昨日は午前中、住職と手分けして法務。
午後は総代役員会。
巡番報恩講の反省と仏婦役員人事もあり、仏教婦人会の役員さんにもお出でいただきました。
前坊守(義母)が亡くなった昭和61年、前住職(義父)が、それまで名ばかりであった「法専寺仏教婦人会」を再結成。
まだ西も東もわからぬ「若坊守」である私を支えるように義母から託されたM・Nさんが仏婦会長に就任。副会長のI・KさんとM・Sさんと共に、それから現在まで21年間、ずっと、頼りない坊守の私を支えていただいてきました。
「法専寺の母」達には、いくら感謝しても感謝し足りないほどお世話になっています。
その会長さんが体調不良のため、今年度、初めて役員交代。
新会長は、前会長の娘のような年齢のM・Yさん(組の会長から教区の会長まで務めていただいていたので、対外的には、「法専寺の仏婦会長」と認識されておられた方)
副会長(お二人)も辞意を伝えられましたが、二人とも辞めてしまわれるのは、困る・・・ということで、70代のM・Sさんが留任。
ならば、今回、もう一人の副会長さんには、若い方に入っていただくべく、50代のN・Eさんを説得することに合意。
昨晩、役員懇親会終了後、住職と二人でNさん宅へお願いに参上、半ば強引にお引き受けいただきました。ごめんなさいね、Nさん。
今回辞任された80代の「法専寺の母」のお二人には、名誉会長、仏婦顧問として役員会に残っていただき、ご指導いただきます。
不出来な「法専寺の娘」をお見捨てなく、これからもよろしくお願い申し上げます
午後は総代役員会。
巡番報恩講の反省と仏婦役員人事もあり、仏教婦人会の役員さんにもお出でいただきました。
前坊守(義母)が亡くなった昭和61年、前住職(義父)が、それまで名ばかりであった「法専寺仏教婦人会」を再結成。
まだ西も東もわからぬ「若坊守」である私を支えるように義母から託されたM・Nさんが仏婦会長に就任。副会長のI・KさんとM・Sさんと共に、それから現在まで21年間、ずっと、頼りない坊守の私を支えていただいてきました。
「法専寺の母」達には、いくら感謝しても感謝し足りないほどお世話になっています。
その会長さんが体調不良のため、今年度、初めて役員交代。
新会長は、前会長の娘のような年齢のM・Yさん(組の会長から教区の会長まで務めていただいていたので、対外的には、「法専寺の仏婦会長」と認識されておられた方)
副会長(お二人)も辞意を伝えられましたが、二人とも辞めてしまわれるのは、困る・・・ということで、70代のM・Sさんが留任。
ならば、今回、もう一人の副会長さんには、若い方に入っていただくべく、50代のN・Eさんを説得することに合意。
昨晩、役員懇親会終了後、住職と二人でNさん宅へお願いに参上、半ば強引にお引き受けいただきました。ごめんなさいね、Nさん。
今回辞任された80代の「法専寺の母」のお二人には、名誉会長、仏婦顧問として役員会に残っていただき、ご指導いただきます。
不出来な「法専寺の娘」をお見捨てなく、これからもよろしくお願い申し上げます