***********************************************
8.1 発表する
人を目の前にして表現する
文章を書くときも、それを誰がどんな状況でどのように読むのかに思いをはせることが大切なことはすでに前章で述べました。
しかし、文章を書く作業そのものは、まったくの孤独な作業です。読んでくれるであろう人に時折は思いをはせても、書く内容をどうするか、どのように表現するかのほうにより頭を使うことになります。 これが、発表となると、そうはいきません。
発表しているその場に、聞いて欲しい人々がいます。否が応にも、受け手を意識せざるをえません。これが、発表と文章表現の大きな違いです。
中高生での発表は、教室でのよく知った仲間を相手にすることがほとんどだと思いますが、不特定多数相手の場合には、想定される聴衆をあらかじめ分析することが必須です。
図には、聴衆分析の1例を示しておきます。
図 関連知識の多少と動機づけの高低の観点からの聴衆のタイプ分析 ***pp
場合によっては、自分の発表は、こんな人に聞いて欲しいと宣言するようなことがあってもよいと思います。
発表力の文化差
話を先に進める前に、大事な余談を一つ。
発表は、英語では「プレゼンテーション(presentation)」、日本では省略して、プレゼンとも言います。 そのプレゼンが、アメリカ人とくらべると日本人はひどくへたなのです。
最も基本的なところでは、「自己主張」の違いがあります。自分の中に、これが言いたい、聞いてもらいたいというものがあってはじめてプレゼンが成り立ちます。ここのところに、まず、我彼の違いがあります。
日本人のプレゼンで実にしばしば、「これは私の個人的な意見ですが、---」とか「私の独断と偏見かもしれませんが、---」といった枕詞が出てきます。 聴衆からすれば、意見、独断、偏見こそ聞きたいことなのです。そんな枕詞は不要です。プレゼンでは、大いに、意見、独断、偏見を披露してよいのです。それをきっかけに、質疑応答が活発になれば、プレゼンの目的は半ば成功なのです。
アメリカの学会にはじめて参加してびっくりしたことは、発表が終ると、質問者が会場のマイクの前に行列する光景でした。日本では、司会者がお義理の質問を一つか2つしておしまいというのが常です。ここにも、自己主張の強さの違いが反映しています。 さらに、プレゼン技法も雲泥の差があります。
プレゼンは、文章表現とは違って、表現者が聴衆の面前に出てきます。発表する内容もさることながら、声の調子、顔の表情、視線、からだの動きが、衆目にさらされます。その巧拙がたちどころにプレゼン効果としてはねかえってきます。 これが日本人はへたなのです。というより、あえて、技法を使わない控え目なプレゼンがよいとする発表文化があるのでは、とさえ思ってしまいます。
なお、これは文化差ではありませんが、厚生労働省が03年12月におこなった1472社へのアンケート調査では、新規採用で重視するとしたのは、「コミュニケーション能力」が最多で86%にものぼります。2番目が「基礎学力」71%でした。
こんなことにも思いをはせながら、以下、発表を効果的にするための考えどころを提案してみたいと思います。