ただ今名古屋市立美術館で絶賛開催中の「モディリアーニ展」に友達と行って来た。
「アメデオ・モディリアーニ展」 ←クリックで別窓開くだぁよ
学生時代からモディリアーニは大好きで、実家に画集も買って置いてある。
モディリアーニは元々日本でもかなり人気の画家。だから結構目にする機会は多い。
我が町・名古屋市美術館もモディリアーニの傑作「おさげ髪の少女」を所持していて
常設展でいつでも(貸し出ししていなければ)見る事が出来る。
今展覧会は、彼の人生の足跡をそのまま年代別に展示するというオーソドックスな企画で
「初期」「彫刻家への傾倒時代」「彫刻家を諦めた頃」「裸婦名作~作風が確立するまで」「晩年」
という判り易いくくりで展示してありました。
モディリアーニは本当に好きなので、本当にマメに足を運んで見に行っている。
だから今回展示してあった作品のほとんどは、かつて見た事のある作品ばかりだった。
「コレは未見の作品だな・・・面白いな」と思ったのは、比較的初期に描かれた
「アルマイサ《アルジェリアの女》」くらいかな?
当時のフランス(ヨーロッパ諸国)はアフリカの多くの国を植民地化していて、
それの影響でアフリカからの移民が多数流入していたらしく、フランスに移民として
やって来たアルジェリアの女性をモデルに描いている。
当時の市民感情としては、植民地からの移民と言うと「格下のヤツら」というイメージが
あったんじゃなかろうか?と思うんだけど、モディリアーニはそのアルジェリア女性を
非常に力強くプライドの高い崇高な女性という風に描いている(と思った)
モディリアーニはモデルの性質・本質をそのままキャンバスに描き出す画家。
独特の画風を確立していて(アフリカ美術とフォービズムの影響を多分に受けていると思う)
彼の描く人物は決してモデル自身とは似ていないのだけど、写実的に描かれたモデルより
よっぽど本人の「本質」を捉えているという、稀有な画家だと思う。
彼の力量は素描を見ればよく判る。
大体今の時代に絶賛される画家達の多くは、素描・ラフデッサンが実に素晴らしい。
迷いのないササッと描かれた鉛筆の線で、モデルの本質・性格までを写し取ってしまう。
顔に描いた小さな細い陰、頬杖を付く肘の力強いライン、目深に被った帽子の角度、
それらの単純な「線」が、見る者にモデルの本質を能弁に語りかける。
それから私は彼の描く「肌の質感」がたまらなく好き。
特に顔の質感・・・滑らかで美しく、頬が微妙に紅潮して鼻の陰の線が濃い。
うんと顔を近付けて作品をとっくりと眺めたけど、どんなに頑張っても彼の描いた
あの肌の色は絶対に真似が出来ないな、と何度見ても溜息が出る。
それは晩年に近付けば近付く程完成度は増して、最晩年になるとモデルの本質を
描き出す以上に、その肌色だけで彼のモデルに対する思いが溢れ出すかのよう。
「晩年」とは言っても、病弱だったモディリアーニはたった35年でこの世を去ってしまった。
既に彼の生涯よりも長く生きてしまった私は、彼のような審美眼も持てずに
21世紀の今、彼の残した素晴らしい作品を見ては溜息を付くしかない。
彼が60年、70年生きてくれたらどんな作品を描いてくれたんだろう?
そんな想像をしながら若くして生涯を終えた画家の作品を眺めるのもまたいい。
ところで、本展覧会は某友人H嬢を誘って2人で見に行った。
いつもは美術展を見に行く時は決まってH嬢からお誘いがあるのだけど
珍しく今回は私からH嬢を誘ってみた。
本当はもっと前、平日にふと思い立って「今日ヒマだからモディリアーニ展見に行くか」
と思ったんだけど、どうせ見に行くなら友達を誘うか!と思って連絡した訳だが・・・
H嬢が「珍しく○ちゃん(←私ね)からお誘いが来たなーと思ってたけど、
この日の日記を読んで『なるほどネ』と思ったのよ。うふふ・・・」と言われてしまった。
私ってやっぱ友達甲斐のないヤツ?・・・だよね。そーよね。うぅぅ(反省)
「アメデオ・モディリアーニ展」 ←クリックで別窓開くだぁよ
学生時代からモディリアーニは大好きで、実家に画集も買って置いてある。
モディリアーニは元々日本でもかなり人気の画家。だから結構目にする機会は多い。
我が町・名古屋市美術館もモディリアーニの傑作「おさげ髪の少女」を所持していて
常設展でいつでも(貸し出ししていなければ)見る事が出来る。
今展覧会は、彼の人生の足跡をそのまま年代別に展示するというオーソドックスな企画で
「初期」「彫刻家への傾倒時代」「彫刻家を諦めた頃」「裸婦名作~作風が確立するまで」「晩年」
という判り易いくくりで展示してありました。
モディリアーニは本当に好きなので、本当にマメに足を運んで見に行っている。
だから今回展示してあった作品のほとんどは、かつて見た事のある作品ばかりだった。
「コレは未見の作品だな・・・面白いな」と思ったのは、比較的初期に描かれた
「アルマイサ《アルジェリアの女》」くらいかな?
当時のフランス(ヨーロッパ諸国)はアフリカの多くの国を植民地化していて、
それの影響でアフリカからの移民が多数流入していたらしく、フランスに移民として
やって来たアルジェリアの女性をモデルに描いている。
当時の市民感情としては、植民地からの移民と言うと「格下のヤツら」というイメージが
あったんじゃなかろうか?と思うんだけど、モディリアーニはそのアルジェリア女性を
非常に力強くプライドの高い崇高な女性という風に描いている(と思った)
モディリアーニはモデルの性質・本質をそのままキャンバスに描き出す画家。
独特の画風を確立していて(アフリカ美術とフォービズムの影響を多分に受けていると思う)
彼の描く人物は決してモデル自身とは似ていないのだけど、写実的に描かれたモデルより
よっぽど本人の「本質」を捉えているという、稀有な画家だと思う。
彼の力量は素描を見ればよく判る。
大体今の時代に絶賛される画家達の多くは、素描・ラフデッサンが実に素晴らしい。
迷いのないササッと描かれた鉛筆の線で、モデルの本質・性格までを写し取ってしまう。
顔に描いた小さな細い陰、頬杖を付く肘の力強いライン、目深に被った帽子の角度、
それらの単純な「線」が、見る者にモデルの本質を能弁に語りかける。
それから私は彼の描く「肌の質感」がたまらなく好き。
特に顔の質感・・・滑らかで美しく、頬が微妙に紅潮して鼻の陰の線が濃い。
うんと顔を近付けて作品をとっくりと眺めたけど、どんなに頑張っても彼の描いた
あの肌の色は絶対に真似が出来ないな、と何度見ても溜息が出る。
それは晩年に近付けば近付く程完成度は増して、最晩年になるとモデルの本質を
描き出す以上に、その肌色だけで彼のモデルに対する思いが溢れ出すかのよう。
「晩年」とは言っても、病弱だったモディリアーニはたった35年でこの世を去ってしまった。
既に彼の生涯よりも長く生きてしまった私は、彼のような審美眼も持てずに
21世紀の今、彼の残した素晴らしい作品を見ては溜息を付くしかない。
彼が60年、70年生きてくれたらどんな作品を描いてくれたんだろう?
そんな想像をしながら若くして生涯を終えた画家の作品を眺めるのもまたいい。
ところで、本展覧会は某友人H嬢を誘って2人で見に行った。
いつもは美術展を見に行く時は決まってH嬢からお誘いがあるのだけど
珍しく今回は私からH嬢を誘ってみた。
本当はもっと前、平日にふと思い立って「今日ヒマだからモディリアーニ展見に行くか」
と思ったんだけど、どうせ見に行くなら友達を誘うか!と思って連絡した訳だが・・・
H嬢が「珍しく○ちゃん(←私ね)からお誘いが来たなーと思ってたけど、
この日の日記を読んで『なるほどネ』と思ったのよ。うふふ・・・」と言われてしまった。
私ってやっぱ友達甲斐のないヤツ?・・・だよね。そーよね。うぅぅ(反省)