「キューバ革命がほとんど成功するまで」
「あ、じゃあ奥さんと子どもとはまだ別れていないんだ」
妻の方がよほどチェ・ゲバラについてくわしい。わたしが彼について知っていることと言えば、「カストロの右腕」「テロリストの神様」「めずらしく汚れていない左翼のカリスマ」……こんなところだろうか。世の中の多くの人も「ゲリラ戦術」などでしか把握できていないのでは?(勝手に断定)
いま日本はひどい状況にある。労働者は職を失い、富裕層は既得権を手放そうともしない。政治家に夢を仮託するなど、冗談としか受け取られないだろう。
それでも、それでも革命は起きないのだ。若者はデモを組織することもなく、火炎瓶を握ることもなく“自分より弱いものたち”を叩いて充足しているかのよう。それでは、どうしてキューバでは革命が成功したのだろう。
この映画は、時制を何度も往復しながらゲバラの足跡をたどっている。彼自身の感情や考え方はうっすらとしか表現されない(ベニチオ・デル・トロが絶妙の演技)。
オープニングとエンディングはカストロとの初対面シーンで、回想がサンドイッチのように挿入されるつくり。キューバ上陸作戦においてカストロの戦略にミスがあったあたりは、キューバに気を使ってか省略してある。
フィデル・カストロ(カリスマとしての彼の偉大さは、冗談ではなく“長寿”なことだと思う)のエキセントリックさに、なぜアルゼンチン出身のゲバラは「こいつ正気か?」と思いながらもついていくことにしたのか、このあたりはPART2で確認しようか。
PART1(原題は『アルゼンチン人』)では、医師でもあったゲバラは、負傷者を徹底して治療し(←絶対に見捨てられない、という兵士からの信頼)、革命軍兵士に読み書きを教える(「読み書きができないと、簡単にだまされるぞ。」)ことしかほとんど行動していないのだ。
市民革命とはどんなものなのかを、思い入れなしに描くというソダーバーグの奇妙なゲリラ戦術は、日本で驚くほどのヒットになっていることからも成功したと言える。
それとも、この国が実は革命前夜だからなのだろうか。
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