お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

訃報続き

2023年10月12日 | 雑感
 

 突然秋になって気温差に戸惑う中、ご門徒さんのご往生が続いています。
 故人がお元気だった時のお姿が浮かびます。長年お世話になりました。
 南無阿弥陀仏
 
 きょう、ご高齢の喪主に接し、思いました。
 長年連れ添った伴侶を失った悲しみで何も考えられない中に、「喪主」ということで、何かやと決めなくてはいけない事務的なことが多すぎて、本当にお辛いことだと。
 
 写真↑の白い花はこの季節の
アケボノソウ。

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ビハーラ佐賀基本学習会

2023年10月10日 | 行事・案内


 きょう午後は、2023年度ビハーラ佐賀 第2回基本学習会へ。
 講師へ柳川国際青少年ロッジ代表、サンブリッジ国際交流協会理事長・T氏。
 海外経験豊かでいらっしゃるので、大変興味深いお話を伺いました。
 印象に残った言葉です。
 「相手の目線に立つ」
 
 「人間は楽はしたがるが面倒なことはしたがらない」
 「AIに全て任せるなら人間は要らない」
 「面倒くさいことをするのが人間じゃないのか」

 「人が集う行事、付き合いが面倒と止めてゆき、人とのつながりが、どんどん失われつつある」
 氏のお話に、いろいろ考えさせられました。



 

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2023年10月の言葉 その2

2023年10月09日 | 仏教
 

 「ほのぼのカレンダー」今月の言葉です。
 私は全く仏の智慧がありませんが、仏の智慧光に照らされ願われています。
 年齢を重ねても成長のない、お粗末な私ですが、智慧光を受けて、私なりに輝いて生かされて生きてゆきたいと思います。
 
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聖徳太子を訪ねて その4

2023年10月08日 | 仏教


 今回、旅の最後は奈良県葛城市の當麻寺へ。
 真言宗と浄土宗並立寺院。
 副住職さまのご案内で、伽藍三堂と、お一人で手入れなさっていると言われるお庭めぐり。
 副住職さまは高野山でご修行なさったとのこと。
 開基は聖徳太子の異母弟・麻呂古王とされる。
 中将姫(藤原鎌足子孫の姫君)が當麻寺で出家され、極楽浄土を願い、「観無量寿経」の仏法曼荼羅(4m四方)を織り上げられた。
 その曼荼羅で有名。
 今は、その曼荼羅は宝物館に保管され、曼荼羅を正確に移した絵が代々伝えられている。
 中之坊に縮小された曼荼羅がかけてあり、僧侶による曼荼羅の絵解き(解説と声明)もありました。

 源平合戦の折、平氏が當麻寺にも火をつけましたが、後、源頼朝が寄進したと言われる須弥壇がありました。



 写真↑は日本最古の梵鐘。

 こうして、多くの皆さまのお蔭様で、有難い感動の2泊3日の旅を終えました。
 素晴らしい先輩方とご一緒させていただいて仕合せでした。
 グループ最高齢はもうすぐ90歳の女性。ウオーキング欠かさず、今も若い方々とゴルフをなさっているとのこと。かかりつけ医もなく、湿布薬以外、薬とは無縁。階段もサッサと上られる。よく食べ、お酒も強い、どう見ても70代にしか見えない方。グループ最年少の私が1番老けていたかもです。

 今回、モントトラベル(門徒旅行社・東本願寺住職が立ち上げられた旅行社)を初めて知りました。
 国内外の仏教遺跡巡りなどお世話くださる旅行社で、旅費も詳細明瞭。
 今回、新参者の我々夫婦以外の皆さんはインド仏跡旅行以来の長いお付き合いの添乗員Mさんのインドはもちろん、海外のお話も面白かった〜
 お世話になりました。
 さて、今回、初めて知ったこと。
 聖徳太子は178cmの長身だったそうですよ。
 

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聖徳太子を訪ねて その3

2023年10月07日 | 仏教
 大阪府南河内郡太子町の
聖徳太子御廟所・叡福寺へ。
 

 622年相次いでご逝去された聖徳太子母君、妃、太子の御三方が埋葬されている磯長廟(しながびよう)。↑ 宮内庁の立て札。
 叡福寺は御廟所を中心に広大な寺院ですが、1574年信長により焼き討ち。
 1603年豊臣秀頼の再建に始まり、江戸中期までに再興されたそうです。

 

 宝塔 ↑


 
 金堂 ↑ 本尊は如意輪観音。

 

 境内には、明治45年本願寺により建立された見真大師堂。
 見真大師とは、親鸞聖人のこと。
 親鸞聖人は聖徳太子を大変敬っておられ、生涯に4度(最後は88歳で)、太子の廟所にお参りされた記録があるそうです。
 一同で「重誓偈」をお勤めしました。
 
 
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聖徳太子を訪ねて その2

2023年10月06日 | 仏教
 

 2日目、法隆寺と同じ斑鳩。
 聖徳太子御子・山背大兄王ゆかりの法輪寺。土地名から三井寺とも呼ばれる。
 斑鳩三塔として親しまれた三重塔は昭和19年、落雷で消失。昭和50年竹島卓一博士、宮大工・西岡常一棟梁のもと元の姿で再建されたもの。
 講堂には主に飛鳥、平安時代の如来、菩薩像が安置されています。
 シルバーセンターのガイドさんに詳細にご案内いただきましたが
「素晴らしい仏像がたくさんいらっしゃるのに皆さんあまり寄ってくださらない」と残念がっておられました。
 確かに、法隆寺、境内の中宮寺には、修学旅行生がいっぱいでしたが、法輪寺、法起寺は中高年が疎らに拝観でした。

 

 ↑現存する日本最古の三重塔のある聖徳太子建立の法起寺。
 「ホッキジ」と親しまれていますが、法隆寺の世界遺産登録に合わせて正式名称が「ホウキジ」になったそうです。

 斑鳩から明日香へ。昼食後は、聖徳太子お誕生の地に建つ橘寺へ。

 
 
 酔芙蓉がたくさん。
 ご住職にご案内いただき、一般拝観できない所も見せていただきました。
 如意輪観音に6本手があるのは六道に迷う衆生のため。正面から見えない6本目の腕を須弥壇横から拝見。また、須弥壇真後ろに回ると、何と、阿弥陀さまの御絵が。
 
 

 美しい天井絵のお堂も。

 

 境内の紫式部。

 2日目最後は、596年日本で最初に創建された寺・飛鳥寺へ。寺名は法興寺、元興寺とも。
 

 本尊・飛鳥大仏(釈迦如来坐像)は鞍作鳥(止利仏師)

 

 国宝でないのは、平安、鎌倉の火災で補修され、元の部分は少ししか残ってないかららしい。
 

 花々の美しい道を歩くと蘇我入鹿の首塚があります。↓




 のどかな風景。
 奈良のお寺周辺住宅は皆、違和感なく見事に調和しています。
 2日目夜は、犬鳴山温泉(大阪府泉佐野市山間部)に宿泊。
 「犬鳴」と聞くと筑豊出身の私は「犬鳴峠」(宮若市〜久山町)を思い出します。



 
 
 
 
 
 
 
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聖徳太子を訪ねて

2023年10月04日 | 仏教


 基山のK寺前坊守さま(同窓先輩)のお誘いで、「聖徳太子をたずねる旅」に昨日から参加。僧侶、篤信の真宗門徒さんによる13名のグループ旅行。
 昨日は、先ず法隆寺、中宮寺をたずねました。
 

 
 

 写真↑ 法隆寺境内、尼寺の中宮寺。
 

 

 法隆寺では、宿泊先(和空法隆寺・法隆寺から歩いてすぐの旅館)の従業員さんによる案内解説に感動。まるで学芸員さんのように詳しく、興味深いご案内をいただきました。
 初めて知ること多々あり。個人旅行では味わえない深い有難い旅をさせていただいています。
 



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聖徳太子

2023年10月02日 | 仏教
 きょうは午前中、寺族勉強会へ。
 聖徳太子『十七条憲法』の一部のご教示がありました。
 「忿」(いかり・腹を立てる心)を絶ち、瞋(いかり・目をむいていかる)を棄てて、人の違いを怒らざれ。
 人は皆心ありて、心おのおの執るところあり。
 彼是なれば、則ち我は非なり。
 我是なれば、則ち彼は非なり。
 我必ずしも聖に非ず。
 彼必ずしも愚に非ず。
 共にこれ凡夫なるのみ

 有難い憲法、お言葉です。
 自分の思いに執着しながら生活しているお互い。
 まさに、お互いさま。
 仏の智慧に程遠い「凡夫」の自覚を持って、
先ずわが身を仏さまの前に、省みるよう、こころがけたいと思いました。
 仏の教えに基づく聖徳太子の憲法にそって政治が行われ、お互い凡夫の自覚を持って生きたら、世界が平和にならないかなあ。
 
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2023年10月の言葉

2023年10月01日 | 仏教
 

 10月になりました。
 法語カレンダー今月の言葉(坂東性純師)です。
 今、拝読している梯實圓和上のご著書の中に
「『南無阿弥陀仏』という言葉は阿弥陀様のお言葉ですから、これは人間の言葉ではないでしょう。あれは仏様の言葉、仏様とご挨拶する言葉なのです」
と、あります。
 念仏は
私の願いが叶うように
とか あるいは
死者の冥福を祈る
とか
魔除け
とか の
私の都合の呪文の言葉ではなく
阿弥陀さまが私に何を願ってくださっているのかに気づかせていただき感謝申し上げる言葉。
 念仏は
私の口を通して現れておられる阿弥陀さまの「はたらき」そのものと味わせていただきました。
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