いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

散歩:大分県杵築 [きつき] 2回目:その2 杵築城、南台、一松邸、杵築カトリック教会、市役所

2025年04月02日 18時06分12秒 | 筑紫洲 (つくしのしま)

1.杵築市役所、2.佐野家、3.大原邸、4.磯矢邸、5.大扇旅館(お食べ家 円)、6.杵築城、7.一松邸、8.杵築カトリック教会、A:酢屋の坂、 A':塩屋の坂

■ ⇒ 5.大扇旅館(お食べ家 円)

■ 5.大扇旅館(お食べ家 円)

⇒ 食べログ

■ ⇒ 6.杵築城

■ 6.杵築城

杵築城:主な城主 木付氏、前田氏、宮部氏、杉原氏 細川氏、小笠原氏、松平氏(wikipedia

■ ⇒ 酢屋の坂

■ 酢屋の坂

■ ⇒ 中根邸 ⇒7.一松邸

■ 中根邸

谷町から塩屋の坂を上るとそこは南台家老丁の入り口。ここに建つ中根邸は杵築藩家老 中根氏の隠居宅。
杵築藩主に仕えた三河国中根村出身の中根長兵衛末治は、やがて杵築藩一の家老にまで出世する。屋敷の建つ土地の広大さから見ても当時の栄華が偲ばれてくる。

代々家老を務めた中根家が、隠居後に選んだのがこの土地で、家老職から解放され、静かで穏やかな余生を過ごしたいという願いが見て取れる屋敷となっている。
6畳の茶室を始め、10畳の座敷もまた茶室として炉が切られている。その脇には3畳ほど茶の準備室も設けられ、主人たちがこよなく茶の湯を愛していたことがわかる。 (観光協会 web site

■ ⇒ 7.一松邸

■ 7.一松邸

ひな人形の衣が皮とのこと。

一松邸は、杵築市の初代名誉市民となった一松定吉氏の邸宅で、昭和32年に杵築市に寄贈され、「一松会館」として市民の憩いの場として開放されていた。その後、市庁舎の移転に伴って、杵築城と海を望む絶景の場所(現在地)に移築されたもの。

 一松氏は現在の豊後高田市にあたる美和村の出身。杵築藩の剣術や槍術の指南役であった一松家の家督を継ぐ養子として入り、その後ながく法曹界で活躍、のち政界に転じ、第一次吉田内閣で逓信大臣、以降厚生、建設各大臣を歴任。

その邸宅は、杉の柾目の一枚板を敷いた縁側、格天井(ごうてんじょう)を客人用の御手洗に施すなど、贅沢で洗練された趣が屋敷を包む。戸袋を減らすために雨戸を直角に回転させる工夫を施した「回り戸」は、機能的で合理的な技術は現在でも十分に通用する。 (杵築市 web site

中根邸から東(上地図の左)へ向かう。台地の伸びる方法へ道が真っすぐに走る。上下方向=南北方向は高低があるので、坂が走る。

■ ⇒ 8.杵築カトリック教会

■ 8.杵築カトリック教会

オラショ巡礼の道。 それは日本人で初めて聖地エルサレムへ渡航した福者ペトロ・カスイ岐部の出身地である国東市をスタートし、美しい城下町に佇む杵築カトリック教会を経て、日本に初めてキリスト教を布教した聖フランシスコ・ザビエルの聖遺物が祀られている日出町の大分トラピスト修道院へとつながる総距離111キロメートルの祈りの道です。引用元

■ ⇒ 杵築市役所

■ 杵築市役所