8 遊び上手になる
遊びには、次のように四つの側面があるとされている。
その一――人に勝つこと、人よりも優れていることを示すことである。スポーツや勝負事で、こうした要素が強いことは誰でも知っている。盆栽いじりや読書などにも実は、こうした要素がある。やたら盆栽を自慢したり、読んだ本の内容を人に話してみたりするのがそれだ。
その二――偶然を楽しむという側面である。こんどこそ、明日こそは……とギャンブルにのめりこんでいってしまう人が、あなたの身の回りに何人かはいるはずである。
その三――学び、熟達するという側面である。すぐに上達してしまう遊びは、すぐに飽きてしまう。人より優れても、あまりうれしくない。遊びではあっても努力に見合った進歩を実感できることが、その遊びを継続させる強い要因になっている。せめて遊びのときくらいのんびりといきたいものだが、人間、何をやっても学ぶということからは離れられないようである。
その四――緊張から解放される。生計を立てるための生活は厳しい。そこでは誤りも許されない。緊張の連続である。しかし、遊びの世界では、誤ってもゆっくりやっても誰からも非難されることがない。のびのびとやれる。
さて、こうした遊びの持つ特徴を、瞬発カの発揮に利用することを考えてみよう。
まず考えられるのは、遊びを瞬発カの発揮の仕方の訓練に使うことである。遊びは自分が好きだからやる。したがって、そこでは集中力がごく自然に発揮できる。しかも失敗してもどうということがないという状況である。こんなところで、意図的に自分の瞬発カを発揮して感じをつかむのである。
ここで、意図的とは、たとえばテニスをする時でもマージャンをする時でも、たとえば、ちょっとした賞品を出す。盆栽作りでも品評会に出してみるなど、自分を緊張させ、瞬発力を必要とする場面を遊びの中に組み込んでくのである。きっと何かをつかめるはずである。そして、それがいざという時の瞬発カの発揮にも役立つ。
もう一つは、遊びの解放的な性質をリラックスするために使うことである。瞬発カの発揮にリラックスがいかに大切かはすでに述べた。遊び上手とは、リラックス上手でもある。
仕事などでここ一番になると、遊びどころではないという心境になる。これがクセもので、本番での瞬発力の発揮を妨げてしまう。こんな時に、遊べれば大いに助かる。そのためには、普段から遊べるものを用意しておくくらいの心がまえがほしい。たかが遊び、されど遊びである。