テスラのCEOであるイーロン・マスクが世界長者番付で1位になった。経営コンサルタントの竹内一正さんは「世界一の億万長者になったイーロン・マスクだが、いまでも現場の最前線で働き続けている。ときには週に120時間も働き、工場に寝泊まりしながら問題解決に挑むことも珍しくない。彼を突き動かしているのは『過大な使命感』と『過剰な自信』だ」という――。
億万長者であり世界一多忙なCEO
イーロン・マスクは世界長者番付で第1位に輝く億万長者だ。推定資産額は人類史上初の3000億ドル(約34兆円)を超える。
だからといって、ほかの富豪のように豪華な食事を楽しんだり、別荘でゆったりくつろいでいる時間はない。なぜなら、テスラ以外にも宇宙開発企業「スペースX」のCEOとしての仕事もしなければならないからだ。
そのほかにも、人間の脳とコンピュータをつなぐ科学技術の研究会社「ニューラリンク」や、地下トンネルを自動車で高速移動する交通手段の開発会社「ボーリングカンパニー」にも時間を割いている。
6人の男の子の父親でもあるイーロンはハードワークを好む。週100時間以上、ときには120時間も働く。ロサンゼルス近郊から現在はテキサス州に引っ越したが、テスラの本社はカリフォリニア州のシリコンバレーにあり、近くのフリーモント工場で販売絶好調のモデル3の組み立てを、ネバダ州のギガファクトリーでは搭載するリチウム電池を製造している。テキサス州オースチンにはギガファクトリーを建設中だ。
なお、テスラ本社は先日テキサス州への移転を決定したものの、カリフォルニアとネバダの工場はさらに50%の拡大予定だ。
イーロンがCEOを務めるもうひとつの企業「スペースX」はロサンゼルスに本社と工場があり、自社の打上げ場はフロリダ州に3ヶ所とテキサス州ボカチカにある。
自宅のあるテキサス州からスペースXのあるロサンゼルス空港や、テスラ近くのサンノゼ空港までは飛行機でも3時間以上かかる。仕事の拠点間の移動だけでも大変だが、イーロンはそんなことは気にかけていない。
テスラで一番働いているのはイーロン・マスク
イーロンは以前に南カリフォルニア大学マーシャル経営大学院のスピーチで「とにかくがむしゃらに働くことが大切だ」と述べていた。
そして、「他の人が50時間働いている間に100時間働けば、2倍のことが達成できるはずだ」と学生たちに語りかけたとおり、イーロンがスーパーハードに働く姿をテスラやスペースXの社員たちは日常的に目にしていた。
「テスラで一番働いているのはCEOのイーロンだ」と社員たちは口をそろえて言う。イーロンは生産ラインで作業することを厭(いと)わず、ブランド物のスーツが汚れることも気にしない。全身全霊で仕事に打ち込むイーロンの姿を見て、社員たちは奮い立つのだった。
スーパーハードに働くイーロンだが、彼が工場で寝ている姿も従業員たちはよく目撃していた。
テスラのある社員は、机の下で丸まって寝ているイーロンを見つけたことがあったし、別の社員は、工場の警備員が立っていた近くにあるテーブルの下で毛布にくるまって寝ているイーロンを発見した。
猛烈に働き、バッテリーが切れるとイーロンは工場の床でも、会議室でもどこでも寝るが、それは長い時間ではなく、充電すれば再起動して頭をフル回転させ、社内を飛び回り、技術者と議論を始める。
自動化ロボットが役に立たず生産がストップ
テスラの3万5千ドルのEVセダン「モデル3」は販売が絶好調で、2020年にテスラが時価総額でトヨタを抜き、世界一の自動車メーカーになった原動力であり、今年9月には欧州でガソリン車を抜いて最も売れた自動車になった。
モデル3は従来のクルマと大きく違って、フロアのシフトレバーも、サイドブレーキも、スピードメーターもない未来型のEVで、予約注文だけで40万台を超えた。
ところが、量産立上げ時は製造現場が混乱に陥り出荷が遅れた。原因は生産ラインの過度な自動化だった。自動化ロボットが役に立たず、リチウム電池工場ではバッテリーモジュールの生産が止まり、組み立て工場ではロボットが部品をつかみ損ねるなどして、モデル3の出荷が遅れた。
このとき、CEOのイーロン・マスクは何をしていたか?
製造ラインに飛び込んで、工場に寝泊まりし問題解決に連日奮闘していた。それでも出荷台数の挽回は一筋縄ではいかず、ついに工場の外にフットボール場ほどの巨大テントを立てて生産ラインを新設し、生産数量を増加させてなんとか注文に応えていった。
工場長であり設計課長でありCEOでもある
世間にはハードワークだけの社長は多くいるし、長時間労働のブラック企業の話も残念だがよく聞く。
しかし、イーロンは単に長時間労働をしているのではなく、マルチタスクで対応している。それも似たような二つの仕事を並行してこなすのではなく、両極にある二つの“物差し”で物事を捉え、実行に移している点が他の経営者と大きく異なる。
例えば、地上のクルマをすべてEVに置き換える(約1億台)とイーロンは壮大な目標を掲げ、出資者から巨額の資金を集めながら、その一方で、テスラ車の出荷がもたつけば、製造現場に飛び込んで泥臭い問題の解決にあたり、EV設計の材質や寸法にまで口を出していた。
価格が7万5千ドルを超える高級EVセダン「モデルS」で採用した17インチタッチパネルは、イーロンがデザイナーと共に試作車にノートPCを持ち込み、細部にわたって議論して決めたものだった。まだアップルのiPadが登場する以前のことだ。また、インバーターから出る微かな音を気にして設計変更を命じたこともあった。
しかし、こんなことはこれまでの経営者は決してやらなかった。というより、できなかったのだ。
ビジネススクールの教えに従えば、製造現場のことは工場長に任かせ、設計のことは設計課長に任せる。社長は、銀行や取引先との交渉など大きな仕事をやる。それが役割分担だ。
社長に、「製造ラインの歩留まりが低くて困ってます」などと直訴する製造担当者はいなかったし、もしそんなことをすれば、「社長のワシにそんな細かいことを言ってくるな!」と一括されるのが関の山だ。
“二つの物差し”を兼ね備えている
仕事の役割を分担するには分けがある。人の思考回路にはそれぞれ“物差し“があるからだ。
大きな物差しが必要な仕事をやっていると、小さな物差しの仕事はわからなくなる。逆に、小さな物差しの仕事をやっている人は、大きな物差しの仕事は理解できないものだ。
例えば、電子部品の技術者はミクロンメートル単位で設計を考えるが、山間部のダムの建設技術者はその100万倍のメートル単位で図面を描く。その結果、電子部品の技術者に巨大なダムを設計させても上手くいかない。思考の物差しの大きさが全く違うからだ。
ところがイーロンは「大きな物差し」と「小さな物差し」の両方を兼ね備えている。
5000億円規模の巨大電池工場「ギガファクトリー」建設を進めながら、テスラ車のドアノブに関してはミクロン単位の設計値に技術者と議論を戦わせることができるのも、こうした両極にある2つの物差しで問題を捉え、実行に移す能力故のことだ。しかし、常識では、“あり得ない働き方”であった。
現場に入りたがるCEOは迷惑か?
もし、大きな物差ししかイーロンが持ってなかったら、小さな物差しで日々動く現場の問題をイーロンは理解することができず、製造現場のやる気は下がってしまう。その結果、イーロンと部下との間に大きな溝が出来て、テスラは倒産したのではないか。
では、逆に、小さな物差ししか持ってなかったら、大きな目標は決して掲げられない。そうなると世間の注目も集まらないし、多額の資金も獲得できなかっただろう。
CEOが製造ラインに入って、工場で寝泊まりしては必死に働いている姿を目の当たりにすれば、現場の社員のモチベーションは上がる。自分たちの仕事の苦労が分かってもらえ、仕事への情熱が沸く。
ただし、イーロンが現場で必ず最適の判断を下すとは限らず、時には混乱や、社員の離反を招くこともあった。だが、総じてみれば、イーロンのありえない働き方は、これまでのところ見事に成功している。テスラの時価総額が1兆ドルを突破したことが何よりの証左だ。
イーロン・マスクの「過大な使命感」と「過剰な自信」
テスラの最初のEV「ロードスター」の時も、高級セダン「モデルS」の時もイーロンは製造現場に入って出荷台数を上げるべく奮闘してきた。
だが、なぜ大富豪のイーロン・マスクは現場に入りたがるのか?
イーロンには、人類と地球を救うという「過大な使命感」と、それは自分にしかできないという「過剰な自信」に突き動かされているからだ。話を2002年に遡ろう。この年にスペースXを興したのだが、その目的は、人類を火星に移住させるためのロケットを作ることだった。
環境悪化が進む地球で人口がこれ以上増えれば、人類はいずれ地球で暮らせなくなる。ならば、人類は他の惑星でも暮らすことができる“多惑星種”になるべきとイーロンは考えた。他の惑星とはつまり火星で、火星に移住し文明を築くためには地球間を何度も往復できる安いロケットが必要だ。
しかし、すぐに火星ロケットが作れるわけではなく、その間も地球温暖化は進んでいく。そこでCO2をまき散らすガソリン車に代わってEVを普及させようとテスラの経営に乗り出したのだ。
トヨタは自社の車を売ることが一番の目的だが、テスラは違う。持続可能エネルギーへの世界的な移行を推し進めることがテスラの目的だ。だからテスラは太陽光パネルを製造し、家庭用から発電所用の大規模まで対応する蓄電池製品も作り、垂直統合型のエネルギー企業となった。
この経営姿勢は当時は理解してもらえなかったが、SDGsが叫ばれるようになり昨今やっと世間がイーロンの発想に追いついた。
「たとえテスラが潰れても構わない」とEV特許を無償で公開
テスラが苦労して取得した虎の子のEV特許を2014年に無償で公開したのも、EV普及の速度をあげようとしたためだった。その結果「たとえテスラが潰れても構わない」とまで言い切ったイーロンの姿勢にその一端が表れている。
人類と地球を救うことは自分にしかできないとの「過大な自信」がイーロンを突き動かし、製造現場に足を運ばせる。
テスラのEVは常に進化している。初代のロードスターから最新のモデル3まで、毎回新たな技術に挑戦しているから量産立上げで苦戦する。しかも、生産ラインも進化させているから、苦労は2倍以上になる。
イーロンがテスラの製造現場に入ることについては、「CEOはもっと大所高所から経営を見るべきだ」と株主からも批判が多い。
だが、2023年に予定している2万5千ドルのEVの量産立上げでも、「過大な使命感」と「過剰な自信」を纏(まと)って、イーロンはきっと製造現場に入ると著者は予想する。
映画「アイアンマン」のモデルにもなったというイーロンだが、今年で50才になった。アイアンマンのように自ら先陣を切ってその時も超人的な戦いを続けられるのか、世界は注目している。
---------- 竹内 一正(たけうち・かずまさ) 経営コンサルタント 1957年生まれ。徳島大学大学院工学研究科修了。米国ノースウェスタン大学客員研究員。松下電器産業(現パナソニック)に入社。PC用磁気記録メディアの新製品開発、PC海外ビジネス開拓に従事。その後アップルコンピュータ社にてマーケティングに携わる。日本ゲートウェイを経て、メディアリングの代表取締役などを歴任。シリコンバレー事情に精通。現在、コンサルタント事務所「オフィス・ケイ」代表。著書に『TechnoKING イーロン・マスク 奇跡を呼び込む光速経営』(朝日新聞出版)、『アップル さらなる成長と死角』(ダイヤモンド社)、『世界で最もSDGsに熱心な実業家 イーロン・マスクの未来地図』(宝島社)などがある。 ----------
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