Part1はこちら。
2003年10月24日付「情宣さかた」裏版より。
いっこうに鎮火の報は聞こえてこず、近所の消防団員たちは総出動、半鐘やサイレンは鳴りまくり。台所の窓から市街地を眺めると、現場から5キロほど離れた私の家からでさえ、空の半分ほどが紅く染まっていた。その赤さ、明るさは夕焼けの比ではない。
深夜になっても火勢は衰えず、YBCのあるアナウンサー(私の友人のお姉さんをナンパ→失敗したことで印象深く、今でもこの人がテレビに出てくると苦笑してしまう)が終夜実況していたことや、井上順が文化放送「セイ!ヤング」で「山形県の酒田というところが今燃えていますね。ま、よくわかりませんが」と失礼なことを話していたのを憶えている。
結局、鎮火したのは午前5時ごろ。死者1名。罹災者3,300名。被害総額405億円。戦後4番目の大火という結果になった。
翌朝、市街地を通ることなく学校にチャリで行ける私は、騒然とした雰囲気を、自衛隊の行進や学校のグラウンドに朝日新聞のヘリが着陸したことぐらいでしか感じ取れないでいた。「菅原文太の映画みたかったなー」引き続きのんきな高校生だったのである。物見高く火事の現場を見に行くことには抵抗があったし。
余談だが、その後この被災地にはたーくさんの“観光バス”がやって来ていて、私は素直にそれを受けとめられないでいた。
もっとも、変な言い方だが酒田が一気にメジャーになったのはこの大火のせいもあるだろう。学生時代、東京ネイティブの連中には「酒田?知ってるよー、燃えたとこだろ?甲子園にも出たし。」とニッコリ笑って言われたものだった……。
Part3につづく。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます