「大学の不易と流行;大学教員歴45年に思う」
大学院を3年で中退して、先輩からの誘いで、25歳で徳島大学に助手として就職したのが、大学教員としてのスタートでした。その後、創設されたばかりの筑波大学へ移り30年、そして、こちらの大学ですでに7年。合計して45年という次第です。
その間、ほぼ半世紀、大学も変わりました。
一番の変化は、大学が教育機関へと変わったことだと思います。
学生もまじめに授業に出席し、そして良い成績で卒業することを大学生活の第一義的な目標とするようになりました。
先生方も、教育熱心になりました。授業案(シラバス)をあらかじめ作り、教室では趣向を凝らした授業を展開し、さらにFD(教員の授業研究会)や学生よる授業評価も義務づけられ、授業に熱心にならざるをえなくなってきました。
これには、直接的には文部科学省の行政指導の大変化、つまり大学自治尊重から大学のあらゆることへの介入政策への転換が大きく影響しています。それまでの日本の大学の支配的風潮であった、研究重視にかこつけての(?)教育面のいいかげんさの放置を許さない政策への転換でした。
さらに、企業側からの、採用しても「使えない」新卒者が多いとの苦情への対応もありました。
・コミュニケーション能力のある学生を育ててくれ!
・グローバル人材を養成してくれ!
・やり気のある学生を育ててくれ!
というわけです。
一方では、不易の部分もあります。
それは、大学教員のメンタリティです。大学というれっきとした組織のメンバーではありますが、研究者としての独立独歩の世界が保証されていることからくるものです。それを象徴的に示すのは、個室研究室が与えられていることです。そこでの思索、探求活動への情熱が大学の生命線との認識は、たぶん、これからも不易な部分として残り続けるはずですし、そうあってほしいと思っていますが、
組織の少し上から眺めていると、ついつい、―――――。(笑い)
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