2月末は、佐賀在住の叔父(実父の末弟)が亡くなり、落ち着かない数日を過ごしました。
親戚の集まりの音頭をとってくれていた父の従弟が4年前往生してからは、集まることのなかった親戚一同です。
今回の叔父の葬儀で、数年ぶりに集い、お互いの近況報告や、先に亡くなった者たちの思い出話など、話がつきることなく・・・泣いたり、笑ったり・・・
叔父は養子に入っていたので、禅宗のご葬儀でした。
他宗のご葬儀には疎い私ですので、興味津々です。
いつもは、ご導師の後ろ姿を通して拝見するばかりですが、
今回は、ご導師横の遺族席から、作法を拝見させていただくことができ、
曹洞宗の葬儀作法がよく見えました。
ご法話も、遺族に寄り添った、温かいご法話をいただきました。
「いのち」の法話は、遺族の小中学生の孫たちの心に響くご法話であったと思います。
尊い仏事(葬儀)でありました。
私達は、真宗の作法でお焼香させていただき、声に出さず、お念仏申させていただきました。南無阿弥陀粒
親戚の集まりの音頭をとってくれていた父の従弟が4年前往生してからは、集まることのなかった親戚一同です。
今回の叔父の葬儀で、数年ぶりに集い、お互いの近況報告や、先に亡くなった者たちの思い出話など、話がつきることなく・・・泣いたり、笑ったり・・・
叔父は養子に入っていたので、禅宗のご葬儀でした。
他宗のご葬儀には疎い私ですので、興味津々です。
いつもは、ご導師の後ろ姿を通して拝見するばかりですが、
今回は、ご導師横の遺族席から、作法を拝見させていただくことができ、
曹洞宗の葬儀作法がよく見えました。
ご法話も、遺族に寄り添った、温かいご法話をいただきました。
「いのち」の法話は、遺族の小中学生の孫たちの心に響くご法話であったと思います。
尊い仏事(葬儀)でありました。
私達は、真宗の作法でお焼香させていただき、声に出さず、お念仏申させていただきました。南無阿弥陀粒