音楽は世界を変えられないという人がいる。アーティスト自身もそう自虐的に語ったりする。そうかもしれない。政治という直接的な手段にはどうしてもかなわないのだと絶望的になるときもある。でも、ちょっと待ってほしい。
ジャクソン・ブラウンやブルース・スプリングスティーン、そして忌野清志郎が反原発を歌わなかったら、ボブ・ディランやジョン・レノンが反戦歌を提供しなかったらと想像してみてほしい。音楽は確実に世界を変えている。
同じことが映画にも言える。感情に訴える力が強いこのメディアは、だからこそ世界を変えてきた。いい意味でも悪い意味でも。
だからこそ、ドキュメンタリー作家は冷静であろうとし、その在り方に常に悩んできた。森達也の諸作はその境界線にいることでわたしたちをむしろ啓発し続けてきたではないか。
さあ2年前の「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー」を撮った佐古忠彦は、そのあたりに十分に意識的だったようだ。あの、キャスターとしてスマートだった彼は、瀬長カメジローという、沖縄の自立を目指した圧倒的な熱量の被写体を得て、だからこそわかりやすく、冷静に彼の人生を語って見せた。感動してしまいました。
前作で、その演説の強烈さによって県民を熱狂させた人物を、今度は
・父親に社会運動を責められて絶縁されていた
・中退せざるを得なかった高校の恩師から応援されていた
という両面を語ることによって彼の人格を重層的に描くことに成功している。彼がひたすらに家族を愛した理由も浮き出てくる。
そしてもちろん、政治的に
・アメリカが沖縄を返還したのは、基地を温存したかったから
佐古が訴えたかった部分はここだろう。瀬長はそこを最後まで追求する人物だった。
日本を不沈空母と表現した中曽根という人物が昨日亡くなった。彼の百才のお祝いの品を得々と披露する“ジャーナリスト”が右派メディアに今朝出ていて気が遠くなった。カメジローには絶対に見せられない。最後まで節を曲げなかった彼には。
明日は佐古監督が鶴岡まちなかキネマに来館するようですよ。ぜひっ!
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