「オレたちひょうきん族」関係はこちら。
ラジオの話にもっていく前に、ぜひともふれておかなければならない番組をひとつ。漫才ブームも終わりを告げ、「ひょうきん族」にも一時の勢いがなくなった86年の秋から1年間、月曜7時からオンエアされた「ひょうきん予備校」(フジ)。
若手芸人たちに、大御所と化した(笑)先輩芸人たちがレクチャーを行うコンセプト。で、この場を仕切ったのが紳助で、当時から人の弱点をついて徹底的に笑いを追求するうまさが光っていた。
ついでにふれておくと、受講生はホンジャマカ、ダチョウ倶楽部、ジミー大西、大川興業、久本雅美など、現在に連なる有能なタレントたち。
でも、そんななかでも不良っぽい男ふたりとハチャメチャな女性ひとりが群を抜いてすばらしかった。それがダウンタウンと野沢直子。彼らだけは、島田紳助を一種の『装置』とみなし、どれだけ笑いがとれるかを瞬時に判断しているようにみえた。新種の登場。
そんな新種たちとくらべれば、紳助はやはりちょっと旧世代に属する感じ。熱しやすい性格はバイクチームの監督としてもんのすごく熱血であることで知れるし、徹底して上下関係にこだわるあたりも、むかしの芸能界の匂いが残っている。
彼の熱血さで忘れられないのが、あれは80年代の中盤だったか、TBSか文化放送の深夜放送に(だから「パック・イン・ミュージック」か「セイ!ヤング」だと思う)、誰かのピンチヒッターのような形で何週間かDJをつとめたことがあって、最初はお笑いらしくネタ的にやっていたのに、次第にどんどんリスナーを煽るようになった。
あれ?この人は意外に真面目すぎる人なのかな、あるいはつきあいづらい人なのかな、と聴きながら思ったものだった。しゃべりの面白さはもちろん圧倒的だったけれども。
今回の引退は、確かに彼の軽率さや“美学”もあったのかもしれない。でもわたしが感じるのは、吉本などが明治のむかしからかかえていた『トラブル』→『○○の親分さんに依頼して解決』という方程式に紳助がのってしまった古さだ。
この古さがあるかぎり、企業体として芸能は一流にはなれない。この騒動で、ひょっとしたら有能なスター予備軍がこの業界に飛びこむことを逡巡しているかもしれない。紳助に怒りは感じないが、そのことだけが少し惜しい。