1950年代、朝鮮戦争が続く中、戦争とはまるで無縁の平和な村が山奥にあった。その名はトンマッコル。そんな村へまるで導かれるように、アメリカ人パイロットのスミス、韓国軍の2人、それに敵対する人民軍の3人がやってきた。顔を合わすなり、銃を持ってにらみ合う両者だが、銃や手榴弾を見たことがない村人たちは呑気なもの。偶然から村人たちの食料貯蔵庫を爆破してしまった兵士たちは、ひとまず協力して村人たちの畑仕事を手伝うことに。やがて両者に心の交流が生まれてくるが…。
韓流をとりあげるたびに言っているので恐縮だけれど、今回も痛感。「韓国映画は成熟している」と。
背景が仁川(インチョン)上陸作戦の頃、というから米軍中心の国連軍が北側へ逆襲に転じ、“生命の単価が安い”ことで有名な中国の人民解放軍が大量に(100万人!)投入され、んもう戦況はしっちゃかめっちゃかになっている時分だ。
これだけの戦争の影響が、しかし及ばないでいる村の物語。いくら急峻な峡谷にあるとはいえ、要するに「どこにもない場所」におけるおとぎ話といえる。
成熟していると思えるのは、政治的・歴史的事実を、そんなファンタジーの姿をとっているとはいっても、冷静に、淡々と語っていることだ。
北朝鮮の若い兵士が、韓国軍のやはり若い兵士を難詰する。
「お前たちが先に手を出したくせに!」
「何を言ってるんだ。お前たちこそ先だ!」韓国兵は言い返す。
「隊長!あんなこと言ってますよ。あいつらが先ですよねー」
「……いや、俺たちの方が先だ」
これを、行列ができる弁護士にドッペルな北朝鮮側の隊長に静かに語らせるあたりがうまい。「トンマッコルへようこそ」では、この北側の隊長が一貫して先に平和に目覚めるように描かれている。“北もまた同胞”という認識は、先の大戦を「被害者」あるいは「加害者」の二元論でしか語ることのできない日本と、すでに性根からして大きな差がついているのだろう。
音楽が久石譲だからだけではなく、イノシシが出てくる場面など、ジブリっぽい肌ざわり。六羽の蝶が舞うラストは、泣ける。
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