いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第385週

2022年03月26日 17時22分47秒 | 武相境

▲ 今週のみけちゃん

▼ 新しい街でもぶどう記録;第385週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花実

■ 今週の購書

下の2冊が428円。上の8冊が100円。

買った1冊が『将軍と側近 室鳩巣の手紙を読む』。将軍と側近は抽象的たが、室鳩巣(むろきゅうそう)。

室鳩巣は少し知っていた。愚ブログに出てくるのはこの話;

八代将軍・吉宗が大奥の大整理・大量解雇をした。その時、当初、解雇目的をいわず、美女を選べと指示、選ばれた「美女たち」が解雇された。

吉宗の侍講である室鳩巣が、享保五年十一月二十九日付で弟子の青地礼幹たちにおくった書状の中に、このことが記されているのである。 (笠谷和比古、『徳川吉宗』)[愚記事;芝居のような史実;その伝承経路:大奥大量解雇事件の例]

この吉宗の時代は、「将軍原理主義」が復興した時期。こういう時代だ;

さて、七代将軍・家継の死により、織田系徳川将軍の系統は絶えた。このあと将軍になった吉宗はもちろん家康の血統を引き継ぐものであり、家康の安全装置設置がまさに効果をあげ、御三家の紀州から将軍になった。この徳川家での系統の変換が、徳川幕府に与えた効果は、結果として、むしろ絶大であった。病弱の将軍、幼い将軍が名目上将軍職に就くより、実力のある御三家の大名が将軍になったことで、幕府での将軍の求心力が強まり、それまでの側近政治を廃止し、将軍と老中による家康時代の本来の幕府運営が行われることとなった。(愚記事; 今度、吉宗クンと竹田クン。

この時代に新井白石もいた。室鳩巣もいた。その室鳩巣の話の本らしい。ざっと、みたら、大奥解雇の話は出てこない。

■ 今週の繕い

手袋に穴があいたので、繕った。

■ 今週の値上げ前

現在のうまい棒の卸値は7円50銭と知る。google

■ 今週の いか

【富山県産】生ほたるいか軍艦 (魚屋路

■ 今週の家風; 「両岸」性

 

判断のむずかしい問題について、岸は賛成・反対の意志を明言せず、風見鶏かざみどり的な対応を取ることも多かったので、よく「両岸」と揶揄やゆされた。しかし岸は、「党内をまとめていくのに、いっぽうの『岸』だけ好いて、他方の『岸』を押さえつけるわけにはいかない」と語り、さまざまな立場の人々を調和させることが、難題を解決するには必要なのだと考えていた。 (出典;岸信介の人間力

■ 今週の「ウィキペディアの死神」が来る前に


3/24早朝のwikipedia

(よりによってこの時期に)24日の早朝、オルブライト死去のニュースをtwitterでみた。河野太郎のtwitterやwikipediaを見ても、確認できなかった。wikipediaは、「ウィキペディアの死神」(google)が来る前にみたことになる。

Google [オルブライト  NATO 東方拡大を推進]

■ 今週のレコンキスタ史跡探訪

由木通信所(ゆぎつうしんじょ、Yugi Communication Site)は、東京都八王子市別所にある、元在日米軍施設である。 2016年7月1日に敷地の全てが日本側に返還された。

敷地面積は、3891平方メートルで、横田飛行場(横田基地)と同じく米第5空軍第374空輸航空団が管理をしていた。

全て国有地となっており、敷地内には、47メートルの通信鉄塔のみが建ち、極超短波通信中継施設として機能している。  (wikipedia

レコンキスタ史跡といったが、この施設は、1954年に日本政府から米軍に提供されたらしい。つまり、サンフランシスコ講和条約締結以降なのだ。つまり、占領された区域ではない。でも、講和を締結しても、実際は、保護国なので、事実上の強制接収だったのだろう。

おいらは、電波塔を見ることができなかった。おいらが歩いた経路からは死角になっていたのであろう。

    ↓ おいらが見られなかった風景


wikipediaより

■ 今週(<荊の簪を挿す御方様>が)借りた本;あるいは、「ヤソ」(耶蘇)、「ケトウ」(毛唐)

愚ブログでは、耶蘇、毛唐という語彙が使われている。(愚ブログ内の耶蘇毛唐

荊の簪を挿す御方様が借りて読んでいる佐野洋子のエッセイ。又借りして、見てみた。
彼女の父親(佐野利一[1])についての話が書かれている。

▼「ヤソ」(耶蘇)

「うちもクリスマスやろうよ」
と夕飯の時、私は言った。
「馬鹿野郎、お前はヤソか」
と父は間髪を入れずにどなった。私はおそれ入った。
「日本人が何でクリスマスをやるんだ。馬鹿な野郎ばかりふえやがって」
 子供の私はクリスマスがヤソのお祭りかどうかは知りもせず、キラキラと光るロマンティックな素敵なことでしかなかった。 (佐野洋子、『ふつうがえらい』、お前はヤソか)

▼「ケトウ」(毛唐)

 私の父は、外国人のことをケトウと呼んだ。マッカーサーもケトウで、ベートウベンもケトウだった。
「日本はいつ発見されたの」
と父に聞いた時、
「日本は発見されなくてもちゃんとあった。ケトウのいいそうなことだ」
とはきすてるようにいった。
 そして父は、学校で西洋史を教えていた。 (佐野洋子、『私の猫たち許してほしい』)

[1] 佐野洋子の父は、埼玉の農家の七男で、東大を出て、北京大や満鉄に勤めていた。(愚記事

満鉄調査部出身で東洋史が専門と書いていた。戦後は、三木氏の入学した静岡高校で世界史の先生をしていたという。また、洋子の『シズコさん』によると、利一は浦高、東大卒。洋子が19歳の時、50歳で亡くなったという。「支那に於ける封建語義の変遷」『歴史学研究』昭和8年11月号などを書いているよう であるとのこと。(ソース:ブログ 神保町系オタオタ日記 様記事; 佐野洋子の父、満鉄調査部の佐野利一

■ 今週気付いたこと; 米国の保護国・日本のソヴィエト化


愚記事より。多摩ニュータウンの団地

多摩ニュータウンに代表される「団地」の風景は、アメリカ人にとっては「ソヴィエトの街」の象徴であると上のYouTubeのサムネからわかる。 一方、下の画像は日本占領米軍の住宅地の風景だ。とても「疎」。


愚記事より  グラントハイツ、現在、光が丘団地

↓ ソヴィエト化。現在の光が丘団地

GoogleMap

滝山コミューン一九七四」というのも、(造成、建築という)物質的背景の元での出来事か?

■ 

 


新しい街でもぶどう記録;第377週

2022年01月29日 17時01分23秒 | 武相境

▲ 今週のみけちゃん

■ 今週のよその猫

▼ 新しい街でもぶどう記録;第377週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花実

■ 今週の壁画/壁オブジェクト


JR十日市場駅

■ 今週の三昧


いか三昧;回転ずし魚屋路、いか握りいかげそ握りいか天

■ 今週の聖護院


寒ぶりと聖護院かぶらの押し寿司:『日本海産』天然寒ぶりと『聖護院かぶら』を使用し店内で押し寿司

■ 今週の和製英語の進化

managerは、日本で従来、マネージャーとされてきた。長母音が2つも。 managerの発音は「まにじゃ」。シラブルとして似ているのは、(時代劇で出てくる)「兄じゃ」。「兄じゃ」のに変えれば、発音が似ている。古来のマネージャーが、マネジャーに進化している。

■ 今週の広告


横浜市営バスにて。「原点回帰」らしい。

■ 今週の購書

ブックオフで100円。2010年の本。林兼正(はやし けんせい)、『なぜ、横浜中華街に人が集まるのか』(Amazon)。中華街"コミュニティ"代表の中華街事情説明の本。2月の正月、6月の関帝誕生日に祭りをやって中華街"コミュニティ"の結束を高めるという、日本の村社会のような共同体運営を誇る。

中華街の歴史が簡潔に説明されている。「中華街」の呼称は1960年代以降で、それまでは南京町。チャイニーズ当人たちは唐人街と呼んでいた。唐人街は横浜開港とともにできて、横浜開港時最も多い外国人は、欧米人ではなく、チャイニーズの1000人であった。彼らは「買弁」であった。その後の歴史で5万人いた時もあるらしい。現在は、3000人とのこと。

林兼正は、中華街の将来について心を砕き、孫の世代にどのように残して、発展させるかを考えている。これもまた昔の日本の村社会のような共同体運営のようである。むしろ、現在の日本社会の各コミュニティは孫の時代にどうするとか考えてなさそうではないか。逃げ切るばかりを考えている権力者が多いのではないか。

■ 今週のリバイバル:3位、有吉佐和子、『非色』

Amazonの本のトップページをみると、ランキングに有吉佐和子、『非色』(Amazon)があった。1963年の小説だ。何事か?と思った。どうやら、NHKの朝ドラの影響らしい。

有吉佐和子は1959年にロックフェラー財団の金[1]でアメリカに滞在している。滞在したのニューヨーク近くのサラ・ローレンス・カレッジ。学校はともかく、ニューヨークに通い詰めたらしい。そのニューヨークで日本からの戦争花嫁に取材して創作したのが『非色』。おいらは、去年の夏に図書館から借りて読んだ。ブログには書いていない。主人公は黒人兵と結婚し東京で子供を産む。のち、渡米。渡米するときの船の中(三等客室)で複数の戦争花嫁仲間ができる。その船では留学生も出てくるのだが、有吉がかれらを醜く描いているのは興味深かった。なぜなら、渡米した有吉は留学生だったのだから。なお、有吉佐和子の実際の渡米は飛行機であった。登場する戦争花嫁たちの夫は黒人、プエルトリコ人、そしてユダヤ人とwaspがいない。『非色』は現実の戦争花嫁たちの実体験談をもとにして、一般的情勢を組み合わせて話をつくっているので、できすぎ、つくりものくさいと思わなくてはいけないのだが、面白さを感じるのを禁じえなかった。敗戦直後は戦争花嫁たちの金銭・物資調達力に依存していた戦争花嫁の家族たちも黒人の子供を産むと疎遠になっていく話とが、実話なんだろうなと思う。でも、ちゃんと米兵と結婚して渡米するというのが稀だったのではなかろうか。実際生まれた米兵との子供の運命は苛酷なものであったとのこと。

[1] ロックフェラー財団の金=ロックフェラー財団研究員

いずれにしても、小島氏や私のような、あるいは安岡章太郎や庄野潤三氏や有吉佐和子氏のような、ロックフェラー財団研究員とは、いったい何だったのだろうか?これらは後世の批評家や文学史家が、解き明かさなければならない一つの興味深い宿題である。(江藤淳、『自由と禁忌』、1984年、Amazon

後世の批評家や文学史家が、解き明かさなければならない一つの興味深い宿題への応答として、『日本文学の〈戦後〉と変奏される〈アメリカ〉』(金志映、2019年、Amazon)、文士たちのアメリカ留学 一九五三‐一九六三(斎藤 禎、2018年、Amazon)などがある。

 


新しい街でもぶどう記録;第375週

2022年01月15日 18時04分59秒 | 武相境

▲ 今週のみけちゃん

▼ 新しい街でもぶどう記録;第375週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花実

■ 今週の「日貨」撤退


愚記事:中国⑮ 日貨氾濫 2005年10月24日

火付け役として最も有力なのが、01年に上海で発売されたキリンビバレッジの「午後の紅茶」だ。日本での宣伝と同様に、オードリー・ヘプバーンをCMに起用。「午后紅茶」という中国語の商品名と日本語表記をパッケージに併記し、現地のビールと同じ価格帯で売り出して高級ブランド化に成功した。その大ヒットとともに「の」が評判に。04年には広東省広州や北京でも販売され、大都市を中心に「の」が急速に浸透したという。商品名に「~の~」、中国でなぜ人気? 発端は日本の人気商品だった

その「午後の紅茶」のキリンがチャイナから撤退するとのこと。
キリン、中国飲料の合弁解消へ 1000億円で持ち分売却 (google)

■ 今週の「それ俺」と〇学阿"力"


YouTube: 国交正常化50年で正念場~中国とどう向き合うのか【1月7日(金)#報道1930】

TBSテレビの番組をYouTubeで見た。福田康夫元首相が日中外交を回顧するもの。そこに五百旗頭真がコメントするもの。おいらは五百旗頭真が苦手だ。なぜなら、彼は戦後の日本の対米従属体制を寿ぐ現代日本の「えすたぶりっしゅ」さまだからだ。彼の惹句は"「僥倖」としての日本占領"である[1]。

[1] 『環』、vol22、2005、藤原書店

日中外交を回顧する福田康夫元首相は、2008年の北京五輪に参加する。米国ブッシュ大統領も参加。同年春のチベット動乱弾圧の数か月後だ。ちなみに、この時メルケル首相は「外交ボイコット」を行った。国内少数民族を弾圧する中共/党/政府に対し、福田康夫元首相は、お手紙を出しました、えっへん、というお話。頭ごなしに批判をしても相手は言うことを聞かないのだから、静かにお手紙を出しました、えっへん、とのこと。そして、あけすけに中共を批判する対中強硬派を憂慮する態を示す。もちろん、中共は頭越しに批判しても、静かにお手紙を出しても、どちらにせよ言うことはきかない。事実、中共は、チベット平定後、ウイグル、香港と専制を淡々と進めるだけであった。そして、福田康夫元首相も五百旗頭真もウイグル問題など中共の人権問題には何もいわないのだ。二人は自分たちの現状認識させ示さない。

福田康夫元首相の「それ俺」

人権問題には何ら関心を示さない福田康夫元首相は、靖國問題には「困ったもんですねぇ」的態度。第二次安倍政権では安倍首相(当時)が靖國参拝をしたので、中共が硬化して日中首脳会談が困難になった。それを日中首脳会談ができるようにしたのは、俺だ!との回顧。これがこのYouTubeだ。

■ 今週の復刊

本屋に行ったら、清水安三、『朝暘門外』(Amazon)が復刊していると知る。表紙をおもてにして、展示してあった。昨年末らしい。なお、同じく結構以前に復刊された大川周明の本はたまたま並んでいただけである。

おいらがこの本の書名を知ったのは子安宣邦の文章からだ;

子安宣邦が中共はハルピンでの学会に参加した時の話。

私はこの会議で桜美林大学の 学長である佐藤東洋士氏と同席したのである。 (中略)その佐藤学長から帰国後、桜美林大学の現状と将来計画を示す冊子とともに山﨑朋子の『朝暘門外の虹』を私は送られたのである。 それらによって私は初めて清水安三という人物と崇貞女学校を通知ったし、その清水安三が桜美林学園の創設者であることも知ったのである。 その数日後、大阪の懐徳堂塾で徂徠学講義をした翌日、私は四天王寺境内で催されていた古本市を歩いていた。その一つのテントの店頭に並ぶ古書の中から清水安三の徴用問題を見つけたのである。 私はゴミと呼ばれる古書の中から宝物を得たようにしてそれを取り出し、素知らぬ顔で表示通りの安い値段で購入した。 (後略)

子安宣邦、『昭和とはなんであったか』、II アジア主義とは何であったか ー昭和日本の中国体験、6 朝暘門外は我が墳墓の地、清水安三を知る

と、おいらは何年か前にこの清水安三、『朝暘門外』を知った。戦前の本だ。古本で高かった。横浜市立図書館に、実は、あると知る。ただし、持ち出し禁止なのだ。

それが、昨年末に復刊していたのだ。3,300円。すぐには買えなかった。

■ 今週の自殺動機; 「うまくだまして」

他人の自殺をネタに、鬼畜の所業ではあるが。なにやら純粋真っすぐ君の自殺らしい。

https://twitter.com/L5wJ9bWerfxejLY/status/1444921993283784710

 

33歳で自殺した朝日新聞記者の父親が、同僚に向けて書いた手紙の中身

組合機関紙に書かれたA記者の父親の寄稿を引こう。

 〈Aは幼稚園の頃から日記を書き、文章表現を楽しみながら学んでいました。小学校の頃からは「朝日小学生新聞」を毎日読み、多くの図書や雑誌から様々なことに興味を持ち、記者になり、差別や貧困に苦しんでいる人々に寄り添い、ジャーナリストとして真実を報道することを人生の目標としてきました。Aが小学生の頃、私が勤務していた図書館に遊びに来た時のことです。戦時中の新聞記事を示して「戦争は新聞も国のいいなりになってしまったんだよ。気を付けていないと、いつでもこうなってしまうんだよ」と話していたことを思い出します。

戦時中の新聞記事を示して「戦争は新聞も国のいいなりになってしまったんだよ。気を付けていないと、いつでもこうなってしまうんだよ」って、まずは戦争は「国」が新聞の意向を無視して無理やり行ったものであるという物語が頑としてある。新聞が大衆を煽り、国が戦争をしないと国民感情が収まらなかったという発想は微塵もない。昭和の感覚である。これは、図書館勤務の父親の影響かと邪推してしまう。(なお、この図書館は横田基地のある福生であると別情報でわかる)

なにより、戦争を扇動したのは他でもない朝日はじめ新聞社であることは、今ではだれでも口にできるようになった。これらの本気の扇動は「国」に命令されて嫌々やった所業とはとても思えない。さらに、その朝日新聞社には国際的共産主義者組織の尾崎秀実もいたことは、今では、だれでも口にできる。

 

それにしても、自殺動機が、だましてほしいのに、会社がうまくだましてくれないからなのだという。

戦前の「国」は、だましかたがよほどうまかったに違いないという世界観を持ち、死んでいったのだ。

■ 今週の法の支配

自民党外交部会長の佐藤正久議員によると、日本政府と在日米軍には取り決めがあり、防疫ルールは駐留国のルールに従うとのことであったとのこと(YouTube:【台湾有事】中国の動きと日米「2プラス2」・・・2022年の日米関係を展望!【深層NEWS】)。

つまり、地位協定改定以前に、在日米軍の今回の所業はルール順守に悖るのだ。

日米の安全保障を確保するだけではなく、法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序を維持し、地域の平和、安定、繁栄を確かなものとする

(外務省: 日米安全保障協議委員会(日米「2+2」)(概要))とか、わらっちゃうよね。

■ 今週の風物詩

宝塚音楽学校 生徒募集


新しい街でもぶどう記録;第366週

2021年11月13日 18時06分33秒 | 武相境

▲ 今週のみけちゃん

▼ 新しい街でもぶどう記録;第366週

■ 今週のよその猫


神奈川県小田原市

■ 今週の草木花実

■ 今週の庭

小田原、古希庵。山縣有朋がつくって今に残る庭のひとつ。あとは、椿山荘、無鄰菴(京都・無鄰菴再訪 2021年春)。

■ 今週の「自由」を遮るもの「わすれられないたいけん いばらき


JR上野駅、猪熊弦一郎の壁画『自由』を遮る茨城県の広告「わすれられないたいけん いばらき

■ 今週の変


茨城県、石岡市

■ 今週の富士山

多摩モノレールより。立川付近。

■ 今週の神社

阿豆佐味天神社・立川水天宮。 猫返し神社。

愛猫の無事や健康を祈りに多くの方がいらっしゃいます。境内社の蚕影神社(こかげじんじゃ)がその社で、蚕の天敵がねずみ、猫を守り神にしています。「絵馬」に願いを書いたら、無事に帰ってきたという報告も寄せられています。
また、境内には「ただいま猫」の石像があります。やさしく撫でて下さい。阿豆佐味天神社・立川水天宮

■ 今週の石; 仙台石


阿豆佐味天神社・立川水天宮。殉国慰霊碑は仙台石でできていた。仙台石って知らなかった。

仙台石: 稲井石とは、「仙台石」とも呼ばれ、全国にその名を馳せてきた名石「稲井石」。 その歴史は古く、文永五年(西暦1268年)に建てられた宮城県河北町の板碑に使われているのが確認されています。 石質はくろくどっしりと重厚感があり、美しい石目が特徴で、文字を刻むと鮮明な白が浮かび上がることから、明治以降各地の記念碑、墓碑に数多く利用されてきました。ソース

■ 今週のフェンスの向こうのアメリカ

在日米軍、相模原補給廠。 JR横浜線車中より。

■  今週のレコンキスタ史跡探訪: 旧米空軍大和空軍基地跡 (東大和市)

大和空軍施設(やまとくうぐんしせつ)は、かつて東京都東大和市及び立川市に所在していた米軍基地である[1]。大和基地とも呼ばれる。面積343,537平方メートル(約34ヘクタール)のうち、東大和市所在分は約31ヘクタールで立川市所在分は約3ヘクタールだった。
基地建設

2020年現在の東大和市桜ケ丘2丁目から3丁目辺りは第二次世界大戦中には日立航空機の立川工場があり、工場ではエンジンや機体を製造していたが、米軍の3度(1945年2月17日、4月19日、4月24日)にわたる空襲により、工場は壊滅する。

第二次世界大戦後、工場跡地は日興工業や西武鉄道の所有となっていたが、1950年(昭和25年)6月の朝鮮戦争によって新規に基地を建設する計画が持ち上がり、1952年(昭和27年)9月に西武鉄道の所有地が米軍兵舎用地として利用される通告が外務省及び東京都からなされる。大和村(現:東大和市)の人々は「在日合衆国軍兵舎接地反対期成同盟」を組織し村民大会を開催するなど、反対運動を展開した[3]が、1953年(昭和28年)2月27日には土地収用が認定され、同年7月15日に土地収用がなされる。wiki

 

玉川上水駅前にある当時の現物プレート。この看板が基地の門に掲げられていたとのこと。英文の下に日本文がある。日本文は下記に画像と文章を示す。

旧日立航空機立川工場変電所

この変電所は、航空機のエンジンを生産する軍需工場へ送電する変電施設として1938年(昭和13年)に東京瓦斯電気工業株式会社変電所として作られた。翌年には日立製作所と合併、日立航空機株式会社立川工場<立川発動機製作所>の変電所に改称する。戦局の激化に伴い1945年(昭和20年)2月17日、F6Fヘルキャット戦闘機、4月19日、P-51ムスタング戦闘機らによる機銃掃射、4月24日にはB-29 101機の編隊による空襲により被災。隣接する工場は大破したが変電所は大きな被害は免れた。wiki

大和空軍基地」昭和三十一年二月二十四日 正式開設

 我々は世界の平和が総ての自由愛好国家の間に於ける親睦友好関係に対する努力を通して得られることを心に銘記して居ります。
  日本とアメリカ合衆国両国民の間に育てられた固い絆は平和のための永久の防波堤となるでありましょう。
  我々は大和空軍基地将兵が当基地と大和町民とによって現在享有されている尊敬友情を更に助長するよう総ゆる面に於いて身を処して行くことを願うものであります。

■ 今週のレコンキスタ史跡再訪

立川の昭和記念公園。

▼ 今週知った立川l基地の歴史; タイ国空軍が駐留していた。

朝鮮国連軍というのがあり、日本にいる。その朝鮮国連軍の一国としてタイの空軍が1969年まで立川基地に駐屯していたとのこと。

朝鮮国連軍は,1950年6月25日の朝鮮戦争の勃発に伴い,同月27日の国連安保理決議第83号及び7月7日の同決議第84号に基づき,「武力攻撃を撃退し,かつ,この地域における国際の平和と安全を回復する」ことを目的として7月に創設された。また,同月,朝鮮国連軍司令部が東京に設立された。

横田飛行場に所在する朝鮮国連軍後方司令部には,ウィリアムス司令官(豪空軍大佐)他3名が常駐しているほか,9か国(オーストラリア,イギリス,カナダ,フランス,イタリア,トルコ,ニュージーランド,フィリピン,タイ)の駐在武官が朝鮮国連軍連絡将校として在京各国大使館に常駐している。外務省、朝鮮国連軍と我が国の関係について

▼ 横田基地の歴史に書いてあった;

一方、国連軍分遣隊として立川基地に駐留していたタイ王国空軍が、1969年12月、立川基地の閉鎖に伴って横田基地に移って来ました。その時初めて国連の旗が横田基地に掲げられました。タイ王国空軍の兵士は去ったものの、国連旗は現在に至り横田に掲げられています。ソース

■ 今週の武蔵野

■ 今週の流れ

■ 今週のゾッキ本

ウヨのおいらは、逆・エコーチャンバー効果として、「リベラル」の本をみた。

~となりを横目でのぞき、自分の道をたしかめる~ ためだ。

・姜尚中の『朝鮮半島と日本の未来』は以前から気になっていた。なぜなら、最近、やっと朝鮮戦争の意味がわかってきたからだ(愚記事:①今年6月で朝鮮戦争勃発70年、②マ元のペット;第1騎兵師団 (1st cavalry division)、朝鮮戦争で苦戦(一部壊滅)し、主なき東京ではなく、札幌へ帰還、1951年の「帷幄上奏」;リッジウエイによる朝鮮戦争説明、あるいは、敗軍の大元帥、戦況を問い質す)。この姜尚中の『朝鮮半島と日本の未来』は最近まで中古価格が下がらなかったが、ついに100円となったのを見つけ、購入。なお、同じ日に、別のブックオフでは500円台だったのをみた。

読むと、北朝鮮の「責任」をかなり相対化しているといわざるを得ない。北朝鮮は絶対悪か?という問いを立てて、そうではないだろうと誘導する。だからといって、他の諸国と同じくらいの責任(端的にいって悪)ではないだろう。金日生が中ソを抱き込んで戦争を起こしたのだから。姜尚中はそのことについて全く言及しない。

さらに、この本の一番の特徴は、中共(中華人民共和国、あるいは、党)についてほとんど言及していないこと。南北朝鮮の今後のことは米中の合意なしにはどうにもならないに違いない。米中とも朝鮮半島に多大な自国兵士の血を吸わせている。中共は金日生の冒険主義の失敗の尻ぬぐいのため17万人(中共の発表)が死んだ。本当はもっと多いとされている。これだけ犠牲を払っているのだから、朝鮮半島での潜在的覇権を中共が手放すとは思えない。

姜尚中の『朝鮮半島と日本の未来』は、南北朝鮮の今後における中共の役割、出方など全然言及していない。

よくもわるくも日本の役割は限られているのであり、日韓関係の改善のために、仮に韓国の要求を日本が全部受け入れても、南北朝鮮の統一に寄与できることは限られている。

・西崎文子って名前も知らなかった(ググったら、サンモニ文化人らしく、苦笑した)。樋口陽一は知っていて、全く説得されないのだけど、この本は読んでなかったので、買った。パラ見すると、玉蟲左太夫が出ていた。江藤淳も出て来て、憲法の専門家が議論しつくしたことをセンセーショナルに議論する(という大江健三郎の表現)といっている。そして、共通の理解の基盤がない人とはどうしようもないみたい物言い。なお、西崎文子も樋口陽一は仙台出身と知った。おそらく二人とも学者の子供だ。そして、革命国家米仏を「精神的祖国」?としてがんばっているらしいという偏見をおいらはもった。

~またひとつずるくなった~ ~当分、てれ笑いがつづく~ ???


新しい街でもぶどう記録;第362週

2021年10月16日 17時40分01秒 | 武相境

▲ 今週のみけちゃん

▼ 新しい街でもぶどう記録;第362週

■ 今週の草木花実葉

■ 今週知ったこと;有田みかんは佐賀ではなかった

■ 今週のわけありと返礼品


わけあり


ふるさと納税返礼品

■ 今週のぼっち

■ 今週の群れ

■ 今週の今季初めて

まだ暖かいが、今のうちに灯油を買いにいった。1リットル、110円。

■ 今週の輪切り

■ 今週のもったいない本舗

車谷長吉、『贋世捨人』を買う。今回の購買で気づいた。もったいない本舗の本はAmazon(中古)より楽天(中古)の方が50円安い。Amazonは中間マージンコストを多く取っているとわかる。

『贋世捨人』は自伝的小説。自歴譜が載っている。初めてみた。これまで車谷長吉の虚実を考えてきたが。自称の「実」がわかった。でも、かえって、わからないことも多くなってきた。車谷の対米観を考えていたのだが、直截に『贋世捨人』には記述してあった。わからないことは、「毛唐嫌い」の車谷がなぜカフカ全集を原語で全部読んだのか?など、など。

■ 今週の本カバー:チラシがもったいないのでカバーにという発想

■ 今週のNGワード

車谷長吉、『赤目滝四十八瀧心中未遂』の風景、京都、柿傳

■ 今週の多義語

A fire-man with the dream of FIRE (Financial Independence, Retire Early movement) could be fired.

ファイヤーを夢想する消防士さんは、(うつつをぬかしていると)馘になるかもよ。

■ 今週の新しいシャツ

襟の有無で揃えた。各々、1,250円。 過去5年間、年平均の衣料品購入額は5,000円いかないと思う。おそらく、3,000円以下。このシャツも5年は確実、10年もつかもしれない。


新しい街でもぶどう記録;第359週

2021年09月25日 18時41分08秒 | 武相境

▲ 今週のみけちゃん

▼ 新しい街でもぶどう記録;第359週

■ 今週のよその猫


京都、嵯峨野、常寂光院の受付の黒猫さん

■ 今週のメタセコイア


京都、三十三間堂から見える国立博物館敷地内のメタセコイア

古い町にあっていまの郊外のニュータウンにないものが三つある。一つは大木、一つは宗教施設、いま一つは場末だ。(鷲田清一、『京都の平熱』)

いまの郊外のニュータウンにある大木はメタセコイアだ。樹齢75年を越えることはない。なぜなら、メタセコイアは第二次世界大戦中に「発見」され、戦後に苗木が世界に広まったからだ。ただし、メタセコイアは成長が速く、かつ、大きく伸びるので、由緒ある大木と誤解させる。したがって、"古都"京都の古さを誇示するものとしてのメタセコイアの大木は不適当に違いない。ましてや、日本庭園にない樹木がメタセコイアだ。そんなメタセコイアを京都で発見して、にこにこしてしまった。もっとも、府立植物園にあることは確認していた。すなわち、京都では、メタセコイアは植物園にしかあってはならない樹木のはずだ(?)。

日本庭園にないはずのメタセコイアは、植物園以外にあったのは、国立博物館敷地内だ。やはり、特殊な樹木は適切な場所に植えられているのだ(?)。

■ 今週の草木花実苔芝

■ 今週の開閉

京都、嵯峨野、落柿舎。 扉が開↑、閉↓。


東山魁夷、落柿舎@扉:閉

■ 今週のいただきもの

落柿舎の柿@枝付き

■ 今週のレコンキスタ史跡探訪

京都府京都市左京区北白川伊織町64、 駒井家住宅

駒井家住宅(こまいけじゅうたく)は、昭和2年(1927年)に遺伝学の権威京都帝国大学理学部教授駒井卓博士の自邸として京都・琵琶湖疏水分線の畔にウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計により建てられた近代洋風建築である。wikipedia

1945年(昭和20年)

終戦直後は、米軍の将校住宅として接収される。駒井夫婦は離れに起居。

【駒井家ショート・ストーリー】

■ 今週の夕焼け


伊丹空港

■ 今週のパン1

下京区松原通猪熊西入北門前町740の「まるき製パン所」で総菜パンを買った。ハムカツコッペパンとコロッケコッペパン。キャベツも多く、おいしかった。中を開けて詳しく調べなかったが、ソースが入っている気がしなかった。少なくとも、はみでるほどではない。でも、味つけはしっかりしていたと感じた。下記リンクの記事をみるとソースを入れているようだ。

名物・コッペパンサンドを求めて。京都人に愛される街のパン屋「まるき製パン所」

Google [京都 パン屋 多い なぜ]

■ 今週のパン2

 

日頃はパンをほとんど食べない。そして、この総菜パン、マーガリン使用なのだ。おいらの人生で、最後にマーガリンを口にしたときを思い出せない。それくらい久しぶりにマーガリンを口にした。 

志津屋のカルネ  行く駅、行く駅でSizuyaなるものを見たので、何か買ってみた。それが、カルネ。京カルネ 210円。


神奈川散歩;大和市、つきみ野駅 ⇒ 宇都宮記念公園 ⇒ 中央林間駅

2021年09月19日 13時44分26秒 | 武相境


散歩経路: 1;東急田園都市線つきみ野駅、2;つきみ野1丁目、座間大和線、3;下鶴間、座間大和線、4;小田急線跨橋、5;宇都宮記念公園、6;東急田園都市線中央林間駅


航空写真;1960年代(左)、現在

■ 1;東急田園都市線つきみ野駅 ⇒ 2;つきみ野1丁目、座間大和線

▼つきみ野駅から八王子街道を南下する;

ブックオフでゾッキ本を買う;

八王子街道を右折(西へ向かう)し、住宅街に入る。

谷が南北に走っている。最低部にたどり着き、流れている川をみる。

■ 2;つきみ野1丁目、座間大和線 ⇒ 3;下鶴間、座間大和線

アクティブデザイン つきみ野 (google)とあるビルの敷地には、溶岩石があった。

むさしの森珈琲


フレッシュいちごのクレームダンジュ

バスクチーズケーキとやらを目当てに行ったが、バスクチーズケーキはもうなくて、これに替わったとのこと。 クレームダンジュ って何だ!?と今、ググった;

▼ キューピー3分クッキング クレームダンジュ

クレームダンジュはフランスのアンジュ地方で生まれたデザート。一般的にはフロマージュブランと呼ばれるチーズを使いますが、手軽に水切りヨーグルトを使って作りました。ふわふわでなめらかな食感とクリーミーな味わいは何度も作りたくなるおいしさです。 (明治ブルガリアヨーグルト倶楽部

中央林間交叉点

■ 4;小田急線跨橋 ⇒ 5;宇都宮記念公園

宇都宮記念公園は、市街地に現存する貴重な樹林地をできるかぎり保全し、整備された公園です。本公園は、「みどりの森(+緑野公園)」、「ひのきの散歩道」、「仲よし広場」の3つのゾーンによって出来ています。
 本公園の用地は、故宇都宮徳馬氏のご遺族からご寄付いただいたものです。同氏の「緑を残したいという」ご遺志を受けて、本公園は整備されました。大和市 web site

 宇都宮徳馬氏は衆議院議員を10期、参議院議員を2期務め、昭和55年には「宇都宮軍縮研究室」を創設し、月刊「軍縮問題資料」を発行。日中友好協会会長を務めたほか、昭和59年に評論家や学者、政治家らで「核軍縮を求める22人委員会」を結成するなど、平和・軍縮の実現に心血を注がれました。
  また、大和市の自然や田園都市としてのたたずまいを愛し、平成12(2000)年7月に93歳でご逝去されるまで市内下鶴間に居住されていました。 (大和市 web site

この「樹林地」というものについて調べた。この宇都宮の森は天然林ではなさそうだ。ヒノキが整然と植わっている。あたかも、ヒノキの畑のようだ。おそらく、木材目的の商業林なのだろう。このあたりは平坦な台地面。この「樹林地」はその一部。過去の「樹林地」の広がりを調べた。


赤矢印が旧宇都宮屋敷

1960年代は小田急線の西側にゴルフ場がある、その南に樹木林が広がっている。区画で整然としているので、相当管理されたものだ。建築用木材の生産地であったと推定される。一部は雑木林していたかもしれない。なぜなら、現在の宇都宮記念公園のヒノキ以外は雑木林化している。

▼ ゴルフ場

1960年代の航空写真で既にゴルフ場ができている。相模原カントリークラブ。歴史をwb siteで見ると、1955年に相模原ゴルフクラブ創立とある。つまり、それ以前の歴史はないのだ。そこで、戦後できたのかぁと思う。しかし、もしかしてこれは進駐軍がつくったものの払下げかと思った。つまり、敗戦直後、進駐軍は土地の接収をしてゴルフ場をつくった例がある。

でも、さらに調べると、戦前にできたゴルフ場とわかる;

昭和16年(1941年)の航空写真で載っていた。 一方、web siteにあった;

相模カンツリー倶楽部は1931年、赤星六郎の設計により現在の地に9ホールで仮開場したのが始まりです。
赤星六郎は大正期に活躍したアマチュアで、唯一日本オープンを制したゴルフ界の巨人であり、生涯で設計したゴルフ場は、相模カンツリー倶楽部と我孫子ゴルフ倶楽部の2コースで、この相模カンツリー倶楽部が処女作となりました。
相模カンツリー倶楽部はその後、戦中の軍による敷地の徴発、戦後の進駐軍による接収の危機や、クラブハウス焼失といった苦難の時代を経て、現在に至っています。

▼ 米軍用住宅

1960年代の航空写真でゴルフ場の東、小田急・中央林間駅の西に、住宅群があるのが見える。この時代、まだ住宅化が進んでいないはず。何だろう?と調べると、米軍住宅とわかった。

Google (中央林間米軍ハウス)。 

「大和の魅力アピール!」 第4 回「中央林間米軍ハウス」 

中央林間駅から徒歩5分。閑静な住宅街のな
かに、終戦後からこの街を見守り続けた通称
「米軍ハウス」があります。米軍ハウスは、
厚木基地に勤めるアメリカ兵が家族と住むた
めに建てられました。現在は数少ない米軍ハ
ウスですが、今もここ中央林間で歴史を刻ん
でいます。

■ 5;宇都宮記念公園 ⇒ 6;東急田園都市線中央林間駅

とにかく、平坦。

 


新しい街でもぶどう記録;第358週

2021年09月18日 18時56分07秒 | 武相境

▲ 今週のみけちゃん

▼ 新しい街でもぶどう記録;第358週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花実

■ 今週のおやつ; 25円

マロンあんドーナッツ。4個入り100円。

google [こまつ製菓 マロンあんドーナツ]

■ 今週の「違いのわかるおいら」; 辛と幸、あるいは、辛い幸せ

 もし自分の国を離れなかったら、わたしの人生はどんなになっていたのだろうか。もっと辛い、もっと貧しい人生になっていただろうと思う。けれども、こんなに孤独ではなく、こんあに心引き裂かれることもなかっただろう。幸せでさえあったかもしれない。 『アゴタ・クリストフ自伝 文盲』、国外亡命者たち (アゴタ・クリストフ、 堀茂樹 訳)

すなわち、辛くても幸せというのはありうると云っているのだ。

■ 今週読んだ本

今週、<荊の簪を挿した御方>が横浜市立図書館から借りた本をみた。著者の名も留意せず、本を開いた。著者の名は目に入っていたにせよ、誰であるかピンとこなかった。適当に開いてみると、いきなり、スターリンの死。読むと、スターリン専制下の衛星国で苦しむ人の自伝であるわかる。そのまま読み進めると、上記の「辛い幸せ」もありうることが書いてるくだりに出会う。

東欧共産圏からの亡命者、難民は西側諸国あるいはスイスでは工場で働くことが多いらしいとわかる。言語による複雑なコミュニケーションが不必要であるからか?これは今に至るまで西ヨーロッパ諸国が移民、難民を「欲しがる」理由である。ドイツは最近まで法定最低賃金がなかったらしい。

そして、ほぼ読んで、著者紹介を見ると、アゴタ・クリストフであり、ハンガリー動乱でスイスに亡命した人とわかる。そして、『悪童日記』の著者なのだ。

アゴタ・クリストフ(wiki)。『悪童日記』。知ってた。以前、話題になったので、買って、読み始めたが、おいらにとっては、当時、面白くなく積読にしてあった。探して、読んだ。『悪童日記』は、第二次世界大戦末期の独ソ戦、ソ連の「ハンガリー」征服を背景としたお話。たくさんの短い寓話的節で構成されている。「生活困窮」、「ユダヤ人狩り」、「占領軍」、「脱走兵」、「オンリーさんになった母」などが描かれている。主人公は双子の兄弟。

『悪童日記』は、亡命ハンガリー人が、フランス語で書いた作品なのだという。外国人としての言語の問題は、『アゴタ・クリストフ自伝 文盲』にも書いてある。たいへん売れた作品をフランス語で書いたアゴタ・クリストフは、フランス語にはなじめず、敵語だというのだ。

<荊の簪を挿した御方>は、この『アゴタ・クリストフ自伝 文盲』にどうしてたどりついたのであろうか?以前、ジュンパ・ラヒリを集中的に借りて読んでいた。おいらが、ジュンパ・ラヒリを知ったのも<荊の簪を挿した御方>のおかげだ。なので、<荊の簪を挿した御方>に、「移民や難民が外国語を習得して、作品を書く作家が好きなのか?」と仮説お尋ね申し上げると、「なに?! その「基準」?」とあっさり却下。ネットで、映画の『悪童日記』を見たから、アゴタ・クリストフの本を読んでみようと思ったらしい。

さて、『悪童日記』にも『アゴタ・クリストフ自伝 文盲』にも、生活の困窮が描かれており、貧乏の象徴が靴が買えないことである。東欧の寒さで靴がないのは辛い。さらに、鶏も出てくる。『悪童日記』では、鶏が絞められ、つぶされ食べられることが出てくる。断食をした悪童双子兄弟におばさんが一人で鶏を食べる。

そして、『アゴタ・クリストフ自伝 文盲』の第1ページ目の、著者アゴタ・クリストフに違いない少女時代の写真。粗末ではない紐靴を履いている様子が写されているし、鶏も写っている。

■ 今週の ひのき

宇都宮記念 公園ひのき の散歩道 (google map)神奈川県大和市

■ 今週の森

宇都宮記念公園みどりの森 (google map)  神奈川県大和市

宇都宮徳馬って今の人は知らないだろう。今のひとでもないが、おいらもよく知らない。LDPのブルジョア左翼だ。広大な森、自然をもっていた。自然左翼なら世田谷だろうと思うのだが、宇都宮徳馬は、選挙区は都内であったらしいのだが、屋敷は東急・中央林間駅近くの大和市に、広大な森林つきの屋敷をもっていた。その屋敷を大和市に寄贈したのがこの公園だ。

なぜ、中央林間駅の宇都宮記念公園に気付いたかというと、戦争(シナ事変)を調べていて、陸軍大将・松井石根(wiki)について読んでいると、陸軍大将・宇都宮太郎(wiki)にあたり。この宇都宮太郎は、宇都宮徳馬の親と認識した。徳馬が、放蕩児のように、LDPでブルジョア左翼をやっていられたのも、父親が陸軍大将だったからだろう。

■ 今週のかぼちゃ無し

ほうとうを食べた。かぼちゃが無かった。レンコンを入れた。

■ 今週の検索語句、あるいは、閲覧されるページ

■ 今週のゾッキ本購書

 


新しい街でもぶどう記録;第357週

2021年09月11日 18時49分00秒 | 武相境

▲ 今週のみけちゃん

▼ 新しい街でもぶどう記録;第357週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の存在感

咲き始めたと伝えてくるキンモクセイ

■ 今週の草木花実

■ 今週のブリカス[1]さま

[1] ブリカス


カナコロ

2021年9月4日、英空母「クイーン・エリザベス」が初来航し、横須賀の米海軍基地へ入港したのはご存知のとおり。同空母は欧州からインド洋、南シナ海、東シナ海と「不安定の弧」と呼ばれたユーラシア大陸辺縁海域・地域を西から辿り、日本へ到達した。

長い航海の目的はインド太平洋地域の平和と安定のために英国の関与意志を示すものだと言われている。相手は中国だ。日本来航の前に、同空母打撃群は各国軍との共同訓練を重ねており、新たな防衛協力体制を見せることは覇権主義的海洋進出を続ける中国を牽制する狙いがあるとみられている ソース

息子の敵討ち(Prince of Wales撃沈の報復)に来たのか!?とおいらはビビる。

■ 今週の連合国軍


https://twitter.com/uep_tw/status/1435552311619702786


オランダ海軍「エファーツェン」が横須賀へ来航 空母「クイーン・エリザベス」のお供

日本再占領か!?とおいらはビビる。

「横須賀とは思えない」というのは、違うのではないか? 米英蘭ともに、朝鮮国連軍である。「朝鮮国連軍」とは「1950年6月25日の朝鮮戦争の勃発に伴い,同月27日の国連安保理決議第83号及び7月7日の同決議第84号に基づき,「武力攻撃を撃退し,かつ,この地域における国際の平和と安全を回復する」ことを目的として7月に創設され,同月,朝鮮国連軍司令部が東京に設立された」ものだ。そして、「国際連合の軍隊は,日本国における施設(当該施設の運営のため必要な現存の設備,備品及び定着物を含む。)で,合同会議を通じて合意されるものを使用することができる」のだ。

以上、引用元は、外務省の web site: 朝鮮国連軍と我が国の関係について より。

■ 今週の20年


2012年、パリにて。フォワイヤティエ通り Rue Foyatier (wiki

今週、今日、9月11日は、米国多発テロ事件から20年。

2001年9月11日のことはよく覚えている。その時、おいらは失業者だった。その夜、10時からのNHKのニュース番組で、ツインタワーへの2番目の航空機突入が、生放送された。それをおいらは見た。並び立つビルに2機も航空機が衝突にしているのに、これはテロだ、という確信にはすぐにはいたらなかった。でも「特攻機」というイメージはすぐ湧いて、ネットの掲示板に「カミカゼごっこかよ~」と書きこみした。 (愚記事:2001年 9.11、米国同時多発テロ事件、十年ひと昔。あの時おいらは失業者で、death valleyのとば口だった。

2001年。この時、小泉首相、田中真紀子外相だった。9.1事件の直前にサンフランシスコ講和条約50周年の記念のイベントが米国で行われたと記憶している。その直後に、この事件。

今からみると、グローバリゼーションは、9.11にもかかわらず邁進していった。今では忘れられつつあるBRICS、すなわち、中印露伯南アの新興5か国についての展望を示したゴールドマンサックス社のBricks Reportは、2003年だ。おいらも、資本の手先としてインドに何度か行くことになった(例えば、草莽微賤の地球化)。中二病的「インド幻想」[1]をかつて持っていたおいらは思いもかけずインドに行くこととなる。<資本>と<グローバリズム>のおかげだ。

[1] 中二病の頃から「インド幻想」をもつようになった。アメリカが嫌いだからだ。排外的、右翼的政治的動機からだ。ただし、アメリカが嫌いだからといってインドに注目するとは、インドに失礼なのではあるが。(愚記事:最近読んだ本(杉原薫、『世界史のなかの東アジアの奇跡』)から思い出されたなつかしい本の話)

中露にも行った。 米国も行った。9.11の3年後だ。

 

一方、今からみれば、2001年はおいらにとって、実験しない1年だった。学部4年から研究室/ラボで<実験をする人生>を始め、今に至るまで、もう30年あまり、実験をしている。2001年の9.11事件の頃、ポスドク任期切れで職をさがしている失業者だったおいらは、もう実験はしないだろう/できないだろうと感じていた。でも、結果的に、今に至った。「産業的啓蒙主義」(Industrial Enlightment)のイデオロギーに「帰依」したからだ。最近借りた本に書いてあった;

科学革命が産業革命をもたらしたもう一つの方法は文化を全体として変えることである。モキイアが、産業革命期の継続した発明の活力は科学革命と啓蒙主義に起因する、という有力な説を展開している。これらを結びつけるものが産業的啓蒙主義である。すなわちそれは「自然主義に関する人類の知識を増大させてまたその知識を生産現場で容易に使えるようになってて物質的進歩と経済政庁が達成されると信じる啓蒙主義の一部である」。新しい知識は技術進歩にとっての鍵であり知識は科学と科学的方法による技術研究から生まれた。「産業的啓蒙主義はどう見ても科学革命の論理的な連続性の帰結であった」。 (R.C.アレン、『世界史のなかの産業革命  資源・人的資本・グローバル経済』、第10章 発明家、啓蒙主義そして人的資本)

■ 今週の訃報;またひとり消えゆく日帝兵士@インテリ

一般の人々の視点から歴史を捉える「民衆史」研究の先駆者として知られる歴史学者の色川大吉さんが7日、山梨県内の自宅で老衰のため亡くなりました。96歳でした。google

色川大吉、1924年生まれ。針生一郎、永井陽之助と同い年。でも、二高ではふたりより学年が(2学年?)上だったようだ。色川は中学4年で(旧制)高校入試合格。そして、召集令状が来たとき、色川は大学生だったが、針生と永井は高等学校生(旧制)だった。もっとも、針生と永井は結核で入隊しなかった。色川は1944年(昭和19年)早々に徴兵検査、9月に入隊。土浦海軍航空隊。『ある昭和史』に書いてる。

色川大吉については、2冊しか読んだことがないので、あまり知らないが、現象する”歴史学者”という印象。二高・東大・徴兵・敗戦・山村工作隊・民商専属と「現象」し続ける。自分を度外視した客観的な歴史像を描くのではなく、"歴史"の中で生きる自分という現象を記述する感じ。今度の訃報記事で、「民衆史」とかいわれているが、色川が昭和天皇について直接書いていることを軽視している。あの司馬遼太郎は「天皇について書いていない」といわれているらしい。

さて、色川の自伝では、仙台の二高時代の思い出で、針生の自伝にも出てくる「ドイツ語教師」のことが書いてある。

拙い自分の日記を見ていると、大戦の翳りが次第に濃く蔽ってくるのが分かる。例えば9月にはクラス会の席で大議論が起こり、私は「いつ世界対戦に参戦するかわからない」と書いている。このあと佐々木という同級生の提案で「ナチス研究会」をやることになり、さらにドイツ語の H 教授宅を訪ねて、初めて小野講師からユダヤ問題というのを教えられた。この人は仙台陸軍幼年学校でドイツ語を教えていたがこの春から二高の講師としてきていた。若い新任の講師だったせいか、私たちにはいくらか遠慮したようなふうもあったが、いうことが狂信的で 、たいそう神秘主義めいていた。(色川大吉、『ある昭和史』)

この色川が書いている小野講師というドイツ語教師が、針生が回顧しているドイツ語教師のことに違いない;

そして、昭和20年8月14日には、仙台にも『日本で一番長い日』の「畑中少佐」が、しかも、飛行機でやってきて高等学校のドイツ語教師にもとに来てアジるという話もいとをかし。(愚記事)

敗戦の時は、旧制二高での指導教官――クラスの指導教官がかなり右翼的、右翼的と言ってもナチスばりの思想だったんだけど――そこの家へ行って、玉音放送というものを聞く。彼は学校へ出ていなかったんで、奥さんと並んでラジオを聴いて、翌日くらいからそこの家に、もう大学に行っているけども、(教え子の)右翼的な連中が集まった。この先生は母校である二高に来る前は幼年学校で教えていたんだが、そこの幼年学校の卒業生の青年将校が栃木の軍隊から飛行機を勝手に乗り出して、飛行機で仙台空港に着いた。それで、こんな無条件降伏なんてどう考えたって重臣たちの陰謀だから、この飛行機で行けるだけの人間が行って皇居を襲撃して、天皇を奪い返そうと言う。針生一郎オーラル・ヒストリー 2009年2月28日

この教官が小野講師に違いない。



続;1945年夏の敗戦、東京入城の米軍は八王子方面から、コロネット作戦/ブラックリスト作戦

2021年08月02日 18時58分36秒 | 武相境

愚記事に「1945年夏の敗戦、東京入城の米軍は八王子方面から」がある。

要旨は、敗戦後、東京に入城した米軍の経路について、のちに東京入城をする第1騎兵師団は9月2日に横浜港に上陸し、次に相模原の座間など日本軍の諸基地に進駐し、一旦留まり、9月8日に八王子を通り、府中、調布を進軍、都内に入った。多摩川をどこで渡ったかは依然わからない。

この記事ではなぜ八王子を通り、府中、調布を進軍、都内に入ったかは書いていない。今回、事由が、おいらにとって、わかった。とっくに公知のことだった。

▼ コロネット作戦/ブラックリスト作戦

コロネット作戦は日本本土占領ための上陸作戦の戦争計画。1945年8月2日に決定される。1946年3月1日に実施予定だった。しかし、日本が降伏したので、実現しなかった。一方、ブラックリスト作戦とは、降伏した日本への上陸作戦と日本各地への展開の作戦。これは実施された。

コロネット作戦の侵攻予定経路 (ソース)。主力軍は相模湾に上陸し、八王子を抜いて、関東平野北方=関東平野の扇の要を占拠する計画だったとわかる。

↓ 上の図の八王子を中心とした拡大図

コロネット作戦では相模湾から大磯-茅ヶ崎海岸で上陸し、相模原を北上し、八王子に向かうことを計画していた。実際の東京入城は、すなわちブラックリスト作戦は、横浜から上陸し、相模原の日本軍基地に進駐した。さらに、マッカーサーと第11空挺師団は空から「厚木」航空基地に進駐した。

■ コロネット作戦の話は、西村京太郎の本にも書いてあった。愚記事;(東京)陸軍幼年学校、1945年(昭和20年)、あるいは、8月2日の空襲の回想

西村京太郎が15歳のとき在籍していた八王子の陸軍幼年学校は、上陸してきた米軍を邀撃するはずであった、との回想。

西村京太郎、『十五歳の戦争』より