「えー、(旧い噺の)虫干しにお付き合いをいただきます」
米朝のくすぐりは、もちろん本気だ。彼は噺が消えゆくのに我慢がならなかったのだろうし、ブラッシュアップすることに生きがいすら感じていたのだと思う。
わたしの世代の落語ファンは、“桂米朝がいる”のが当然のこととして生きてきた。しかし心のどこかで彼がいなくなる予定稿を用意していたとも言える。わたしも、米朝がいなくなる日がそう遠くはないと覚悟はしていた。でも、いざその日を迎えると、こんなに悲しいのか。
落語だけでなく、米朝は消えゆく芸能を傍観することができない人だったのだと思う。彼の「本能寺」や「軽業」は、もう見ることがかなわない芸をわたしたちに伝えたい一心で演じられたのだろう。芸能は、実はそれほどに儚い存在だ。浪花節、講談の現在を考えればわかりやすいだろうか。ジャンルがまるごと消えてしまうのである。
上方落語も、実はそんな存亡の危機にあった。寄席では落語が本筋で、他は色物として貶められていたのに、戦後はその色物の方が商売になると、たとえばあの吉本も判断していたのをくつがえしたのは米朝の貢献だ。要するに彼がいなければ、上方落語それ自体が消えてしまったはずなのだ。
さぞや芸者衆を騒がせたであろう美貌、上品な所作はその最大の武器になったはずだ。下ネタが多い上方落語において(米朝の代表作である「地獄八景亡者戯」も、考えてみれば下ネタの連続だ)、だからこそ彼の品の良さは、東京でも受けいれられる必須要件だったろう。彼に悔いがあるとすれば、弟子の枝雀があんなことになってしまったことだろうか。
噺の発掘と保存に熱意を示した彼のことだから、たーくさんの音源が遺されている。悪党が魅力的な「算段屋八兵衛」、茶屋噺が悲恋につながる「たちぎれ線香」、冬の寒さが夏でも伝わる怪談「除夜の鐘」、口舌のすばらしさが光る「鹿政談」、SFの先駆ともいうべき「天狗裁き」などを気軽に楽しむことができるのは幸いだ。
特にわたしは、かれの旅の噺が大好き。「近江八景」「矢橋船」を、今日はまた聴いて寝よう。関西弁の美しさを伝えてくれた米朝の芸を、また楽しませてもらおう。
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