第一部はこちら。
伍代家サーガ第二弾。前作でまだ子どもだった二男の俊介とその友人の吉田が、それぞれ成長して中村勘九郎→北大路欣也、吉田次昭→山本圭(山本学とともに、山本薩夫監督の甥です)で登場。
財閥の御曹司である北大路欣也の恋愛と、プロレタリアートとして特高の拷問に苦しむ山本の物語が縦軸。そこへ、共産軍と連携する朝鮮人、徐在林(地井武男)がからむ。
まだ国共合作が成立していないので、蒋介石の国民党軍と毛沢東・周恩来の共産軍は反目し合っている。そして同じ共産軍でも、朝鮮人であるがゆえに中国人と一枚岩になれず、徐在林は暴走する。ああこういうことってあったんだろうなあ。
山内明が演じる石原莞爾(鶴岡出身)は関東軍の突出をいさめるが、当の関東軍から「最初に突出したのはあなたじゃないですか」と突っこまれて苦い顔をする。ま、それは確かに。
北大路欣也は、兄(高橋悦史)が婚約を破棄し、愛してもいない男(西村晃)と結婚している温子を思慕している。温子もその気持ちに……
いやもうこの温子を演じる佐久間良子が笑ってしまうくらい「よろめく人妻」で、激しく魅力的。欣也でなくてもメロメロになるはずだ。抱きしめられるたびに「いけないわ」とつぶやき、しかし眼はうるみ、身体をよじって……この作品の佐久間良子はほんとうにすごいです。あまりに妖艶なので、可憐な吉永小百合、毅然とした浅丘ルリ子がかすんでしまう。
思想犯への特高の残虐さが連続して描かれる。その図式的な部分をネトウヨは冷笑する。でもそうだろうか。当時の官僚も官憲も、よかれと思って、つまり上を忖度してやっていたんだろう。彼らは自分が悪いことをしているとは微塵も考えていない。その凡庸さが……あ、ハンナ・アーレントの名言が思い起こされる。
「悪は悪人が作り出すのではなく、思考停止の凡人が作る。」
こういう映画ってさすがに近ごろつくられない。確かに、一種の無邪気さはある。でも意義ある作品だったと思う。少なくとも、映像として、ドラマとしてこういうお話は語られるべきだ。そして、それを活劇として描いた山本薩夫はさすがだと思う。
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