2023.6.20(火)晴れ 丹波西国三十三所徒歩巡礼始める
昨年12月16日、光明寺をもって綾部西国三十三所観音巡礼を結願した。続いて丹波西国徒歩巡礼に取りかかるべく予定だったのだが、その前に水源の里トレイルラン出場の大仕事が控えていた。残念なことにDNSとなり、傷心の日々を過ごすこととなった。2ヶ月あまりで心も体も回復し、いよいよ丹波西国に旅立つこととなった。綾部西国同様だが次のことを原則として取りかかることとする。
1.札所間は必ず徒歩とし、行き帰りはできる限り公共交通機関を利用する。ただし、時間的制約が ある場合、バイク や自家用車あるいは便乗など利用することもある。
2.仕事や日常生活を脅かさない。つまり休み、手すきを利用してまわるため、日帰りが基なるなる
3.往時の巡礼者が歩いただろう古道を歩く。廃道であったり危険と思われる場合は迂回路をとる。
4.巡礼は修行と心得ているが、心身の解放でもある。道中で名所旧跡を訪ねたり、旧知に逢ったり 名物を食することは厭わない。
5.計画した日程は、警報が発令される場合以外雨天、降雪でも実行する。ただし交通機関の運休等 の場合はこの限りではない。
6.経費は節約を旨とする。必要以上に浪費すること無く、昼食は弁当持参を原則とする。
ちっと厳しいようだが、この間巡礼に対する心境の変化が芽生えてきた。即ち「感謝、素直」などという今までなら信じられないような事柄が身についてきたようなのだ。感謝、素直なんてのは封建領主が領民を搾取するため、現代では経営者が労働者を体よく働かせるために使ってきた言葉だと考えてきた。PHPがやたらと素直だ感謝だとかき立てるのも、うさんくさく考えてきた。歳をとったせいなのか解らないが、今こうして元気に生活ができることに感謝の気持ちが湧いてくるし、何でも斜に構えていたのが素直にとれるようになってきた。感謝の気持ちが湧いてくると、「唯足るを知る」という心境になり、精神的にとても楽になってきたし、日々が実に充実してしている。信心深いわけでもないわたしが巡礼を重ねることでこのように変化してきたのなら、往古の人々が命を賭してまで巡礼に出かけた理由の一端が解るような気もする。
2023.6.20 一番札所 補陀洛山観音寺 このスタイルも当初は気恥ずかしかったが、猛暑の中実に涼しいのだ。
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