事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「東電OL殺人事件」 佐野眞一著 新潮社刊

2007-11-05 | 本と雑誌

Toudenol 公訴事実
被告人ゴビンダ・プラサド・マイナリ(30歳、ネパール国籍)は、平成9年3月8日深夜ころ、東京都渋谷区円山町16番8号喜寿荘101号室において、渡邉泰子(当時39歳)を殺害して金員を強取しようと決意し、殺意をもって、同女の頸部を圧迫し、よって、そのころ、同所において、同女を窒息死させて殺害した上、同女所有の現金約四万円を強取したものである。
罪名 強盗殺人

被害者渡邉泰子の身上経歴
渡邉泰子は東京電力に勤務していた達雄の長女として、1957(昭和32)年6月7日に生まれた。慶応女子高から慶応大経済学部に進んだ泰子は、80(昭和55)年3月、同校を卒業後、父と同じ東京電力に入社。父は泰子が東電に入社する三年前の大学在学中に、五十代の若さで癌死している。
同社では企画部調査課に所属し、93(平成5)年には企画部経済調査室副長に昇進した。同室は電力事業に対する経済の影響を研究する部署であり、泰子はそのなかで、国の財政や税制及びその運用等が電気事業に与える影響をテーマにした研究を行い、月一、二本の報告書を作成していた。そのレポートは高い評価を得ていた。泰子は上司や同僚と飲酒することもなく、社内での私的な交際もほとんどなかった。
28歳の頃、拒食症に陥り入院したことがあったが、その後の89(平成元)年頃、クラブホステスのアルバイトを始め、数年前から渋谷界隈で売春をするようになった。


……この事件について私は意図的に目をそむけていた。ワイドショーや週刊誌がヒステリックに騒ぎ立てている(佐野は【発情】と呼んでいる)ことに辟易していたし、大企業のエリートが買春をしている話は穏やかに聞き逃すくせに、高学歴高収入(加えて美人)の女性が売春をしていたぐらいで何を騒いでいるのだ、と思っていた。余計な詮索はするな、そういう人だっているだろうさ、と。

N970611  だが渡邉泰子の“夜の顔”(手あかのついた表現)は私の想像をはるかに超えていた。彼女は東電が休みの土、日曜日には五反田のホテトルに“勤務”しており、五、六人の客をとっていた。しかし驚くべきは平日の客数である。5時に東電を退社して6時過ぎに渋谷の円山町に現れ、12時34分に出る終電車に乗り込むまでの約6時間のなかで、彼女は自らに課したノルマをこなすように、常に四人の男を相手にしていたという。
 ノルマ、とはよくぞ名付けたもので、彼女は客を四人見つけるまでは絶対に電車には乗らず、客を求めて円山町を徘徊していたのである。

 いわゆる“立ちんぼ”と呼ばれる街娼を、私は買ったことはない。それどころか学生時代に新宿界隈で見かけたぐらいで(あ、あとホノルルのダウンタウンで一度……さりげない自慢)、酒田では会ったことすらないのだ。もちろん娼婦のような生き方をしている人間はたーくさんこの町にもいるわけだが、最古にして最小の資本で行われるこの職業の、最も原初的なシステム(=立ちんぼ)のことは、いまひとつ理解できないでいる。

知人のなかで唯一街娼を買った経験があるのは、大阪の私大に通っていた先輩である。バイト仲間でもあったこの人に、関西娼婦体験を学生時代にきいてみた。

「でな。俺も酔うてたもんやから」
大阪の影響力おそるべし。帰省中なのに関西弁が抜けないのだ。
「ふらふらーっとその女のゆーまんまについてったんや。」
「ほう…………どこへ?」
「アパートちゃうんかなあ。せっまい部屋でな。」
「ふぅぅん。」
「でなかなか電気つけへんのよ」
「何で?」
「いやぁ、どうも暗くしたまんまやと思ったら……」
「うん。」
「……そいつ男やってん。」
「え?」
「オカマやってんな。」
「……で、どうしたの?」
「そりゃぁ……金はろうてたし……」
「まさか……」
「うん。もったいないからやったけどな。」
やるなよ!この男は街娼どころか唯一の男性経験者でもあったのだ。貧乏ってこわい。

Govi  失礼。そんな話ではなかった。渡邉泰子の場合、最後には対価を二、三千円ぐらいまでダンピングしていたくらいだから、彼女の目的が金銭ではなくセックスそのもの、あるいは自傷行為であることは明らかだ。佐野眞一はその背景に父親との精神的、あるいは肉体的近親相姦があるのではないかと推測している。しかし私は、佐野の「ひたすら堕ちていこうとする彼女にどうしようもなく惹かれる」息苦しいくらいの思い入れは、むしろ的外れではないかと思った。彼女を単なるニンフォマニア(色情狂)と切り捨てるつもりはないが、おそらく自傷のためにセックスを売り物にする行為自体は、そんなに敷居の高いものではない。手錠殺人の号で、売春には覚悟が必要だ、と主張したことと矛盾するようだが、自らを痛めつけようと思えば、売春は比較的安易な方法だとすら感じる。

 結局ゴビンダは冤罪(無期懲役刑が確定し服役中。再審請求を行っている)で、アジア人に対する日本人の醜い差別意識が露呈してしまったのだが、いずれにしろ何者かにわずか四万円のために殺された泰子は、彼女の求めていた一種の裁きを受けることができた……と考えるのはあまりに冷たいだろうか。

突き放しているのではない。点景の一つとして、こんな事件が街の至る所に内在しているのが現代の日本というものだろう。彼女を責めるとすれば、そのありようがあまりにも類型的ではないか、この一点だ。

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