24日放送の「SONGS」(NHK総合)で、X JAPANのYOSHIKIがバンドの解散や再結成に至るまでの道のりを振り返り、涙声になる場面があった。
番組ではX JAPANを特集し、NHKに残る30年間の貴重な映像と共に、リーダーであるYOSHIKIのロングインタビューを放送した。
インタビューの中でYOSHIKIは、代表曲「紅」で一躍人気バンドになった当時を振り返り、「ちょっと大げさですけど『生きてて良かった』なくらいに、『やってきたことが正しかったんだな』と思えた瞬間でした」と語った。
X JAPANは92年に拠点をロサンゼルスに移し、現地のレコード会社と契約。だが、ボーカル・Toshlの発音問題が壁になり、海外進出を断念した。そして97年にはToshlの自己啓発セミナーへの傾倒や「X JAPAN」の解散、解散から5カ月後にギタリストのHIDEが33歳の若さでこの世を去るという悲劇が連続して襲った。
YOSHIKIは「どん底に落ちた。すべてが崩れ、その壁に埋もれてしまった」と振り返り、X JAPANの復活は全く考えていなかったという。しかし、2006年にYOSHIKIの元にToshlから連絡があり、8年ぶりの再会を果たしたことで状況は一変した。
このときふたりは、音楽の話はせず「小学校のときにああいうヤツいたよね」などの昔話に花を咲かせたという。しかしYOSHIKIから見ると、Toshlは昔とは変わってしまっており、「何十年も一緒だったんで、目を1つ見れば分かったんですね」「僕の知ってるToshlじゃなかった。でも何か一緒にやっていけば、知ってるToshlが戻ってくるんじゃないかなっていう…」とYOSHIKIは涙声で語った。
ふたりは語り合った後、亡きHIDEを想い作った曲「Without You」を演奏したのだとか。YOSHIKIは「その歌声を聞いてると、決して苦しくない、楽しかった時代のX JAPANも、Toshlとの思い出も、自分の中でよみがえってきて…」と感慨深げに話した。
Toshlとの再会から1年後の08年にX JAPANは再結成を果し、東京ドームで復活ライブを行った。現在、X JAPANは世界で精力的に活動を進めており、全世界同時リリースとなる20年ぶりのオリジナルアルバムも製作中という。
番組ではX JAPANを特集し、NHKに残る30年間の貴重な映像と共に、リーダーであるYOSHIKIのロングインタビューを放送した。
インタビューの中でYOSHIKIは、代表曲「紅」で一躍人気バンドになった当時を振り返り、「ちょっと大げさですけど『生きてて良かった』なくらいに、『やってきたことが正しかったんだな』と思えた瞬間でした」と語った。
X JAPANは92年に拠点をロサンゼルスに移し、現地のレコード会社と契約。だが、ボーカル・Toshlの発音問題が壁になり、海外進出を断念した。そして97年にはToshlの自己啓発セミナーへの傾倒や「X JAPAN」の解散、解散から5カ月後にギタリストのHIDEが33歳の若さでこの世を去るという悲劇が連続して襲った。
YOSHIKIは「どん底に落ちた。すべてが崩れ、その壁に埋もれてしまった」と振り返り、X JAPANの復活は全く考えていなかったという。しかし、2006年にYOSHIKIの元にToshlから連絡があり、8年ぶりの再会を果たしたことで状況は一変した。
このときふたりは、音楽の話はせず「小学校のときにああいうヤツいたよね」などの昔話に花を咲かせたという。しかしYOSHIKIから見ると、Toshlは昔とは変わってしまっており、「何十年も一緒だったんで、目を1つ見れば分かったんですね」「僕の知ってるToshlじゃなかった。でも何か一緒にやっていけば、知ってるToshlが戻ってくるんじゃないかなっていう…」とYOSHIKIは涙声で語った。
ふたりは語り合った後、亡きHIDEを想い作った曲「Without You」を演奏したのだとか。YOSHIKIは「その歌声を聞いてると、決して苦しくない、楽しかった時代のX JAPANも、Toshlとの思い出も、自分の中でよみがえってきて…」と感慨深げに話した。
Toshlとの再会から1年後の08年にX JAPANは再結成を果し、東京ドームで復活ライブを行った。現在、X JAPANは世界で精力的に活動を進めており、全世界同時リリースとなる20年ぶりのオリジナルアルバムも製作中という。
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