仏教で言う「他力」とは
「私を、自然科学上も、無数の縁の上も、ささえ生かしてくださっているあらゆる力、はたらき。その目には見えない無量の(はかりしれない)「おかげさま」(それを阿弥陀如来と称す)
その「おかげさま」に気づき、心豊かに 生きよ
と「私」に向けた阿弥陀如来の願いを「本願」と言います。
「他力本願」とは、世間で使う、他人まかせ、他人の力を当てにする という意味ではなく
阿弥陀如来が
「私」をさとらせたい
自我に縛られた不自由な感性を 自由な、豊かな感性 に転じさせたい
と願い、はたらいてくださっている意味です。
「私を、自然科学上も、無数の縁の上も、ささえ生かしてくださっているあらゆる力、はたらき。その目には見えない無量の(はかりしれない)「おかげさま」(それを阿弥陀如来と称す)
その「おかげさま」に気づき、心豊かに 生きよ
と「私」に向けた阿弥陀如来の願いを「本願」と言います。
「他力本願」とは、世間で使う、他人まかせ、他人の力を当てにする という意味ではなく
阿弥陀如来が
「私」をさとらせたい
自我に縛られた不自由な感性を 自由な、豊かな感性 に転じさせたい
と願い、はたらいてくださっている意味です。