事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

極私的朝ドラ史PART2

2015-07-12 | テレビ番組

PART1はこちら

いくらわたしが若くないと言っても、60年生まれで朝ドラ第一作「娘と私」(61年)は観てないです。テレビもきっとなかったはずだ。

最初に意識したのは4才のときの「うず潮」だろうか(主演林美智子)。嘘だろう?と思われるかもしれないけれど、近所のテレビでやっていたそのドラマが「うず潮」で、そのうちの電話がハンドル式だったことまで覚えています。ええそうですとも昭和な男です。

わたしの世代にとって圧倒的だったのはやはり「おはなはん」(66年)。樫山文枝主演のこのドラマはとにかく大人気。一家中が食い入るように見てました。

顔が四角い樫山がブレイクした以上に、「太閤記」で織田信長を演じた、やはり顔が四角い高橋幸治の人気がすごかった。

にしても、あのドラマってどんなストーリーだったんだろう。樫山文枝が木の枝にのぼって未来の夫(高橋)を見物するシーンだけは覚えているんだけれど。え、おはなはんは最初、森光子がやる予定だったの?これ以上彼女に当たり役があってどうすんですか。

つづく「旅路」(67年。主演日色ともゑ、脚本平岩弓枝)、「あしたこそ」(68年。主演藤田弓子、脚本橋田壽賀子、原作なんと森村桂の「天国にいちばん近い島」)あたりで朝ドラが国民的な存在になったようだ。視聴率常時40%以上、最高視聴率50%越えがこのころは当然だったのである。

それにしても、原田知世で思い出される森村の原作を、あの橋田壽賀子がドラマ化していたとは。



つづく「信子とおばあちゃん」(69年。大谷直子、北林谷栄……だと思ってたらおばあちゃん役は「山椒大夫」で壮絶に怖かった毛利菊枝さんでした)「虹」(70年。南田洋子、そして小柳ルミ子のデビュー作)がホームドラマ調で少し視聴率低下。

ご家庭の主婦はもっとヒロインに怒涛の苦難が襲わなければ満足しないとNHKは判断したらしく(当時のお偉いさんがそう発言したのを覚えている。わたしはホームドラマの方が好きだったのでちょっとがっかり。っていうか小学生の頃から新聞の芸能欄に耽溺していたのか)、次作からは装いを変える。

この路線変更は成功し、またしても朝ドラ黄金時代が始まるのだ。以下次号

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