U2 - With Or Without You
掲載されたのが今年の2月24日なのでちょっと話としては古くなってしまったかもしれない。でも、とても重要なことがらを含んでいるし、近ごろその傾向はどんどん加速しているようなので特集します。「今月の名言」まで待っていられない。
載ったのは朝日新聞文化欄。「表現のまわりで」とするコーナーに寄稿したのは精神科医の斎藤環氏。オタク研究家でもあり、あの「ヤンキー化する日本」の著者でもある。いつか特集しようと切り抜きをずっと通勤バッグに入れてました。
齋藤氏は最初からかましている。
「日本の言論界を妖怪が徘徊している。『キャラの立った高齢者』という妖怪が」
2月に産経新聞に
「南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった」
というとんでもないことを書いた曽野綾子のことを指している。あの曽野綾子が、あの産経新聞に書いたのだから仕方ない……とわたしたちは見過ごしがちで、海外ジャーナリズムの指摘があって初めて騒ぎになった現状を痛烈に齋藤氏は批判している。
曽野綾子はかつて新潟県中越地震について、
「避難所で救援物資を当てにして待っている避難者は甘え過ぎだ。避難する時に寝具を担いで逃げるのは当たり前。自分ならガス漏れの心配のない所ですぐに火を熾して米を炊く。必要なものが手元にないのなら、その辺で調達してくる才覚も必要だ」
と放言した人だし
「性犯罪に遭った被害者にも落ち度がある」
「(震災直後に)放射線の強いところには高齢者を行かせよ」
と、その発言はとどまるところを知らない。そしてわたしたち(とメディア)はそんな彼女の放言に慣れっこになってしまっているではないかと。齋藤氏はこのコラムでこう結ぶ。
「立ったキャラの言動については責任能力を問わない、という意味で差別であり、キャラの人権の否定にほかならない。保守論壇人といえども人権は尊重されなければならない。私は曽野氏の人権の回復のためにも、メディアが彼女をキャラとして差別し消費することに、強く反対するものである。」
寸鉄人を刺す、とはこのコラムのためにあるような言葉だ。わたしも差別反対。唾棄すべき発言にはやはりきちんと唾棄しなければならないと覚悟。がんばります。ということで次回は読売新聞にちょいとかみついてみます。
本日の一曲はU2の「With Or Without You」。「ソロモンの偽証 後編・裁判」のエンディングテーマにこの曲を選んだ人は誰?すばらしい選曲。おじさんまた泣きそうになってしまいました。ボノとエッジが同世代だと知った瞬間から、わたしたちも世界に参画しているんだと実感。次号「読売新聞」につづく。
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