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第11代齋藤用之介

2022年06月16日 | 佐賀ネタ
 

 齋藤用之介をご存知ですか?
 
「さがんもんなら、知っとかにゃあ」(佐賀の人間なら、知っていて当然)と、連れ合いに言われたのですが
すみません、私は、ゆめさが大の講義で聞くまで、知らなかった〜
 齋藤用之介
とは、初代から代々、鍋島藩に「葉隠」精神で仕えてきた武士。
 第11代齋藤用之介は明治初頭、初代沖縄県知事・鍋島直彬(岩倉具視の推薦で着任、鍋島支藩・鹿島藩最後の藩主だった)の勧めで、沖縄県に巡査として赴任。
 琉球王国から沖縄県になった(させられた)県民にとって、内地からの、しかも警察官。
 警戒心から冷ややかな対応だったが、
用之介は、地元の集まり(飲み会)に積極的に顔を出すことで、言葉や風習、地元の食事に慣れ、葉隠四誓願の
大慈悲を起こし、人のためになるべきこと
を実践。
 住民の立場に立って、小さな相談にも乗った。
 明治31年、39歳の時
那覇区長と島尻郡長を兼任。
 沖縄南部(現・糸満市)に用之介の名前の付いたを作り、また、沖縄に初めて鉄道を走らせ、サトウキビを運搬した。
 島尻各地に「老農会」(長老の意見を取り入れながら農業の活性化)、「青年会」を結成、指導者を育成して、農業、水産業の専門学校(現・沖縄県立沖縄水産高校)を作った。
 明治36年、島尻郡の島の1つ、硫黄鳥島が大噴火。島民700人、100世帯を軍艦(本土に派遣要請)に乗せ、久米島へ、沖縄独特の大きなお墓も丸ごと移住。移住費、住宅建設費も国が負担する約束を取付け(中央政府・大隈重信、赤十字の佐野常民らとの人脈)
島民一人の犠牲も出さず、わずか10ヶ月で村ごと(移住前のお隣ご近所そのままに)移住完了させた。
 現代でも、久米島字鳥島地区では「移住記念日」を祝い、第11代齋藤用之介を神と崇める祭りが続いている。
 この数年、コロナで中止らしいが、例年、齋藤用之介子孫(現在は第14代)がお祭りに招かれているとのこと。

 那覇区長を9年、島尻郡長を16年間、民の立場に立って、民ために誠心誠意尽した。
 退職の際は郡民1万人以上が集まり、別れを惜しんだという。
 佐賀人の誇りですね。
 
 
 

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