「A」「放送禁止歌」「i-新聞記者ドキュメント」などでタブーに挑んできた(というより、当然の姿勢なのだが)ドキュメンタリー作家、森達也の実話をもとにした初劇映画。
大正12年、ある事情をかかえて朝鮮から引き揚げてきた元教師の夫婦(井浦新、田中麗奈)、戦争未亡人(コムアイ)と寝ている船頭(東出昌大)、讃岐から薬を売りに来た行商人たち、朝鮮人を排撃すべきだと主張する在郷軍人(水道橋博士)らが千葉県福田村にいる。
そこへ、関東大震災。朝鮮人たちが井戸に毒を入れているとか、反乱を企てているとする流言飛語がまん延する。“自衛”のために朝鮮人を拘束しろと騒ぎ出す在郷軍人たち。
そして、悲劇が起こる。日本人である行商人たちの言葉がわかりにくいという理由だけで、行商人たちは朝鮮人と誤解され、屠られていく……
村民たちが朝鮮人を血眼になって追い回す理由が恐ろしい。
怖いから、なのだ。
自分たちがいつも迫害しているからこそ、復讐されるのではないかとびくついたのだ。醜い差別意識が、そんな臆病さと表裏一体である理不尽。観客として、頬が怒りで熱くなる。
静かな日常が、一瞬にして地獄絵と化す転調がすばらしい。虐殺の描写は気の弱いひとにはきついかもしれない。しかし、弱いものがもっと弱いものを差別する構図こそが、体制の思うつぼであることをこの映画で知ってほしい。
天皇、被差別部落民、ハンセン病患者など、現代では放送禁止に近いことがらが、歴史的な事実であったことを感得できる。そのうえで、虐殺がなかったとする歴史修正主義者の主張がいかに唾棄すべきものなのかを理解できる作品になっている。
森達也の演出と、特に荒井晴彦の色が強い脚本がすばらしい。被差別部落民のリーダーを演じた永山瑛太の
「(じゃあ)朝鮮人なら殺してもいいのかよ」
という啖呵が重い。東出昌大、ピエール瀧、水道橋博士など、わけありの役者をそろえるあたりのセンスもいい。
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