その4はこちら。
さあ、梶芽衣子がこの手記に「真実」と名付けた最大の要因は以下のとおり。
あの映画が封切られたのは三十六年も前ですし、この一件について今さら触れることになるとは思いもしませんでした。ただ近年になって日下部さんが「シネマの極道 映画プロデューサー一代」という本を新潮社から刊行されたことで間違った情報がまるで事実であるかのように世間で広がっているのを知ってしまったため、それを野放しにはできないと思ったのです。
あの本によると、私が「日下部さん、これを読んでくれない?」と言って小説を渡したことになっていますが、すでにお伝えしたようにその頃の私は日下部さんと直に話をしたことすらありません。もし、あったとしても企画を提案するのにそんなふうに馴れ馴れしい態度を取るような人間ではありません。事実無根も甚だしい話なのです。
……日下部五朗プロデューサーの「シネマの極道」は前に紹介しましたよね。双方の主張はまったく食い違っている。
東映京都に企画を彼女が持ちこんだことは確かだが、音沙汰がないために自分で増村保造監督、若山富三郎主演で企画を進めていたところ、いきなり仲代達矢、夏目雅子主演、五社英雄監督で映画化すると東映がアナウンス。
結果として大ヒットとなったが、梶芽衣子の気持ちはおさまらず……その怨み節の一部がこの書に込められていると考えて不自然ではないと思う。日下部プロデューサーは去年亡くなっているが、彼は梶芽衣子を避け続けていたという。映画界、怖いところです。
二代目中村吉右衛門が療養中のため、鬼平犯科帳が復活するかは微妙なところかもしれない。しかし江戸っ子で、日本語の美しさや和服を着ての所作にこだわる梶芽衣子は、逆にクエンティン・タランティーノが大ファンで「キル・ビル」に彼女の歌を流すなど芸能人として確固たる地歩を築いている。
芸風からしても、これからも活躍してくれそうな気配は十分。期待しています。
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