山陰教区妙好人カレンダーの今月の言葉です。
仏教で「迷う」という言葉は人生におけるチョイス・選択を迷っているという意味ではなく、仏の覚り・智慧がない(自分の思いに執着する)ため、悩み苦しみがより多い生き方をしている状態を言います。
「私」と自覚する私は、生まれながらに我が身が1番。我が身がかわいい。
仏さまの本願(こんな私をも覚らせたい、仏にしたいとの慈悲の仏願)に気づかせていただき、
仏さまを悲しませないように生きようと心がけても、
元が元だけに、自己中心の思いは離れがたい。
「わかっちゃいるけどやめられない」
まさに、臨終の時まで、煩悩の只中に生きている私がいます。
だから、そんなことはわかっておられる阿弥陀如来が私のために、本願を立てられた。
一生「迷い」を離れられない私は、もう、阿弥陀さまにお任せするのみです。
南無阿弥陀仏
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