本来だそうだ。(先生談)古地図で調べるとその通りで、ぐるっと回る理由は解らない。
 西に真っ直ぐ行くと、地学の小滝先生のお宅がある。先生には老富のサンドラ岩の探検や上林の地形探究ですっかりお世話になった。実は大栗峠の地蔵の石室について調べたいことがあり、訪ねたいものと考えていたところだ。先生のお宅の前に来たとき、偶然表に出てこられた。不思議な縁があるものだ、早速玄関で話し込む。いつか大栗峠に同行されることを約してお宅をあとにする。
 一番札所観音寺はすぐ近くだ、折からのあじさいの季節で参道も駐車場も賑わっている。小藪住職は福知山高校の同学年のOBで、受付でその旨告げると、快く呼んで下さった。ところが当日は住職の講話が行われる日で、多忙を極めておられた様子で恐縮する。しばし受け付け横の休憩所で歓談する。巡礼を始めるというとたいそう喜んでいただき、お寺の一覧や地図などの資料をコピーしていただいた。
  観音寺はあじさい真っ盛り
 関東から新幹線、JRを乗り継いでお参りに来られた女性の話をされたが、「なんでこんな遠いところまでお参りに来られるのですか?」と住職が訪ねたところ、「(巡礼で)お参りすると疲れた心が安まるのです。」という返事だったそうだ。女性は公務員で、仕事上かなりストレスがあると言うことだった。月並みな話だが、巡礼の原点かもしれないなといたく感動した。巡礼をしていて思うようになったことだが、「お寺はこころのオアシス」特に歩いてたどり着くお寺は格別のオアシスである。
 朱印
 多忙な時間を割いていただいた住職にお礼を述べ、お参りをして帰路につく。合掌

 

  

 

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丹波西国道中記・初打ー1

2023-09-03 | 徒歩巡礼

2023.6.20(火)晴れ 丹波西国三十三所徒歩巡礼始める

 昨年12月16日、光明寺をもって綾部西国三十三所観音巡礼を結願した。続いて丹波西国徒歩巡礼に取りかかるべく予定だったのだが、その前に水源の里トレイルラン出場の大仕事が控えていた。残念なことにDNSとなり、傷心の日々を過ごすこととなった。2ヶ月あまりで心も体も回復し、いよいよ丹波西国に旅立つこととなった。綾部西国同様だが次のことを原則として取りかかることとする。

 1.札所間は必ず徒歩とし、行き帰りはできる限り公共交通機関を利用する。ただし、時間的制約が    ある場合、バイク 自家用車あるいは便乗など利用することもある。 

 2.仕事や日常生活を脅かさない。つまり休み、手すきを利用してまわるため、日帰りが基なるなる 

 3.往時の巡礼者が歩いただろう古道を歩く。廃道であったり危険と思われる場合は迂回路をとる。

 4.巡礼は修行と心得ているが、心身の解放でもある。道中で名所旧跡を訪ねたり、旧知に逢ったり                                         名物を食することは厭わない。

 5.計画した日程は、警報が発令される場合以外雨天、降雪でも実行する。ただし交通機関の運休等                                           の場合はこの限りではない。
 6.経費は節約を旨とする。必要以上に浪費すること無く、昼食は弁当持参を原則とする。

 ちっと厳しいようだが、この間巡礼に対する心境の変化が芽生えてきた。即ち「感謝、素直」などという今までなら信じられないような事柄が身についてきたようなのだ。感謝、素直なんてのは封建領主が領民を搾取するため、現代では経営者が労働者を体よく働かせるために使ってきた言葉だと考えてきた。PHPがやたらと素直だ感謝だとかき立てるのも、うさんくさく考えてきた。歳をとったせいなのか解らないが、今こうして元気に生活ができることに感謝の気持ちが湧いてくるし、何でも斜に構えていたのが素直にとれるようになってきた。感謝の気持ちが湧いてくると、「唯足るを知る」という心境になり、精神的にとても楽になってきたし、日々が実に充実してしている。信心深いわけでもないわたしが巡礼を重ねることでこのように変化してきたのなら、往古の人々が命を賭してまで巡礼に出かけた理由の一端が解るような気もする。

 

2023.6.20 一番札所 補陀洛山観音寺 このスタイルも当初は気恥ずかしかったが、猛暑の中実に涼しいのだ。

  

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土を喰らう十二ヶ月 1/16

2023-01-16 | 文化に触れよう

2023.1.16(月)雨

(補遺)「やすらぎの森」1/5の記事を見て、「妻の夢を叶えてあげることが愛情なのか」と気づかれた全国の愛妻家を称する皆さん、妻の夢や希望を御存じかな?「いやあ気がつかなかった、聞いてみよう」と早まってはいけませんぞ。
「あなたと別れてひとりで暮らすのが夢なのよ」ってなことになりかねないので、努努(ゆめゆめ)油断召されるな。

 「土を喰らう十二ヶ月」楽しみに待った映画を昨年の11月15日に京都まで出かけ観ることとなった。若者で賑わうTージョイのフロアがこの映画の時間帯のみ年配のご婦人で埋まることとなった。そう主演がジュリーなのだ。原作は水上勉の「土を喰う日々 わが精進十二ヶ月」で9年前に読んだ。(雨読2013.12.18参照)
 P1010964
 本書の中で、「約一ヶ年、軽井沢の山荘にこもって、畑をつくり、そこで穫れたものを中心に、私が少年時代から、禅寺でおぼえた精進料理をつくってみて、それでいわでものことを云いまぶして、料理読本というには不調法で、文化論というにしては非文化的で、人間論というにしては、いかにも浅底の、とにかく体をなさない妙な文章になりつつあるのを承知しながら、おだてるままに書きつないできたものである。」と水上氏は語っている。レシピ集ともエッセイ集とも言えるのだが、果たしてこれがどんな映画になるのかと楽しみにしていた。この映画の事は2年前に既に聞いていて、一体いつになったら出来るのかと思っていたが、それは映画を観て解った。きっちりと四季が撮られていて、どうやらセットではなさそうである。つまり最低でも1年はかかるわけだ。昨秋11月の始めに京都新聞、讀賣新聞に全面の記事が載ったが、映画を観終えるまでは見ないことにした。先入観なしに観たかったからだ。会場でパンフレットも買ったがこれもこの記事を書いてから読もう。
 さて「やすらぎの森」で培った映画の見方だが、あの原作をよくぞこの映画にされたかという思いがする。沢田研二ははまり役だとは思うが、犬のさんしょ同様もう少し痩せていて欲しかった。ストーリー性を出さなくではいけないのだろうが、松たか子扮する真知子が恋人であるというのはいただけない。
 さてこの映画の主題は何だろうかと考えたとき、映画の中に生老病死の画面が出てくることが解る。老いること、病気になること、死ぬことの場面があるが、誕生の場面は出てこない。生を老病死の始まる誕生と言うより老病死を含んだ生きることと考えれば、ツトムが「生きたい」と語った場面は将に生であるし、生きることは食べること、食べることは生きることという原作の趣旨が活かされているのではないかと思うのである。


 年が明けたら福知山でも上映されることとなった。慌てて京都まで出かけなくてよかったのか。
この記事を書き終えてゆっくりパンフレットや新聞記事を読んでみたい。

 

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やすらぎの森 1/5

2023-01-05 | 文化に触れよう

2023.1.5(木)曇、雨

 2022.5.27(金)に観た映画である。記事はノートに書き留めていたのだがどういうわけかPCに向かう気がしなくなり、今日まで来た。

 カナダ、ケベック州の深い森の中、湖の畔に3人の世捨て人が暮らしている。そこへ精神科療養所に60年も収容されていたジェルトルードという老婦人が現れ、彼らと一緒に暮らすようになる。凍てついた彼女の心も溶け始めたころ近隣で山火事が起き、彼らは新たな決断を強いられる。というのが予告編で流れ、これは観ないわけにはいかない。
 最初はどんなシチュエーションか探るのに必死になる。森も湖も確かに美しいところなんだけど、何か暗い感じがする、北八ツの雨池を思いだす。美しいけれど不気味なんだ。それがなぜか、やがて解ってくる。彼らは心に深い傷を負って、この地に死に場所を求めてやってきたのだ。まずテッドが心臓発作で死んでしまう。彼の心の傷は大規模な山火事で村人の多くが焼死したことだ。偶然助けた娘が彼を慕ってこの地に来るのだが、それも受け入れられないほど彼の心の傷は深い。英題のAnd the Birds Rained Downはその山火事のことを示している。テッドは自らのアトリエに多くの真っ黒な暗い絵を残しているのだが、あの暗い絵こそ例の山火事を表しており、彼の心の暗闇が描かれているのだろう。
 次にトムが生きていくことに自信を無くして自殺するのだが、驚くことに彼らは皆自殺用の青酸カリを持っているのだ。そして死のうと決めたら、自ら墓穴を掘ってその中で薬を飲むのだ。愛犬も一緒に飲ませるのだが、動物愛護視聴者からの批判もあったのだろう、「実際の犬には危害を加えておりません」という旨字幕の説明があった。
 後に残されたチャーリーとマリー(ジェルトルードはマリー・デネージュと改名)は森を捨てることとなる。麻薬捜査官が迫っているのだ。彼らは大麻を栽培し生計を立てていたのだ。
 わたしはこの歳になるまで沢山とは言えないがいくつかの映画を観てきて、初めて映画の見方が解ったような気がする。いままでは漫然とスクリーンを眺めて、感動したとかつまらないなとか思うだけなんだが、娯楽映画やドキュメント映画ならそれでいい。だがこういった芸術的な(と言って良いのだろうか?)映画はそうはいかない。画像とセリフを必死で見聞きして、作者は一体何が言いたいのだろう、何を表現したいのだろうと探さねばならない。丁度絵画を観賞するようだ、様々な想像をかきたてる。絵画は一コマの静止画だから、そこから意図を読み取るのは大変困難だが映画は映像とセリフがあるのでもう少し易しい。易しいけれど、細心の注意を払っていないと見落としてしまう。
 わたしが見落としたのは、チャーリーたちが森を捨てるとき、あの青酸カリの瓶を机から出したのは見たのだが、その瓶を持っていったのか、ゴミ箱に捨てていったのかというところである。記憶では胸のポケットに入れたように思えるのだが、それだと作者の意図に反しそうだ。チャーリーが生きる希望を見つけたのなら、あの薬は捨て去るべきだ。
 ラストシーンはチャーリーとマリーが新しい家で暮らし始めたところだが、何気なく一台の乗用車が家の前を通り過ぎる。何気ない一コマだが、この映画の一番素晴らしい場面だと思う。森を出るときマリーは「車の見える所に住みたい」と洩らしていたのだ。愛するということは、その人の夢を叶えてあげるということなのではないか。このように影像の一コマ、セリフの一言で作者のモチーフを表現するこの映画は「まるで宝石のような、特別な映画」(RadioCanada)「示唆に富み、心を揺さぶる」(The hollywood Reporter)という評がぴったりだ。
 もちろん絵画のように見る人によって見方は違うかもしれないが、わたしの思いは、「もう死ぬ以外にないという絶望的な人間でも、愛する人が出来れば希望を持って生きていけるということと、愛するということは、その人の夢を叶えてあげるということ」だとたどり着いた。
 なんか映画の見方が解ったような気がして、とても嬉しい作品だった。
舞鶴のシネグルージャさんで放映された。

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第15回大江山登山マラソン 9/18

2022-09-18 | 文化に触れよう

2022.9.18(日)晴れ

 台風直前の一瞬の合間に大江山登山マラソンは開催された。前日に台風情報を聞く限り、中止もしくは競技変更(10KmRUN)が予想されモチベーションは下がりきっていた。開催可否の決定時間(6:00)になっても何の音沙汰もないので慌てて準備しながら、モチベを上げていく。会場に向かいながら、レース着に着替えたりしながらやる気満々になってきた。なにせこの大会のために4ヶ月も準備してきたのだから、、。
 スタート前、なぜか緊張感はまるでない。
 曇りまたは涼しい天気なら水は500ccでよいかなと思っていたが、台風前の高温と時折の日差しで暑さを覚悟し1リットルを持って行く。食料はエネバー4本とおにぎり1個、かなりの重装備だ。晴天の中をスタートし、双峰公園までの6.8Kmはきつい登りの林道だ。ここは作戦通りKm/10分を超えたら歩くことにする。その方が消耗が少ないし、返って早いのだ。稜線には試走時より20分早く到着、千丈ヶ嶽(832m)鳩ヶ峰(746m)も先ほどの作戦で歩きと走りを交互に行う。水は鳩ヶ峰で500ccを飲み干した。大江山林道の関門も制限時間より20分早く通過、完走のめどは立った。実は試走時(8月30日)のタイムは制限時間一杯だったので、不安を抱いていた。鍋塚(763m)を越えていよいよ下りなんだが、石がごろごろしていたり階段が続いてすこぶる走りにくい。時間を稼げる下りが、少しもタイムが上がらない。それでも下りの林道になるとkm/6分で走れる。水はかや山の家で1000ccも飲み干し補充する。かや山の家では制限時間に20分余裕を持って到着、残り6.5Kmなんだが実はこのロードがきついのだ。腰が曲がってしまい、ピッチが上がらない。時々ふくらはぎにぴりぴりっと違和感が走る、山登りのストレスが溜まっているのだろう。とにかく走ろうとするが、歩いている選手に追いつけない。ゴール前の坂では遂に歩いてしまった。
 結果 89位(50歳以上男子181人中)
    3時間47分51秒
 だいたい狙っていたタイムで、満足満足!
 走ってきた峰峰を望む。
長距離の稜線でサポートしていただいたスタッフの方々、自衛隊や警察の方々、会場や駐車場でのスタッフの方々そして道々で応援していただいた地元の皆様、本当にありがとうございました。

 

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大響ワンダフルコンサート 9/4

2022-09-04 | 文化に触れよう

2022.9.4(日こ)曇り

 昨秋以来のコンサートは、交響曲でなく映画音楽の特集だった。余り気が進まなくて誰かにチケット譲ろうとしたんだけど、誰ももらい手が無くて出かけたのだが、結果大変満足で行ってよかった。
 大響は昨年春に田園と運命を聴かせてもらいとても感激したのだが、ステージが和やかで親しみやすい感がする。いきなり「男はつらいよ」で始まるんだけど、オーケストラで聴くとこれがなかなかの迫力で楽しい。「エデンの東」「サウンドオブミュージック」「アダージェット(ベニスに死すのテーマ)」「シェルブールの雨傘」などなど映画のシーンが思い起こされ、生で聴くのはとても心地よい。
 2部ではゲストにトランペッターのエリック・ミヤシロ氏が登場、この方もステージが面白い。「ロッキーのテーマ」は迫力満点で、映画は全部見ただけになにか勇気が湧いてくる。最後はチックコリアのスペインで、これはアランフェス協奏曲のアダージョがイントロに使われていて有名なんだが、トランペットってやっぱジャズに合うんだなあと思った。あっという間の2時間で、この間現実をはなれて別世界に居られるというのは、ストレスフリーで充実した日をおくる最良の薬だと思われる。次は抽選なんだけど京響の演奏会があり、大好きなブラームスの1番があるんだ。

開演前のわくわく感が堪らない。

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大往生 7/15

2022-07-15 | 雨読

2022.7.15(金)雨

「大往生」永六輔著 岩波新書 古書
 
 店の書棚(丹州行ってき文庫)を整理していると、本書が出て来た。見ると古書のようだが、いつどうして購入したか記憶に無い。新聞の書評かなんかで紹介されていて、買ったものらしい。読んでみると実に面白い、一気に読んでしまった。庶民の言葉で生老病死の四苦を笑い飛ばそうという趣旨かと思いきやそれだけでは無さそうだ。
 気に入ったフレーズを一部紹介。 
「歳をとったら女房の悪口を言っちゃいけません。ひたすら感謝する、これは愛情じゃありません、生きる知恵です」
「老人を預けに来た家族が週休二日制でさ、その老人を世話している俺たちが、なんで休みがとれないんだよ!他人に親を押しつけやがって、面会に来て孝行面をするんじゃねエよ」(ママ)
これはわたしが実際に聞いた言葉「えっ母の日だって、今日働いてるのはみんな母親だよ」
 「癌の確立は四人に一人とかいいますけどね。当人にとって見ればゼロか百なんですよね。」(ママ)
 「医者は危ない手術はしません。下手をして訴えられたりするよりは、様子を見ましょうといってる方が楽ですからね」
 「寝ているところを起こして、時間ですからって睡眠剤を飲ませるんだぞ。凄い病院だろう」
 「お釈迦様は安らかに大往生ですよね。大勢の弟子や、動物にも囲まれて、、、。釈迦涅槃図って、あの絵はおだやかでいい絵です。あんな死に方、いいなと思います。比べちゃいけませんけどね、キリストの死に方は痛そうでねエ」
「集中治療室のデータをコンピューター処理したら、異常なしという結果が出たんだけど、その時、すでに患者は死んでいました。その場合、生きているのが異常だったというんですけどね」
 「当人が死んじゃったということに気がついてないのが、大往生だろうね」
 「ご主人が亡くなって、未亡人がそこにいるのに、お参りに来て、未亡人より泣く、女っていうのがいるのよね。アレ、とても失礼だと思う。私だったら怒っちゃうわ」
とまあキリが無いのだが、これだけ見たら読んでみたいと言う気になるだろう。だが先に述べたように本書の目的は生老病死にまつわる庶民の声を集めただけではない。本書の一番始めに「この本は、亡き父、永忠順に捧げる」とある。浄土真宗の寺に生まれ育って坊主になりそこなった私は、それなりに「死」を身近に考えてはきた。という永氏が父親を看取り、周囲の親友を亡くして、「私なりに死をまとめてみよう」というのが本書の意図である。修証義(道元)の「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」わたしの最も大切にしている一文なのだが、まさに永氏なりの明らめ方が本書にうかがえる。若い時分には決して見つけられなかっただろう生死に対する思いが、この歳になって気づく一冊である。合掌。

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ひまわり 5/13

2022-05-13 | 文化に触れよう

2022.5.13(金) 
 久しぶりの映画を観る。ロシアのウクライナ侵攻と相まって、今各地で上映されていて是非多くの方に観ていただきたい作品だ。1970年の作品ということで、50年以上前の作品なんだが、ヘンリーマンシーニのテーマ曲が連日ラジオから流れていたのを憶えている。映画自体は観たことがなかったのだが、舞鶴のシネグルージャさんがやっておられるというので、休みの日に出かけた。
 戦争の悲惨さは死に別れることが最大だろうが、映画のストーリーとしては夫婦が引き裂かれるという悲惨さを描いている。本来美しくも明るいはずのひまわり畑がかくも悲しく映るのは、その畑がウクライナにあるということでひとしおである。わたしは丘の上に永遠に続く無数の墓標が印象に残った。あの墓標のひとつひとつに計り知れない悲しみがあるとしたら、戦争というのはなんと残虐で愚かしいことかと思わせるのである。ひと組の夫婦だけでもこんなに悲しいことがあるというのに、、、そして今現実にその地で悲劇が繰り返されているのだから、なんとも痛ましい事である。

一日も早く平和が訪れますように、祈るばかりである。

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どらほー睡眠法(12) 3/19

2022-03-19 | 健康

2022.3.19(土)曇り 褐色脂肪細胞は存在するか?

 褐色脂肪細胞とは体脂肪、内臓脂肪などのカロリーをため込む白色脂肪細胞と違って代謝を高め熱エネルギーを産生する細胞のことで、幼児期に多く分布し年齢と共に減少していく脂肪細胞である。昨今ではダイエット目的でネット上によく現れているが、一般的には余り知られていない組織である。わたしが初めて知ったのは2019年「サバイバルボディー」(スコット・カーニー著)を読んだとき、アイスマンことヴィム・ホフの話で知った。「ホフの能力の高さはミトコンドリアの豊富な褐色脂肪細胞(BAT)、つまり褐色脂肪細胞が密集している組織が原因ではないかと考えた。このほとんど知られていない組織は、燃料となる普通の白色脂肪細胞を代謝して体を急速に温める事が出来る。」ホフは北極の氷の下を50mも泳いだり、氷水に72分も浸かる実験をこなしたりしていた。

サバイバルボディーの左下、氷の海で泳いでいるのがホフ。
 褐色脂肪細胞は大部分が幼年期に消えるとされており、51歳のホフが20歳代の5倍もの熱エネルギーを生み出したのは褐色脂肪細が密集していたというのも信じられない話である。とんでもないトレーニングで超人的な身体を作り上げる「サバイバルボディー」を素直に信じるわけにはいかなかった。果たして成人に褐色脂肪細胞が存在することがあるのだろうか。ここ数年の疑問でもあった。
 本書「Body Temperature」ではっきりした。褐色脂肪細胞は幼児期、特に新生児の頸部、肩甲骨間、腋、心臓周辺、後腹膜に出現し、やがて減少していく。

Body Temperature」からの写真だが、新生児の褐色脂肪細胞分布を示している。筋肉が無く、ふるえ熱産生ができない新生児にとって重要な臓器のある位置に褐色脂肪細胞が存在していると考えられる。成人になっても肩甲骨間等には存在するようで、冷水シャワーなどすると最も冷たく感じる部分で、風門などのツボのところである。これはとても興味深いことだ。


 成人では消滅するとされていたが、近年成人でも鎖骨下や大動脈周辺に存在することが解ってきた。また白色細胞から発生するUPC1を発現するベージュ細胞も同様に存在すると言われている。(褐色脂肪細胞はミトコンドリアが豊富でUCP1という熱産生にかかわる特異的なたんぱく質を発現している)結局成人でも褐色脂肪細胞は減少しながらも存在し、新たに同様の機能のあるベージュ細胞も存在しているということだ。
 これは大変喜ばしいことである、ダイエットはともかく体温調節機能としての褐色脂肪細胞は健康に生きるために大変重要な意味をなすと考えられる。つづく
 

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