その1はこちら。
梶芽衣子は「女囚さそり」が大ヒットしたことでスターとなるが、続篇の出演は渋っている。それにはさまざまな事情があったようで……
気がついたら、両家が顔をそろえて赤坂の料亭で結納を交わすことになっていたのです。ですから私は、一本目の「さそり」が終わったら仕事を辞めて結婚するつもりでした。仕事との両立はまったく頭にありませんでした。(略)彼はやきもちが激しいほうで私のスケジュールを把握していないと気が済まない性分でした。今のように携帯電話はありませんから、撮影が長引いても連絡する手立てがありません。予定では家に帰っているはずの私がいないとなると撮影所まで迎えに来る、そんなことも起こるようになっていきました。
……そして暴力。そうか結婚一歩手前まで行ったことがあったんだあ。
(事務所の)社長は北大路欣也さんにどうしてもやらせたい役があったのです。つまり私はバーター。うちからは北大路さんだけでなく梶芽衣子も出すからということで優位に話を進めたかったのではないでしょうか。
……岡田社長に直接呼びつけられて、女囚さそりの3作目の出演も承諾させられる。そして北大路欣也が演じたのはあの「仁義なき戦い 広島死闘篇」の山中正則役だったのである。
「女囚さそり 701号怨み節」(1973)
(自分が指名した)長谷部安春監督の奥様からお電話がありました。
「梶さん、ありがとうございます。ちょっと聞いてもいいかしら」とおっしゃったので「なんですか」と尋ねると「長谷部に何を着せて行かせればいいでしょうか」と言うのです。「いつも通りジーンズでいいんじゃないですか」と申し上げました。
その時は変なこと聞くなあ、くらいにしか思っていなかったのですが、後になってその理由がわかりました。打ち合わせも撮影も黒塗りのハイヤーが東映の撮影所まで毎日送り迎えしていたのだそうです。俊藤さんです。そんなことはひと言もおっしゃいませんでしたけど、長谷部監督を迎えるにあたってそこまでしてくださっていたのです。
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