●ハイリスク・ハイリターン
近代社会は必ずしも、ハイリスク・ハイリターン社会を目指してきたわけはないが、結果として、あやゆる分野でそのようになっている。だから、もっとローリスク・ローリターン社会に戻ればよいという声はか細い。そして、こんな社会に生きているという認識も実は、あまりない。ハイリターンが、ハイリスクを凌駕してしまうからである。
●ハイリスク・ローリターン
こんな事をめざすことは普通はあまりないのだが、ところがよくよく考えると結構ある。なんのリターンも期待できないのに、というよりむしろ莫大な損失が予想されるのに、信念や心情、憎しみや競争心などに駆られて負けるかも知れないリスクの高い争いや冒険をするようなケースである。
社会も人も利害得失だけでは動かないがゆえに起こるケースである。
●ローリスク・ハイリターン
ここに属するケースの典型は、臆病者のギャンブルであろう。一攫千金を夢みはするが、かといって、大金を投資して一文無しになるリスクは避ける。こうしたややずるがしこい心性は、誰の心にも潜在している。
またハイリスク・ハイリターン社会では、ハイリターンのままリスクだけは低下させる努力をすることがおこなわれる。これをリスク補償と呼ぶ。安全対策やリスク管理**注2**がその最たるものである。安全対策やリスク管理が必要な機械やシステムは使わないという選択をすると社会の効率が落ちてしまうので、リスク低下だけを限定的におこなおうというものである。
安全、安心が今日本社会のキーワードの如くなっているのは、それほどハイリスク・ハイリターン社会になってきていることの証とも言える。
●ローリスク・ローリターン
ハイリスク・ハイリターン社会の典型を狩猟採取社会とすれば、ローリスク・ローリターン社会は農耕社会になるであろう。この対立軸は比較的あちこちにある。たとえば、原子力発電に対して太陽光発電、グローバリゼーションに対してローカリゼーション、ハイテクに対してローテクなどなど。
この対立軸を外側から支援しているのが、今の日本では、コスト、環境、人権の三大テーマである。つまり、そんなにコストがかかるなら核融合発電は考え直そうとか、環境に悪いからローテクでいこうとか、人権を侵害しそうだからIT化はやめておこうということになる。