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伊藤彰彦は松方について
「遅れてきた最後の映画スター」
と規定している。現代劇から時代劇に転ずればすでに凋落が始まり、任侠映画ややくざ映画で親分の役をやれるときには客は消え、Vシネマの帝王となった途端にこのメディアも雲散していたと。
確かにそのとおりだ。彼は常に少しだけ遅れている。しかも遅れた分だけ先輩たちをデフォルメしたようなスターらしいふるまいが際立ち、マスコミに指弾されたりしている。若い時分からのとんでもないエピソードをいくつか紹介しよう。
・(所属する映画会社が倒産したため、近衛十四郎は実演に走り、日本全国を回る。子役として帯同していた松方は)
「父親と母親がヒロポンを打ってた。ヒロポンはそのころ非合法じゃなくて、薬局で売ってました。列車の中で父親と母親は、自分たちが打ったついでに僕にも打ったらしいんです。小学校上がったばかりの子供にですよ(笑)。それで僕がイっちゃったらしいんです。『列車から飛び降りる!』ってスーパーマンみたいな格好したって(笑)。」
あの、近衛さん無茶がすぎます。そして、その近衛十四郎が、東映という会社ではけっして恵まれていないことを松方は知ってしまう。
「京都の都ホテルにプールがあって、近衛さんが僕を連れていってくれたんです。そのとき、プールの向こう側にいた親子を見たとたん、近衛さんが飛んでって、へいこらお辞儀をするんですよ……この人、いったい誰なんだろうって……あとからわかったんですが、頭を下げた相手は市川右太衛門先生、隣にいたのはその息子たち、北大路欣也とお兄ちゃんだったんです。……自分と同じくらいのこの子供には負けたくないって思いましたね」
上下関係にきびしい東映城の伝統と、松方の屈託が理解できる。以下次号。
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