ペットなんか絶対に飼うもんか、と思っていた。
臭そうだし、エサやりも面倒。なにより、死なれるのが困る。
まるで生き残りゲームかと思うぐらいに肉親が次々に死んだわたしは、つくづくと感じていたのだ。身内が消えていくのはもう十分だ。ペットなんか飼ったら、哀しい思いをする“頻度”が高くなっちゃうじゃないか。
息子が不登校になってしまった五年前の夏、いつも家にいる彼に何らかの救いが必要なのではないか、彼には仲間(あるいは手下)が必要なんじゃないか……とこれまでの節を曲げてペット購入決定。
ペットショップのケージにいた、エジプシャンマウとシャムだかの混血、というか雑種兄弟の一匹を連れて帰り、息子は伊織(いおり)と命名。
仲間?手下?とんでもなかった。“ご主人様”としてそいつは君臨しはじめたのだ。家族は彼の臣下として隷属するしかなくなってしまったのだ。なんてかわいいんだっ!
猫の何がすばらしいかというと、こちらのテンションとまったく関係ないところ。午前4時なんて時刻にドアをカリカリしてからんでくるかと思えば、すり寄ってくるので可愛がってやろうと身構えると、いきなり座り込んで素知らぬ顔で後ろ足であごを掻いていたりするのである。
まあ、それ以上にすばらしいのは、一日に16時間は眠るというぐうたらぶりなんですけどね。
「かのこちゃんとマドレーヌ夫人」は、人間のことばを解し、犬を夫とするマドレーヌ夫人という猫と、小学一年生の元気のいい女の子のお話。かのこという名前は鹿の子から来ていて、父親がむかし奈良の鹿からサジェストされた名前。
そうです。「鹿男あをによし」の直情径行なセンセイがお父さんなわけ。あの物語が「坊っちゃん」を下敷きにしていたように、このお話は「吾輩は猫である」のストレートな後継者。猫の物語である以上、ほんの少し哀しい結末なことまで受け継いでいるのでした。ちょっと泣いた。猫好きの人なら、あれは確実に泣くと思う。ったく猫には困ったものなのであった。
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