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ポジティブマインドづくり「人生最高の瞬間の回想」

2009-10-04 | ポジティブ心理学
ポジティブマインドづくり「人生最高の瞬間の回想」

どんな人にでも、これまでの人生で
「あのときは良かったな」と思える瞬間があるはずです。
そんな瞬間を時折思い出せる人は、幸せです。
そして、
そうした回想は、今の心を幸せにする力もあります。

一日一回、それまでの人生で心おどらされた瞬間を思い出す習慣をつけてみよう。
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考えてみよう(回想療法 快原理)
●これまでの人生を振り返って、最高に心おどらされた瞬間を挙げてみよう。
例 大学に受かったとき

●そのときの情景を思い出してみよう(フラッシバルブ記憶)
例 合格の証明をもらうおうと窓口にいったら、「ないですねー」「いや、ありました」とおとこの事務官に言われた。
 


心は鍛えれば強くなるのですか

2009-10-04 | 教育
Q1-* 心は鍛えれば強くなるのですか---心の陶冶  

身体は鍛えれば強くなることを実感できます。筋肉が付き、技能も向上します。
心にも同じことが言えそうですが、事は思ったほど簡単ではありません。 簡単ではないのは、「心」と「鍛える」と「強くなる」の意味内容にかかわります。  

この質問の根源にある問題に答えるのには、学校教育ではどんなことがめざされているかを考えてみるのが一番よいと思います。実は、この質問には、もっと世俗的な意味があるのは承知しているのですが、そちらのほうは、後回しにします。  

学校の目的は、子供が世の中に出たときに困らないように、適切な心の準備(陶冶)をすることです。このとき、何が適切かに関して、大きく2つの対立する立場があります。  

一つは、実質陶冶と呼ばれるものです。世の中で必要とされる実質的な知識や技能、たとえば、金勘定の仕方やコンピュータの使い方や人との付き合い方などなどについて教えることが学校教育のめざすところだというものです。  

もう一つは、形式陶冶と呼ばれるものです。世の中で必要とされる基盤的な能力を陶冶することが学校教育のめざすところだというものです。

*********  適応 知識 技能 実質陶冶  能力   形式陶冶 図 形式陶冶と実質陶冶 ********  

学校で作られる実際のカリキュラムは、両者の立場の折衷的なものになっているのが一般的ですが、この両極端の立場は、折に触れて至るところで顔を出します。  

さて、いずれの立場に立つにしても、学校教育では、結果として、心の陶冶をしていることになります。知識を増やす、技能を向上させる、能力を高める。

いずれをとっても、それは、心の陶冶になります。それを10年以上もの歳月をかけてじっくりとやるのが学校での教育です。ですから、質問の答えは、YESということになります。  

しかし、この質問で本当に聞きたいことは、たとえば、「ストレスに強くなるのは」とか「集中力を付けるには」とかいった類のことではないかと思います。  

この意味での質問に答えるときにも、実質陶冶的に考えるか、形式陶冶的に考えるかで、答えの内容が異なってきます。

いずれも、答えはYESですが、その方法は、まったく異なります。  

実質陶冶的な立場なら、たとえば、ストレス/集中力とは何か、ストレス/集中力に強くなるためにはどうしたらよいか、といったことについての知識を仕込み、さらに、実際にストレス場面/集中に直面して、その知識を使って試す訓練をすることになります。いわゆる、マインド・ビジネスやハウツウ本が、こうした立場からのものです。  

形式陶冶的な立場なら、たとえば、ストレス耐性/集中力は、良質の体験や認知活動をじっくりと積みあげることで身についてくるものと考えます。  

したがって、実質陶冶的な立場では、「今すぐに訓練を、さすれば、心を強くできます」となります。形式陶冶的な立場では、「良質の体験と認知活動をするように心がければ自然に身についてきます」となります。  

実質的陶冶的な立場のほうが、直接的ですからわかりやすいものとなりますので、すぐにでも飛びつきたくなります。しかし、事はそれほど簡単ではありません。

学校教育の世界でもそうであったように、また、今でもそうであるように、実質陶冶が全面的に正しいとは言えないからです。  

気をつけなければいけないのは、まがいもののマインド・ビジネスやハウツウ本に騙されないようにすることです。
心ブームの今、そのまがいものに引っかかりやすい素地がありすので、十分に気をつけてほしいものです。っ

迷う」

2009-10-04 | 心の体験的日記
2度行ったことがある
利根川ぞいをいって、橋を渡って
右折すればよい
実に簡単な経路

楽勝ムードで1時間前に家を出た
ところが、その橋を間違えた
それが迷子の発端
走れど走れど、前に見た光景とは出くわさない
結局、時間は過ぎて、もはや行ってもだめ
という時間になってしまった

車での迷子は恐い
カーナビをつけるべきだった