先日、某勉強会にて、鍋島藩多久家の日記(古文書)を解説くださり、
寛政4年(1792年)に起きた島原の火山大噴火について知りました。
1991年の島原普賢岳の大噴火、大火砕流の生々しい映像記憶がありますが、
江戸時代(11代徳川家斉の頃)にも、大噴火があったのですね。
山から火砕流、海からは大津波も押し寄せ、死者1万5千人以上の大災害です。
島原湾対岸の肥後でも津波被害が出で、この大災害を「島原大変肥後迷惑」と称すようです。
被災状況、鍋島藩に避難した被災者への炊き出しや被災地浜辺の死体掘り出しに派遣された方々のことなど記録されています。
講師曰く、後日、風評被害や占いにより惑わされる様子などもあり、
「人間は昔も今も変わらない」と話されました。
後世の人々の災害予想のためにも大切な資料だと感じました。