いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

この「子」の50のお祝いに、あるいは、死んだ子の年を数える。

2011年12月06日 20時18分49秒 | ぐち

■人知れずはしたないことについ淫してしまうことは誰にでもあることだろう。でも、他人さまには言いたくないことだ。例えば、ため込んだへそくりを夜な夜な数えるとか。エゴサーチもそういうもののひとつに違いない。エゴサーチっておいらも知らない言葉だった。最近知った。自分の名前をネットで検索して、自分がどう世間さまで評判になっているか調べることらしい。もちろんこれはある程度有名人でないとできないであろう。

■さて、おいらのはしたないことと言えば、詮索好きなこと。ついつい検索に耽ってしまう。ただ、エゴサーチとなると只の人なので検索しても何も出てこない。でも、最近「業界」用の情報収集と体系化が爆発的に進展し、かつ無料でも簡単に毎日誰にでも検索できるようになった。2年くらい前に気付いた。

Google scholar 

万が一知らない人のために;

まずGoogleの最表ページに行く。上のタブの もっと見る▼ をずるずると引きだす。

そして、カラムの最下段の もっと見る>> をクリックする。下記の「もっとGooglreのサービス」のページにたどり着く。 

そして、Scholar 世界中の学術論文 (ページ左下)を検索 をクリック;

 ↓

Google scholar のページにたどり着く。 巨人の肩の上に立つ ! (→ ここ

ここで、誰でも「好きな」研究者の名前を入れて、検索。

 例えば、大尊師のお名前を;

 ↓  被引用数の多い論文から並んで出てくる。これでその研究者の論文業績が一目瞭然でわかるのだ。 (→ これ)

すごいぞ、御大。引用された数が1000近い論文が、ひとつふたつではなく、ばんばん並んでいる。

このGoogle scholarの優れた点は被引用数がすぐに、無料で、誰にでもわかることだ。

おうどん氏だって出てる:→ おうどん氏

●自分の論文数はそんなに増えるものでもないので、ちゃんと自分で自分の論文数はわかっているので、いちいちGoogle scholarを見るまでもないのだが、被引用数は、増える。

この増加を見るのが、おいらのはしたないことである。もっとも、毎日見てもそう増えない。数か月に一度、棚卸をしている。

そしてなによりおいらは前の業界から 足を洗ったので 追放されたので、その業界での論文はそもそも増えない。
(いきさつ→失業者になったのは2001年3月末でポスドクの任期が切れたからである。

そんなおいらの今年のニュースは、いくつかの論文の被引用数が50を超えたことだ。

この「子」の50のお祝いに

おいらは、業界から 足を洗ったので、追放されたので、 この子たちは死んだも同然なのだ。でも被引用数は増える。

世界のどこかで研究者がおいらの論文を引用してくれているのだ。(参考愚記事;知らないロシア人

10年前に足を洗った業界、追放された業界、すなわち「前世」で出した論文の中の3つの被引用数が、今年50を超えた。10年かけてだ。

全く違う業界であるdeath valley渡世で書いた論文の被引用数を比較のため載せる。これらの論文は被引用数の伸びがいい。

この前世と現世の業界は全く違く。特に引用している人達の属性が違う。この相違はまさに21世紀初頭の今の情勢を反映しているものである。この点は後日説明する(かもしれない)。

10年以上たった今となっても前世の論文が引用され続けている。 死んだ子供たちもがんばっているのだ!

でも、ネットでこんなのを見つけた↓;

引用され続くけている論文といのは「生きている」論文なのだ。

死んだ子供たちではないのだ。

 前世の業界で「死んだ」のはおいらなのだ!


やはり、愚民党;痛烈な告白、怠惰な奴らの投票のおかげで政権やってました。

2011年10月16日 17時30分54秒 | ぐち

先週の筑波山麓; 霧の朝。

■こんなファンキーだけど、真実を穿っている発言を報道しているのは、なぜかしら、アカ新聞だけである;

発言したのは自民党の額賀福志郎議員で、「都合の悪いことは聞きたくない、危険なことは見たくない、できるなら楽をしたいという戦後(日本)の社会的な生活感覚、怠惰な生きざまが遠因になった」と述べました。

ソース[1]。

●たしかに怠け者でおバカなおいらではあるが、おクニに甚大な毀損を与えてきた愚民党議員に言われると、おもしろくない。

<死の谷>のバイト稼業でも同様である。仕事がきついとか、そういうことは案外気にならない。<死の谷>稼業の仕事がきつくなくてどうする。嫌なのは、バカに「ばか」って言われることだ。怠け者に「ナマケモノ」と言われることだ。

<死の谷>稼業をマネジメントする<死の谷>稼業の仕事で何か実績があるわけでもない<メンバーシップ>を持った輩さまから、「君たちは緊張感がない」とか「将来どうするの?」とか言われることだ。甘い汁を吸っている特に才能も、実績もない<メンバーシップ>を持った輩さまは、いい気なものだと思う。ただし、すべての<メンバーシップ>を持った輩さまが、<死の谷>稼業の仕事で何か実績がないわけではない。立派な人もいる。立派でもないのに<メンバーシップ>を持っているというだけで偉そうな人へのグチだ。

■さて、このニュースを受けてネットでは非難轟轟。その解釈は、戦後ずっと原発推進政策を押し進めてきた自民党の国会議員が自分の責任を棚に上げて庶民に責任転嫁している、という批難。でも、このニュースでは詳しく語られていないが、理論的にはこういうことだったということも考えられる。つまり、 愚民党 政治結社・自由民主党の支持者というのは"できるなら楽をしたいという戦後(日本)の社会的な生活感覚、怠惰な"愚民どもであり、そういう愚民の支持を受けてきたことを、、 愚民党 政治結社・自由民主党の額賀福志郎代議士が認めた、と。

つまりは、 愚民党 政治結社・自由民主党の額賀福志郎代議士ははっきりと自分の支持者どもが何者であるのか明言したわけだ。

●そもそも、自由民主党の結党の目的は、占領時代が終了したので、占領時代に不当に構築されたマッカーサー憲法体制の撤廃と、立憲主義に基づく憲法の制定である。それには当然国軍創設も伴う。この自由民主党の結党には、占領時代に不当にマッカーサー憲法を制定し、非武装を決定した吉田茂やその取り巻きの佐藤栄作などは参加していなかったのだ。

それがどうだ!今に至るまで憲法を制定できず、事実上「占領時代」の遺制、「保護国」日本の継続である。これが、"できるなら楽をしたいという戦後(日本)の社会的な生活感覚、怠惰な生きざま"でなくて、なんであろうか!?

 


参考愚記事;

「国家正当防衛権に依る戦争は正当なりとせられるようであるが、私はかくのごとを認めることこそが有害であろうと思うのであります。」

諸君、やっぱり、この国は最悪だ! 

お孫さまの時代;嫌われ芸編

自己責任は庶民に

権力乞食・愚民党

選挙に行く奴はバカである。

吉田ドクトリンは永遠なり

「一万人の殺人犯がいても国は滅びないが、一万人のエリートがいないと国は滅びる。」 いいね。そのとお り。おいらも、一万人のエリートがきちんと統治する国で、おもいっきり安心して、鼻くそほじりながら、おばかなことをほざいて暮らしたいね。それがおいら の夢だっちゃ。


[1];

原発事故「怠惰な国民のせい」

自民議員が責任転嫁発言

衆院復興特


 原発事故の遠因は日本人の怠惰な生き方――。5日の衆院震災復興特別委員会で、こんな珍説が飛び出しました。発言したのは自民党の額賀福志郎議員 で、「都合の悪いことは聞きたくない、危険なことは見たくない、できるなら楽をしたいという戦後(日本)の社会的な生活感覚、怠惰な生きざまが遠因になっ た」と述べました。

 「安全神話」にどっぷりつかって重大事故を招いた自民党政権の責任に反省もなく、“国民性”に責任を転嫁するとは開いた口がふさがりません。

 もう一人、無反省ぶりをさらしたのが同党の西村康稔議員。「電力不足への不安が企業の海外移転を加速している。『来年の夏までに』なんていってい る場合じゃない」と早期再稼働を督促しました。「海外移転」を口実に原発「再稼働」を急がす財界にいいなりの質問で、政権から転落しても抜け出せない体質 のようです。

 原発輸出についても西村氏は、世界では496基の原発建設計画があるとして、政府が積極的に売り込むよう求めました。福島原発事故の収束さえできていないのに、これまた財界いいなりぶりを際立たせました。

 野田佳彦首相も、事故原因の究明もまともな規制機関もないのに再稼働を進めていく考えを表明。原発輸出についても「原子力協定を結んでいる関係国との信頼関係を踏まえて協力していく」と応じました。 (吾)


会津は奥羽越列藩同盟に加盟していないし、ましてや、容保(かたもり)公は、その同盟の盟主ではない。

2011年09月27日 19時33分26秒 | ぐち

   

『名前とは何か― なぜ羽柴筑前守は筑前と関係がないのか』(Amazon)、小谷野敦、(青土社)の116ページに書いてある;

 ― 偏諱に話をもどすと、会津藩主松平容保(かたもり)は、幕末期、京都守護職に任じられ、尊皇攘夷を唱え宮中に勢力を持ち始めた長州藩を、薩摩藩と協力して文久三年八月十八日の政変で追い落とし、攻め上った長州を禁門の変で打ち破ったが、その後長州征伐の最中に薩長が手を結び、将軍家茂が大阪城で没して慶喜が後を継ぎ、大政奉還ののちの鳥羽伏見の戦いで幕府軍が敗れると、慶喜、弟の桑名藩主松平定敬(さだあき)とともに江戸に逃亡し、慶喜は恭順する中で、奥羽越列藩同盟の盟主として薩長―官軍と戦って敗れたことで知られる。 ―

まつがい。  

つまりは、猫々センセは、こう言っている。

会津藩主松平容保(かたもり)は、奥羽越列藩同盟の盟主として薩長―官軍と戦って敗れたことで知られる。 (強調下線、いか@)

まつがい。会津藩は、そもそも、奥羽越列藩同盟には入っていない。関係があるはずがない。

でも、まさに、『名前とは何か』?!の問題である。もちろん、薩長―官軍と戦って敗れたことは事実である。しかし、会津藩は奥羽越列藩同盟には入っていない。ましてや、容保(かたもり)公は、その列藩の盟主ではない。

奥羽越列藩同盟、とは何か?

奥羽越列藩同盟とは東北諸藩が会津を救済するためにつくった同盟である。会津は同盟の目的の対象である。その対象者が盟主となることはない。たとえ話でいえば、会津君を救う会の会長に、救われるべき会津君がならないのは当然である。

それは、藩祖が戦国武将として超有名な由緒ある外様の大藩である、上杉家(米沢)と伊達家(仙台)が中心となって、「薩長クーデター政府」に対して、嘆願をした際に同意署名した諸藩の盟約に基づく同盟が、奥羽越列藩同盟の定義である。奥羽越列藩同盟の盟主は上杉・伊達、実際には伊達家という説を見る。一方、奥羽越列藩同盟が担いだ"天皇"、輪王寺宮[1]・北白川宮能久親王を盟主と書く例もある[2]。こういう混乱は当時には盟主は誰か?とか、その権限と責任などが特に意識されていなかったからであろう。現在の目から見て、盟主探しをしているのだ。

ただし、容保(かたもり)公ということはありえない。なぜなら、そもそも、会津藩は奥羽越列藩同盟には入っていないからだ。ただし、奥羽越列藩同盟を生んだ究極の原因は、容保(かたもり)公にあるとはいえる。

なぜ嘆願なぞしたのか? いじめ・不義・理不尽の傍観は許されないという義侠心;

猫々センセはいじめを憎む。それはいじめる張本人ばかりではなく、それを傍観する人間をも、猫々センセは憎む。

奥羽越列藩同盟の盟約書の第一にある;

強きを恃み、弱きを凌ぎ、或いは他の危急を傍観する者には、列藩を挙げて譴責を加える  (原文は漢文)

幼帝(むつひとちゃん、14歳)を戴いた「薩長クーデター政府」は、上杉家(米沢)と伊達家(仙台)ら東北諸藩に対し、会津藩と庄内藩の討伐を天皇の名のもとに命じた。具体的には、藩主・松平容保のクビを取れと言ってきた。

なぜ、会津藩と庄内藩"討伐"か? 簡単である。薩長がテロリストだった頃の治安担当を京都と江戸でしていたのが、会津藩と庄内藩だったからだ。典型的、逆恨みである。

京都・会津藩・蛤御紋の変:長州テロリストグループが、畏れ多くも、天皇陛下を拉致しようとした[3]。返り討ちあって当然である。敗残した長州が会津を憎む理由がこれだ。

江戸・庄内藩・薩摩藩邸「焼き打ち」事件:薩摩は幕府を挑発するため、江戸でテロ行為を頻繁に行っていた。黒幕は西郷隆盛だ。「薩摩藩が江戸市中取締の庄内藩屯所を襲撃した為、幕末の慶応3年12月25日(1868年1月19日)の江戸の三田にある薩摩藩の藩邸が江戸市中取締の庄内藩らによってに襲撃され、砲火により焼失した」(wikipedia)。テロに対する治安活動である。これまた当事者の庄内藩が、恨みを買った。

こんな理不尽な逆恨みを動機にしたちんぴらクーデター集団が、幼帝(むつひとちゃん、14歳)を戴いて、やりたい放題。そして、薩長は、会津藩と庄内藩をやっちまえと、仙台藩や米沢藩に命じた。こんな道理は通るはずもなく、通すべきでない。と、上杉家(米沢)と伊達家(仙台)はきちんと判断した。そして、薩長クーデター新政府を"たしなめた"のだ。

それが、上記の「嘆願」。 (なお、戊辰戦争、奥羽越列藩同盟に関する史実は、一般人が手に入れやすい新書に限っても、古くは、佐々木克・『戊辰戦争』(Amazon)(中公新書)、星亮一・『奥羽越列藩同盟』(Amazon)(中公新書)、最近は、友田昌宏・『戊辰雪冤』(Amazon)(講談社現代新書)などある。もちろん、いずれも、容保公が奥羽越列藩同盟の盟主であったとは書いてない。参考のためwiki・奥羽越列藩同盟から、元々は奥羽諸藩が会津藩、庄内藩の「朝敵」赦免嘆願を目的として結んだ同盟(奥羽列藩同盟)であったため、両藩は盟約書には署名していない(ただし両藩は会庄同盟を結成)。

■話が少し飛んで、同書、『名前とは何か― なぜ羽柴筑前守は筑前と関係がないのか』の43ページに書いてある。

 余談だが、のち福沢諭吉は咸臨丸で米国に渡り、初代大統領ワシントンの子孫がどうしているか米国人は知らないと聞いて、民主主義国家の特質を見たと書いているが、どうもこれは、事実だとしても、そのころフランスで、ナポレオンの甥が皇帝になっていた経緯くらい、福沢が知らないはずはないし、門地家柄を重んじる日本を批判するために、ちょっと驚いてみせたといったところか。どこの国でもある程度そういうことはあるし、第一日本人(この場合は武士)にしてからが、織田信長の子孫がどうしているか、知らなかっただろう。 (強調下線、いか@)

ここで、武士と限定しているのは、以前に、前近代の日本人が天皇を知っていたか?という論争があったので、庶民と偉い人たちでは違うだろうという観点が必要があったのだろう、と推定する。

なので、かなりまつがい。 教養ある武士は幕末において織田信長の子孫が誰であるか?知っていたはずである。 後述の通り;

江戸時代は武士こそが格差が激しかったとされている。高級武士なら、すなわち教育、情報に浴する機会に恵まれた高級武士であるならば、織田信長の子孫の行方を知っていただろう。なぜなら、江戸時代には織田を名乗る大名家が数家あったのであるから。高級武士ならば、織田信長の家だろうと、わかったはずだ。そして、21世紀のぬっぽん庶民はみんな知っている。織田信長の子孫がどうしているか?って。フィギュアスケーターだもんね。

さて、戊辰戦争と奥羽越列藩同盟の話に戻る。奥羽越列藩同盟の成立のため、伊達家と上杉家の両藩家老が召集したのは東北諸藩の27藩。その中の天童藩は来なかった。理由はこの召集の直前に、天童藩は京都から来た東北鎮撫総督府に"唆されて"、「朝敵」である庄内藩を攻撃。返り討ちにあって、天童藩陣屋は焼き払われる。天童藩主らは落城して仙台に落ちのびた。この落ちのびた殿さまが天童織田家の殿様である。佐々木克・『戊辰戦争』にある;

午前九時から一〇時にかけて天童城は庄内勢に完全に包囲され、藩主織田信敏家族一同は城を棄て、仙台領まで落ちのびた。このあと城に火をかけられ、民家三三三戸が焼かれた。織田信長直系の天童織田氏二万石の落城であった。

  愚記事、「新嘗祭の日に」より

[1]関連愚記事;今度、吉宗クンと竹田クン。  ;馬上宮様; 「大日本帝国貴顕御肖像」解読 

[2]奥羽越列藩同盟(おううえつれっぱんどうめい)は、戊辰戦争中に陸奥国(奥州)、出羽国(羽州)、越後国(越州)の諸藩が、輪王寺宮・北白川宮能久親王を盟主とし、新政府の圧力に対抗するために結成された同盟である。 wikipedia

[3]関連愚記事; 元祖拉致家族の末裔


2001年 9.11、米国同時多発テロ事件、十年ひと昔。あの時おいらは失業者で、death valleyのとば口だった。

2011年09月11日 12時35分38秒 | ぐち

2001年9月11日のことはよく覚えている。その時、おいらは失業者だった。その夜、10時からのNHKのニュース番組で、ツインタワーへの2番目の航空機突入が、生放送された。それをおいらは見た。並び立つビルに2機も航空機が衝突にしているのに、これはテロだ、という確信にはすぐにはいたらなかった。でも「特攻機」というイメージはすぐ湧いて、ネットの掲示板に「カミカゼごっこかよ~」と書きこみした。おいらは米国にふくむところがある。というかそんなもってまわった言い回しをすることもなく、直截に言って、対米ルサンチマンを抱えている。それでも、テロとわかった後も「ざまぁ~みろ」とは特に思わなかった。「あ~なんか世の中まわってるよね」、って感じ。「歴史の終わり」とか、やはりありえないじゃんって気持ち。当時は既に『文明の衝突』も『ジハード対マックワールド― 』も出ていた。 (ちなみに、おいらは、両方ともカナダにいた時買った。後者は表紙(こんなの)に引かれて買った。その点訳書はその表紙が使われていないので、インパクトが薄い。)

失業していたので丸一日部屋にいた。当時の報道番組とかの記憶はあまりない。ただ、事件翌日、筑波山麓に来て初めて、FENを自覚的に聞くと、warning! warning! warning!でけたたましかったことを今思い出した。

失業者になったのは2001年3月末でポスドクの任期が切れたからである。10年前は35歳の壁が歴然としていたので、次がなかった。もちろんそれまでパーマネントの研究職の公募には応募していた。採用されることはないまま、ポスドクの任期が切れた。"この業界"においらは不要であるという現実に直面したわけだ。そういう現実に対し、やはりアタマおかしいと思わざる得ないおいらは「そうですか、おいらがいなくて"その業界”がやっていけるならどうぞ」と憤激して、業界を去ることを決断した。

当然、"故郷の業界"はおいらなぞいなくてもなんらかわらず順調だった。あたりまえだ。(さらには数年後業界で世紀の大発見が起き、業界は新時代を迎えた。おいらの活躍する余地なぞない。でも、新時代前からの世紀の大発見に貢献しなかったパーマネントの研究者は、新時代を切り開けなかった責任を取らされるわけでもなく、世紀の大発見の知見と技術を分配されて、ぬくぬくとやっているのだ。うらやますぃ。)

さて、その業界引退の憤激には伏線があった。それは学位を取った頃に出たある文章であり、これは、と思いずっと手元に置き、ポスドク時代にもたまに読み返していた。その文章には例えばつぎのようなことが書いてある;

 たかが、博士の学位を取得したからといって、日本社会は、自分に研究を続けさせるべきあるといううぬぼれた感じを持ってはいけない。教授は、そのような感覚を学生に持たせてはいけない。学位取得は、いろいろな場で実力を発揮する基礎資格を獲得したにすぎないことを弁えさせるべきである。どのような場に置かれても、自分の専門研究で培われた能力を発揮できることがらはあるはずである。それを見つけ、問題に取り組み、所属する組織に貢献することが大切である。自分のために社会があるのではなく、社会のために自分がある。それが不満ならば、自分の能力一つで社会にたち向かえばよい。文筆業、芸術家、発明業など好きなことを存分にすればよい。逆に、それだけの実力がないなら、組織の研究要請に従うか、職を変えるべきである。 (坂元 昂、「若手研究者者における研究マインドの確立」1996年、学術月報 vol.49 No4 p451-454

別においらは必ずしもこの文章の主旨に殊勝にも賛同していたわけではない。でもすごい正論だよね。それがうれしくてずっと手元においといた。そして、今もある。なにより、その時は、それが不満ならば、自分の能力一つで社会にたち向かえばよい。という挑発に非常に反応したのだ。ポスドク任期切れの断末魔におかれ、税金使ってるパーマネントの奴らがどれだけのことをやっているんだ!と憤激した。”故郷の業界”から袖にされた現実の前で、やはりアタマおかしいおいらは、「"自ら恃むところ頗る厚い"」ので、すがりつくのも癪であり、未練がましくもあるので、次のようにすることにした;

それが不満ならば、自分の能力一つで社会にたち向かえばよい。 そうですか!それでは自分の能力一つで社会に立ち向かってみせましょう!と決意したのだ。

それはちょうど、親の叱責を平静な心で耐えることのできない少年や青年たちが、逃避して軍隊にはいり、家庭的にはいり、家庭的な幸福や父親の忠告より戦争 の苦難や暴力の権力を選んで、ただ両親に復讐したいがためにどんな労苦も甘んじて受けるのにも似ている。(スピノザ、『エチカ』)

これが、Across a Death Valley with Distillated Resentment の縁起である。その底の浅さには、ずぶんでも驚く。

■失業して半年くらいはメーカーを中心として普通の日本の会社に就職活動をした。50くらい応募したが、書類選考以前でだめ。略式の履歴書の選考ではねられた。本式の履歴書を見てくれたのは外資の3社のみ。今だから言うと、サムソンと名前忘れた台湾の会社とオランダのフィリップス。面接まで行ったのはフィリップスだけ。結局落ちた。


from 博士の異常な卒業 または私は如何にして心配するのを止めて就職活動をするようになったか   [現在リンク切れ]

▼で、失業後半年の就職活動の結果をうけて、「普通の日本の会社に就職」できないと気付く。2001年の9.11テロ事件はそんな時の事件だった。"故郷の業界"からばかりではなく、産業技術界からも「いらない人間です」と判断されたのだ。失業後半年のこの就職活動中はそんなに上記の「戦争の苦難や暴力の権力を選んで、ただ両親に復讐したいがためにどんな労苦も甘んじて受ける」という気持ちは強くなかった。でも、これだけ該当世間に袖にされると、自分の能力一つで社会にたち向かえばよいという憤然たる気概が湧いてきて、戦争の苦難や暴力の権力を選んで、ただ両親に復讐したいがためにどんな労苦も甘んじて受けるということになってきた。

●秋からは日雇いにでることにした。文字通りの「皿洗い」をやった。一生、「皿洗い」をやって生きていこうと思った。でも、よわっちぃおいらにはできなかった。

2001年の暮れの頃、人材募集情報で「ベンチャー」の会社を見つけ、応募した。2002年4月から働くことになった。日本で「ベンチャー」といえば当然(?)ブラックである。ちなみに、このあと今に至るまで、バイト先はずーっとブラック企業である。それも超ブラック企業だ。今のバイト先のブラック企業はここ1年に、ニュースのトップに来る不祥事を2件もやっている。そして、2002年から働いた「ベンチャー」の会社/親会社は、極超ブラック企業。政府を巻き込み、社長が辞任する不祥事で有名。でも、これら超ブラック企業は、「人をひとり殺せば殺人者だが、戦場で数千人殺せば英雄だ」といわんばかりに、ぬっぽんに君臨している。 (もっとも、D・フリードマンによれば、「国家」は社会で最大の犯罪者集団である、とのことなので、やはり食税研究者さまが一番のブラックということだ。うらやますぃ。)

このブラック・ベンチャーこそ、今に至るまでおいらに、戦争の苦難や暴力の権力を選んで、ただ両親に復讐したいがためにどんな労苦も甘んじて受けるという機会を与えてくれているのだ。 Living well is the best revenge. 思いもしなかったのがIndian serviceで、タージマハルに行けた(愚記事;憧れのタージマハル)。そういえば、9.11テロの3年後のワシントンも行った。ワシントンは3~4泊したなぁ。結構、歩いた。

 愚記事;ワシントン散歩⑧:北米出張30

■復讐の方法、あるいは、Living well is the best revenge.

復讐/報復の方法の選択は重要だ。米国は9.11で被害を受けた上、イスラムにこういう復讐をしたので、将来も安心して枕を高くして眠れないだろう。

やはり、復讐/報復の方法の選択は重要だ。

■リンク;

ブラック企業でもブラック研究室よりはマシ


関連愚記事;  この「子」の50のお祝いに、あるいは、死んだ子の年を数える。 

 


無駄な公共事業としての肥大化した大学院教育;子供だましのぼけ と 文部科学省大臣官房付のつっこみ

2011年09月06日 20時30分27秒 | ぐち

■序;


http://twitter.com/#!/yum_labo/status/109925131907899392  現在リンク切れ

ぼけ;

日本化学会というのがあって(おいらは関係ない)、その雑誌のネット上で公開されている記事より;

学生諸君,大学院は将来への投資だ! by 菅 裕明 東京大学大学院理学系研究科化学専攻 教授  

5 月と7 月に,私は米国東海岸と西海岸にそれぞれ研究所を構えるバイオテクノロジー企業2 社を訪れる機会をもった。両企業とも,すでに上市済みあるいは上市間近の薬剤開発に成功し,創立当初のベンチャー企業名を保持したまま大手グローバル製薬企業に買収された企業だ。したがって,実質的にはその製薬企業の傘下である専門技術分野に特化した研究所的な立場となっている。この訪問の際に,合成化学者,生化学者,細胞生物学者からなる若い所属研究者たちと私はラウンドテーブル・ディスカッションの機会をもった。そのときの彼らが発する質問やR&D(Research &Development,研究開発)議論は,非常に高度でアカデミック的な議論もあれば,極めて実践的な議論もあり,彼らの高い知識とパイオニア精神,そして建設的なアグレッシブさが感じられるものだった。国内化学・製薬企業への訪問でも,私は似たような機会をもつことは多々あるが,明らかに「空気」が違う。自らの好奇心に裏打ちされた自由な議論という刺激的な「空気」が異なるのだ。
 アメリカ人と日本人の人種的な違いだ,と簡単には片付けられない。事実,私が訪れたベンチャー企業には様々な人種の研究者がいる。決定的に違うのは,米国の研究者は全員,博士学位(Ph.D.)をもっていることだ。そして,自らの学位に誇りをもち,お互いが同じ立場で切磋琢磨し,かつ同じベクトルをもって共同研究をしていることだろう。それが,前述の「空気」へと反映している。本誌の読者である日本化学会に所属する学生諸君に知っていただきたいのは,欧米企業のいわゆる研究者の大半は博士学位をもつ事実である。一方,日本の企業では,修士学位と博士学位をもつ研究者が混在している。また,博士学位をもつ研究者の中には,修士学位取得後に企業での研究で論文博士学位を受けた研究者も多い。

という冒頭で始まる。出だしはおもいしろいのではあるが、続く論旨は支離滅裂である。この冒頭の印象を証明したのであれば、①日本企業において博士だけの研究現場で米国とおなじ高い知識とパイオニア精神,そして建設的なアグレッシブさが感じられる、あるいは②日本で博士号を取った日本人研究者が米国など海外において、非常に高度でアカデミックで,極めて実践的で,高い知識とパイオニア精神,そして建設的なアグレッシブさを発揮しているのを見たということなどなどを示さないと、ただの経験による、ためにする、印象論である。

そして、ためにする、というのはこの「学生諸君,大学院は将来への投資だ!」の主旨に他ならない。

さらには、実は印象論よりももっとタチが悪い。菅 裕明センセは、日本の大学院教育を経て産業界で働いている博士が、必ずしも「高い知識とパイオニア精神,そして建設的なアグレッシブさ」をもって研究できていないことを、わかっているのだ。

肥大化した大学院を維持するために。日本の大学の化学業界全体の動きなのかは知らないが、化学の博士大学院教育はアカデミズムのための人材育成だけではなく、産業界でも役立つ人材を供給する方針らしい。その理由をおいらが邪推するに、アカデミズムのための人材育成だけでは大学院の定員を減らさなければいけない。しかし、せっかく大学院教授さまに「三流」大学を含めみんながなったのに、それは許せない。だから、アカデミズムのための人材育成だけではなく、産業界でも役立つ人材を供給する方針にしたのだろう。

一方、産業界からは、日本の博士つかえねぇ~という声は根強い;
○中江委員 (住友化学株式会社 取締役 常務執行役員)
・資料3-2の5)に「博士課程にコースわけを設けるか?」と書いてありますが、これは私から見ると、ちょっと行き過ぎではないか。むしろ今までの修士あるいは博士課程で基礎的な、まさに2)に書いてあるようなことを鍛練するのではなくて、言葉は悪いですけれども、ペーパーを出すための即戦力として最先端の研究だけやらせていることは、産業界に入ってきていただいても役には立たないし、学者の世界で本当に役に立つのかどうか知りませんけれども、そこが問題だというのが皆さんから出ていた意見ではなかったか。ですから、コース分けというのは、ちょっと行き過ぎではないか。
 (愚記事

でも、菅 裕明センセは、建設的だ。
しかし,冒頭の米国ベンチャー企業で垣間みたように,パイオニア精神をもち,アグレッシブな研究開発を企業で推進する力は,博士課程で十分なトレーニングを受けた研究者から生まれ得る可能性が高いのも事実だ。今,日本の大学院に問われていることは,「優秀な学生」が将来のキャリアパスに希望をもって博士課程に進学し,適切なトレーニングを受ける環境にできるか,である。そのためには,博士課程でのトレーニング(教育カリキュラムと研究)が学生にとって魅力あるものでなければならない。

へぇ~。でも、そんなパイオニア精神をもち,アグレッシブな研究開発を企業で推進する力をトレーニングする大学院教育が日本のどこにある? 

death valleyで死にそうなおいらは、受けてみたいや、そんなトレーニング。

なにより、誰がそんなトレーニングをするのかな?税金でのんべんだらりんとプラモデル作って給料もらっているのと一緒なんだもんという優雅な雲上人さまがdeath valleyの処世を御指導か。すごいな、無駄な公共事業としての肥大化した大学院教育。

事実、菅 裕明センセは言っている、「そのためには,博士課程でのトレーニング(教育カリキュラムと研究)が学生にとって魅力あるものでなければならない」 と理想形を語っているにすぎないのである。そんな大学院は日本にはないのだ。ないのに、学生に進学しろと勧める。それで、学生本人がリスクを取れ!だって。

■でもさ、菅 裕明センセがドクターをとったMITは教授でコンサルタントなんてあたりまえ。中には従業員が数万人のメーカーの技術取り締まり役だったりする。日本では、そんな教授さまはいない。いい悪い以前に制度や、もっといえば文明が違う。日本で大学が産業界を"指導"するなんて実績や伝統はないに違いない。

菅 裕明センセは志が高い。ぬっぽんもアメリカのようにやればうまくいくはずだ。なによりそうすべきである。アメリカ流をそのまま持ち込もうとする菅 裕明センセ。代表作が、『切磋琢磨するアメリカの科学者たち―米国アカデミアと競争的資金の申請・審査の全貌』(Amazon)。

愚ブログが再三指摘している、 「一方、おいらは以前から、書いている。その成因を無視した文明・文明を安易にパクッて、ぬっぽん列島で安直に使うと悲劇るって。」に他ならない。

もし、菅 裕明センセの高い志を日本の学生に実践してもらいたいなら、「日本の学生よ!米国で博士号を取って、高い知識とパイオニア精神,そして建設的なアグレッシブさを身につけよう!僕みたいに。 日本じゃ無理だから」と言えばいいのだ。そうすれば、すっきりする。そして、無駄な公共事業としての肥大化した日本の大学院教育はリストラだ。

・さて、リスク計算をした上でリスクを取る!と豪語なさる菅 裕明 東京大学大学院理学系研究科化学専攻 教授さま。共同研究や共著のリスクもさぞかし計算なさっていたのでしょう。どんなリスク計算をしたのか、教えてほしい。 ちなみに、御自身のweb siteの著作欄から消えてい⇒http://www.cbl.rcast.u-tokyo.ac.jp/member/Suga.html 現在リンク切れ (著書・「切磋琢磨するアメリカの科学者たち」菅裕明 共立出版 2004・「科学者って何だ」梶雅範(編・著)菅裕明(著)他 丸善出版 2007) の2冊のみ記載。多比良和誠センセとの著作は削除。 

 ↓ 多比良和誠ととの共著を「抹殺」している菅 裕明 東京大学大学院理学系研究科化学専攻 教授さま


化学と生物学の接点がつくるNewバイオテクノロジー (Amazon

▼なお、菅 裕明センセはネット悪玉論者である。ドクターコースに学生が進学しないのは、ネット情報のせいだ!と愚痴っている。

しかし,現在では,博士修了後にアカデミアに就ける可能性が低いことに対する不安(実際は昔もその可能性は低かったのであるが,それがインターネット等で議論されるため学生の不安を煽る結果となっている),またアカデミア研究者への「あこがれ」が希薄になり「優秀な学生」が博士課程に進学することが減った。大学の授業料は高騰し,学生生活を支援する親の負担も増えてしまったため,修士大学院生は博士課程進学を躊躇する。さらに拍車をかけるのが,博士学位者の就職難,ポスドク問題といったネットで氾濫するネガティブな情報だ。これでは,優秀な学生が博士課程に進学しなくなるのもいたしかたないことだろう。

そうだ!そうだ! 若き前途ある学生の諸君!こんな崩れのブログなんかみてちゃだめだぞ! 志を高くがんばるのだ!

・この記事の英語題が、To all students: Graduate school is an investment in the future!だ。
To all students: Graduate school is an investment for the future! の方がいいだろう。 あるいは、an investment for your future!の方がもっとよくないか?

つっこみ; 一方、政府内部から次のような大学院重点化の総括がある。

福田光宏(履歴)  第6回 教育における需要と供給のミスマッチ(その1)

名取研二氏は「工学系の博士課程教育を考える」で「企業に長く在職して時には新人の採用に関わった身として、企業側から見た思い……の一端を述べてみよう。……博士を採用すると、将来の幹部候補となる優秀な人材として社内の期待が集まる。いきおい、同一年齢層(というより、学部レベルに変換された採用年度で分類されるが)で比較される。すでに社内で数年の実務経験のある学部・修士卒生はそろそろ一人前に成長してきているとき、3年遅れで入社した博士卒は、多くの場合大学で携わってきた仕事と異質の業務内容を前にして、当面は成果の見えない苦闘を強いられることとなる。博士の学位を給与面で特に優遇していない場合が多いが、このような場合でも、同じような賃金を払っていて片や業務に着実な成果が出て、片やほとんど成果がないという対比はどうしても目立つことになる。……やがて多くの優秀な博士卒生たちも仕事を覚えて一人前に育っていく。しかし、大学で自分の研究分野に打ち込み博士卒の年齢層に達した一部の人たちは、フレキシビリティが少なくなっていて新しい異質の分野への転換・能力発揮がうまく図れないケースがある。……うまくいかなければ、本人にとっても、また会社にとっても大きな不幸である。……博士卒の採用はリスクがあるとの印象が後に残る。……社内で年次を重ねていき、博士卒採用組が優れれば「さすがやっぱり博士」と見られるが、それで普通と判断される。生え抜き組が優れれば「何だ、博士もたいしたことはない。学部・修士卒で充分ではないか」と、博士採用が敬遠されかねない。博士卒採用が特別な目で見られる状況は、少数の例外的な採用であることと関係している」と指摘している。

 


ラストオーサーは私に; Science のはやぶさ試料6論文を読んだょ

2011年08月30日 19時25分20秒 | ぐち

■週末、Scienceの惑星探査機「はやぶさ」が回収してきた試料を解析した結果の6論文を読んだょ。
 Hot Topic: Hayabusa—Dust from Itokawa

これまで、さんざん、はやぶさプロジェクトについて愚痴を言ってきた。これは、別に、正しいことを語るというものはなく、ただただおいらの、ねたみ・ひがみ・そねみに基づくルサンチマンの発散に他ならない;

試料採取目的惑星探査機『はやぶさ』の残念について

塵(ちり)で筑波山がわかるのか?イトカワって筑波山より小さいのね、知らなかったわ。

「現場はぎりぎりのところで一生懸命がんばっている」けど、紛失しちゃった!   

セシウムで汚れちまった梅を干す、そして、「宇宙村」の滅亡を希求する。

●6論文読んだけど、基本的認識は変わらず。

なんのことはない、普通コンドライトはS型小惑星から来たってことを直接示したということなんだろうけど...。あんな研究費かけてやることかね?

ただ、イトカワはやせ細って、そのうち消える!にはびっくりした。この結果は、直接サンプリングじゃないとわからなかったことだろう。

いずれにせよ、「太陽系の起源とその後の惑星進化を明らかにすることに寄与するという目標」にはそんなに貢献していないと、おいらは思う。

でも、このScienceの特集に結果を出した研究者たちは、相対的には、偉いよね。なぜなら、報道によれば、ここに出てきていない研究者にもはやぶさの試料が渡っているはずだから。別に、このScienceの特集に出す必要もないのだけれど、結果出せないとなると、それこそ、そんな研究費かけてやることかね?といいつのりたくなる。

■Scienceの6論文+第3者(?)によるopening remark [6論文の概略紹介]に関するメモ;

0. opening remark  Krot

水/水素を含んだ鉱物が今回見つからなかった。これじゃ地球の水の起源が分からないよ。やはり、揮発性成分のありそうな小惑星を探査しなくちゃね。やっぱ、はやぶさ2号だ!


1.Nakamura 論文 

はやぶさの回収してきた1500に及ぶ塵の中に、鉱物的考察ができる鉱物群(mineral assemblage)を見つけたよ。それらは密着していたょ(thermally anealing)。鉱物組成からLLコンドライトだったょ。そして、鉱物組成を地質学的温度計に適用すると、最高の平衡温度が800℃くらいだったょ。イトカワは今はちっぽけだけど、一時期は20kmに及ぶ岩体だったのさ。そう想定しないと、鉱物どうしが密着した状態とその鉱物の組成が示す800℃を経験したことを説明できないょ。さらに電子顕微鏡でみると、鉱物にディスロケーションがあったんだ。衝撃の痕跡だょ。一時期は20kmに及ぶ岩体にも、ある日ある時あるきっかけで衝突がおきたたんだょ。


2.Yurimoto 論文 

鉱物の酸素同位体を測ったょ。酸素って鉱物の中で一番多い元素なんだ。そして酸素には同位体があるんだょ。その同位体の比率が"指紋"みたいなものさ。あまたある鉱物の出身を分類するのに重要な指標なんだ。"指紋"というより"お国訛り"って言った方がいいかな。とにかく、"お里"がわかるのさ。イトカワの塵を分析したさ。そしたら、やっぱりL~LLコンドライトだったよ。酸素同位体でも温度を推定したょ。600-700℃だったのさ。

3.Ebihara 論文  

金属の元素分析でも"お里"が知れるのさ。イトカワの塵にはイリジウムが相対的に少なかったんだょ。イリジウムが少ない環境でイトカワの塵はできたんだ。その環境ってのはイリジウムみたいな元素が少ない、のこりかすが多いところだったのさ。

4.Noguchi 論文   

イトカワの起源のことじゃないんだ。今のイトカワの塵のおかれた過酷な環境について。太陽風など宇宙空間を吹き荒れる"風"でイトカワの塵は毎日ダメジを受けている。そして塵の表面が変化しているんだ。この変わっちまった表面のことを考慮いれた上で、遠くから小惑星を観察した結果(スペクトル解析)を検討しないと、ダメなんだ。その風化を回収試料の中に電子顕微鏡観察で直接見つけたょ。

5.Tsuchiyama論文

イトカワの塵の形状を観察、測定したょ。イトカワには溶融した証拠は見当たらなかったょ。1.Nakamura 論文 の結果(イトカワは800℃くらいになった)と重ね合わせると、800℃と融点の間の熱状態にイトカワはあったんだょ。今回のサンプリングで一番の問題である、回収した試料のバイアスについても考えたんだ。


6.Nagao論文

太陽風など宇宙空間を吹き荒れる"風"を受けたイトカワの塵の(希)ガスの同位体組成を測定したょ。そうしたら、びっくり。イトカワの表面には古い塵が無いんだょ。古い塵はみんな表面から次々離れてしまった。つまり、イトカワは日に日に痩せて行っているんだょ。このままじゃ、1~10億年で消えちまうのさ。

あばよ!

Save the last dance for me (邦題:ラストダンスは私に) - The Drifters


スピノザ、 意志の自由、 ルサンチマン

2011年08月16日 10時37分31秒 | ぐち


  アムステルダムにて

― Amsterdam; スピノザや彼が読みこんだデカルトが暮らした街。今でも居住者の半分が単身者。―

■思いて学ばざればすなわちうし; おいらのことだよ。

16歳の時、誰かに直接教わるわけでもなかったのに、気付いた。というか思い込んだ。自由意志は無い。

思いついた内容は、「ラプラスの悪魔 google」とよばれる問題。もちろん当時はラプラスの悪魔なんて言葉も知らない。ようするに決定論の問題。この思いつきは強烈で、精神の"自家中毒"(じかちゅうどく、現在廃名)を激烈に引き起こした。

すなわち、この世の現象はすべて自然法則に則ったものだ。物質でしかない人間も、ただ自然法則の展開である。未来はすべて決定されているのである。そこに何の人間の努力して関与する余地があるのか!ということだ。つまりは、生きる意味なんぞあるのか、という問題(←こう飛躍するのも、おバカだったんだろうけど; 思いて学ばざればすなわちうし)。

今でも2ちゃんねるの哲学板に行くと、残念ながらおいらは読まないのだが、◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない185◆と、何と185順目の堂々巡り。おそらく、「中二病」の典型症状なのだろう。

その決定論 google、自由意志 google 問題は哲学的問題なのだから、しかるべき人や制度の恩恵にあずかって、「学んで」いればどうにかなったのかもしれない。でも、元来「思いて学ばざる」ことがおいらの本性なので、危ういまま、今に至っている。

意志の自由なんてものは無いという思いつきと思いこみによる激烈な精神の自家中毒に罹っていた時、きっかけは覚えてないが、自由意思なんて無いとスピノザという人が言っていると知った。岩波文庫の『エチカ』を買った。上下巻で1000円くらい。だから、買えた。値段は安いが、読んでも全然ピンとこない。今思うと、全然読めてない。数年後、工藤喜作の『スピノザ』を買った。今思うと5%くらいしか読めてない。読んでピンときた記憶がない。

その3冊が四半世紀前においらが持っていたスピノザ関連本の全てであった。

■ところで、今、「スピノザ」でブログ検索すると;

例えば、現在も、3日前にこんなブログ記事が書かれている; ス ピノザの肯定哲学とは要するに、 この世の全ては所詮物質的な作用の連続であり、超自然的なものなんて一つも存在しない。 それは人間の精神も例外ではな く、自由意思なんてものは端からありはしない。   スピノザ哲学を用いて考えると、殺人を犯した者にも罪はないことになります。  ブログ:「僕と世界と日常と」

ん~、やはり若年性スピノザ病ってのが、世代を超えて、あるらしい。

一方、ひどくシュールなのがこれ⇒ブログ「暇人新社会人のスピノザのブログ。」 以上初のブログ記事でした/今後ブログ 書くこともないなー、だって。このひと記事でブログ終了宣言。なんなんだ!?スピノザ。コンパクトな文章でオマージュを捧げているのだろうか? それにしては、Q.E.D.がなかった。

■去年、四半世紀前の愚蔵書を引き取り、開封。御丁寧に棚に並べた。そして3.11の崩壊。かたづけに伴う、再読。

■ここ最近、アムステルダムに行くこともあり、最近買ったスピノザ関連本のページを繰ってみた;

そうしたら、ずぶんを見つけたよ。最近3回目だ。(1回目。 2回目。)

圧政者はそれを成功させるためにひとびとの心の悲しみを必要とし、悲しみに心をとらえられたひとびとはそれを助成しその輪を広げるために圧政者を必要とする。いずれにしても、この両者を結びつけているのは生に対する憎しみ[嫌悪]、生に対する怨念(ルサンチマン)の念なのである。『エチカ』には、あらゆる幸福がその眼には侮辱としてうつり、ただひたすらみじめさや無力感をおのれの情念として生きている怨念の人の肖像が描かれている。「人の心を励まして強めるどころか、それを打ちくじく術に長けたこうしたひとびとは〔他のひとびとにとって不快なだけでなく〕自分でも自分がいやでならないのだ。そういうわけで、多くの者たちが〔性急さや誤った宗教熱から〕人間のあいだより獣たちのあいだで生きる道を選んだのである。それはちょうど、親の叱責を平静な心で耐えることのできない少年や青年たちが、逃避して軍隊にはいり、家庭的にはいり、家庭的な幸福や父親の忠告より戦争の苦難や暴力の権力を選んで、ただ両親に復讐したいがためにどんな労苦も甘んじて受けるのにも似ている」。 
 G.ドゥル―ズ、『スピノザ-実践の哲学-』(鈴木雅大訳)。

赤字部分は、スピノザ・『エチカ』からの引用。

うーん

それはちょうど、親の叱責を平静な心で耐えることのできない少年や青年たちが、逃避して軍隊にはいり、家庭的にはいり、家庭的な幸福や父親の忠告より戦争の苦難や暴力の権力を選んで、ただ両親に復讐したいがためにどんな労苦も甘んじて受けるのにも似ている」。

「ただ両親に復讐したいがためにどんな労苦も甘んじて受ける」って、愚ブログの本義"Across a Death Valley with Distillated Resentment "だっちゃ。今日もおいらは、死の谷で、『役に立つこと』、『お金になること』のためにがんばっている(愚記事;・役に立つこと ・お金になること ・職にありつけること)。 Across a death valley is the best revenge!

もっとも、おいらは逃避したとは思ってない。追放(=破門)されたんだよ。この点、スピノザさまと暗に共鳴している!?

なにより、つっこみたいのが、生涯独身者であったスピノザさまの「家庭的な幸福や父親の忠告」問題である。

ca.450年前、アムステルダムの運河のほとりで"考える人"であったスピノザさま@ユダヤ人社会から破門・追放。

本当は、おまいもルサンチマンに燃えていたんだ.....(これ以上はいえない)。

21世紀でも、お見かけできてよかった。

 

 


バブルのあとさき; 佐藤文隆、『職業としての科学』

2011年01月30日 18時05分24秒 | ぐち

―科学技術や高等教育の業界の外ではあまり認識されていなかったようだが、日本では一九九五年に「科学技術基本法」という法律が成立し、一九九六年以降、五年ごとに「科学技術基本計画」という財政支出の目標金額を掲げた振興策を定め、科学技術関連予算の増額を図ってきた。科学技術基本法は議員立法であった(中略)。この政策の推進者は通産官僚上がりの自民党代議士(当時)尾身幸次であり、震源地をただせば一九八〇年代の日米貿易摩擦や冷戦崩壊後を見据えたアメリカの科学技術政策の変更であった。― 佐藤文隆『職業としての科学』


-A day in my life across the death valley. 足軽雑兵がみた総大将、2006年-


―バブルのあとさき―
『科学と幸福』初版1995年 (Amazon
(ポスドク1万人計画 1996年~2000年、wiki)
『職業としての科学』2011年 (Amazon

三十前で『科学と幸福』を読んでいた頃、まさか、四十過ぎて、death valleyでバイトしているとは思わなかった。上記尾身センセを目撃した時はすでに「業界」からは足を洗って、death valley稼業に励んでいた。「役に立つ」ものを作って「お金」に変えなければならない。その「役に立つ」ものの展示会という場で潜在顧客に宣伝する。その展示会に律儀にも科学技術利権グループのドンである尾身幸次センセが御出馬され、"謁兵"されたのだ。足軽でお調子者のおいらは自分の展示ブースをほっぽらかして、デジカメを撮りにいったのだ(その日の記録;成均館大学校に遭う。 )。

ところで、おいらは、四十過ぎて、death valleyでバイトしているとは思わなかったと書いた。尾身センセも、財務大臣までやったのに、選挙に落ちて引退することになるとは思ってもみなかったであろう。やはり、一寸先は闇なのだ。でも、安穏とした食税役人どもの高笑いが聞こえるのはひがみによる幻聴か?

以下、佐藤文隆、『職業としての科学』を読んでの思いつきメモ;

■『職業としての科学』って、ドイツ語に訳すとWissenschaft als Beruf。これはマックス・ウェーバーの『職業としての学問』と同じ、Wissenschaft als Berufとなる。つまりは、学問と科学の間を語りたいのであろうか?

― 言いわけめくが、訳語について一言だけ付言しておきたい。本書の標題にも出てくる Wissenshaft を拙訳ではその場に応じて「学」「学問」「科学」と訳し分けた。こうした基本的用語には同じ一つの訳語を当てるのが望ましいのであるが、ドイツ語の Wissenshaft が豊かな含蓄をもっているのに対して、日本語のこれらの言葉はそれぞれにかなり限られた意味とニュアンスをもっており、そのいずれかですべての場合を蔽うことがむずかしかったからである。―
フッサール、『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』の訳者・木田元による"解説"より  拙記事

1995年の『科学と幸福』の時からマックス・ヴェーバーの『職業としての学問』に言及している。

 道徳的響きの「学問する」に愛着を持つ私はマックス・ウエーバー著の『職業としての学問』なる表題が気になった。もしかしたら「学問は職業に就く知識だ」などといっているのではないだろうにね、と思ったからである。もちろんそんなことはなく学問と人生の価値観に一定の距離を置くこと、人間が学問に呑みこまれないようにすること、などを呼びかけているのだと読んだ。科学者について当てはめれば私はこれは、「坊主か?職人か?」という問いかけと読んでいる。  佐藤文隆、『科学と幸福』

「坊主か?職人か?」という意味は、坊主とは世俗の知識でない聖なる真理の探究者の象徴であり、職人とは文字通り生活で役に立つ技術を発揮する人の象徴である。

「坊主でもなく、職人でもなし」;

食税研究者サマの少なからずは「坊主でもなく、職人でもなし」という皆みなさまである。お貴族サマなので、坊主でもなく、職人でもないというのは、当然と言えば当然なんですが。

科学技術立国の政策理念を利用(悪用)して、何の役にもたたない技術、実現する目途がない技術、できたらそりゃすばらしいが絵空事の技術に政府予算を注いでいる。さらには、目標が何だかわからないというのまであって、驚愕ではある。

佐藤をして『職業としての科学』を書かせたのは、1996年の『科学と幸福』以来の中長期的日本科学技術ウオッチングばかりではなく、去年の事業仕分けの衝撃に違いない(愚記事;①宇野弘蔵と蓮舫、②やはり、陶酔権干犯問題だった。 )。そして、いわゆる過剰博士問題も動機のひとつだろう。

リスキーな職業選択業界の信用度悪化という項目で言及している。

 ところが現実には、研究者の増加に見合う安定的ポストは増えずに、任期付きの流動的研究員の増加や時限付きの組織の数が急増したのである。数少ない上位のポストを目指す競争の期間が長期化して、過労ともいえる状態を甘受する事態が蔓延している。(中略)
 こうした事態が続けば、まさに科学研究という業界の世間からの信用度はがた落ちとなるでしょう。賢明な親は子弟のこんなリスキーな職業選択に不安をもつだろう。 


■佐藤はこういう状況を考える参照枠(reference)として歴史を考える。あるいは、メタ科学。でも、科学の理念を考えるという方法は放棄している。理念ではなく歴史。事例研究か? たとえば、プランクVSマッハ、あるいは、クーンVSポパーという事例で、「坊主か?職人か?」、つまりは「何のための科学か?」を考える。

■でも、今の食税科学研究者は歴史意識なんてもっていない。佐藤は「生みだした思想なしでやっていける科学」と題した項で、広重徹を引いていう;

 広重徹は「二〇世紀の自然科学は、大局において思想なしでやっていける科学になっていた」のであり、「一九世紀のあいだに科学は、それを生みだした思想的なものをはなれ、どこでも誰にでも使うことのできる、道具的なものに変貌していった」し、またそうなることによって、科学は技術と結びつき、経済・政治・社会・文化のなかでメジャーな存在になったのである。

でも、生みだした思想は不要でも、いや不要だからこそ、維持費は必要だ。だから彼らはノーベル賞受賞者を先頭に「金出せ!、金出せ!」というのだ。

愚記事参照⇒歴史意識が希薄(=動物=スノビズムとしてのサイエンス⇒とにかく金出せ!⇒すなわち、鈴木宗男)。


■佐藤は長岡半太郎がなぜ日本人が科学?の問題に悩んだことを紹介。これだ⇒捏造の阪大

■佐藤文隆センセの現状認識のずれ。

佐藤文隆センセの現状認識ってどうなんだろう? 物理帝国が輝いていた時代の臣民として君臨していた佐藤センセは、現在が物帝が終焉したこと。バイオ帝国が隆盛していること。それへの過剰期待で法外な予算がつぎ込まれていること。つまり体系的理論が求められない分野が、予算の観点でみての科学の中心に踊りでているのだ。同様なことが材料科学についてもいえるかもしれない。両者の象徴としてiPS細胞と鉄系超電導を看板にJSTが予算確保のプロパガンダを行っていることは周知。くりかえすと、今の科学研究者は佐藤文隆センセの時代や分野の知的、理論的能力とは、良くも悪くも違うのだ。今のそういう分野の研究者の"夢"は一発当てること。頭つかうより金を使って、人海戦術でいきあたりばったり、絨毯爆撃的実験である。そして、実際に社会に役立つか?などいうことの目途なぞたってはいないのだ。そして、たぶん、そんなことに関心なぞないに違いない。もちろん、口先でおためごましは言いますが。実現しなくたって、何の責任もとらなくていいわけです。

つまり、坊主でもなく、職人でもないのだ。

だから、予算が必要なのです。

こういう現状を踏まえてのの本とは思えなかった。
↑まちがい、少し書いてあった。

著者は長く税金で楽しく研究をやってきたが、同業者には半分本気、半分冗談で、「これはお国のためであって、「面白いから」とか「楽しいから」などとは口が裂けてもいってはいけない」といっていた。
(略)
「仲間内の楽しみなら、税金で面倒をみられない」といわれることに気づき、「一〇〇年先には大いに役立つか可能性が・・・」などと心にもないことをいわざるをえないのである。











・役に立つこと ・お金になること ・職にありつけること

2011年01月23日 17時37分43秒 | ぐち

▼今夜もぐちだ。おいらはdeath valleyでがんばっている。「役に立つ」ものを作って「お金」に変えなければならない、バイトなのに。さもなければ、解散で失職である。

すなわち、・役に立つこと ・お金になること ・職にありつけることがすべてである。

▼ 『役に立つこと』、『お金になること』、『職にありつけること』ことがすべてではない。

いいなぁ、そんなこと考えられる人生。うらやましい。

でも、まるでニートじゃないか。お貴族さまもそうだけど。

いや、違うのだ。

『役に立つこと』、『お金になること』、『職にありつけること』ことがすべてではないことを"示し"(?)

そして、さらには、

"より崇高な価値やかけがいのないもの"に向けてがんばっている集団らしい。税金で。

大学。

やっぱり、そうだったのだ。バルク金属ガラスは崇高だったのだ。特に役にも立たず、金にもならず、巷の労働者のための職創出に貢献したわけでもない、バルク金属ガラス。

誰ですか!? 大学人の金とポストづくりには役に立ったと言ってるのは!

やっぱ、"お武家さま"いいよ。民百姓からふんだくったカネで研究道楽ができる。

■でも、こんな本をみると少しは、あぁ大学ってこういう人がでるんだなぁと思える。



この本は、今売れてる本のコーナーで、我らが猫猫センセの『母子寮前』の横に平積みされていた。買った。

■いい本です。人文学者を目指す若者向けの"自己啓発本"でしょうか?テンション高いです。

古典を読め!という人文学者修業には不可欠であたりまえのことを、正論なのに、主張することは実は大変なことなのです。傍からみていて。しばしば、大学教授群から出される読書案内/教養教科書がボコボコにされます。つまり、古典を読め!という人文学者の王道を導くのは案外 藝がいるのです。

それをやったのが、この、佐々木中(あたる)、『切りとれ、あの祈る手を -<本>と<革命>をめぐる五つの夜話』。

本の後半では、「文学の擁護」が熱く、怒りをもって語られています。ベタにならず「文学の擁護」をしなければいけなかった状況をお察しします。でも、"ベタ"とか言ってると、中(あたる)センセに叱られます。

■西洋文明(愚ブログでは毛唐文明)史における革命、ルターの宗教改革や12世紀革命(中世解釈者革命)には思想行為が不可欠であった。具体的には、ルターの宗教改革は聖書の読解・註釈が、12世紀革命(中世解釈者革命)は古代ローマ法の読解・註釈が引き金を引いたことが書かれている。

  『切りとれ、あの祈る手を』、本文から抜き書き;

 ・ルターはおかしいくらいに―「おかしくなるくらい」に―徹底的に聖書を読み込みます。

 ・本を読んでいるこの俺が狂っているのか、それともこの世界が狂っているのか。

 ・彼は読んだ。そして不意に気づいた。この世界の根拠であり準拠であるテクストに則していないのではないか、と。

 ・彼は言葉の人です。彼は、読み、彼は書いた。彼は翻訳し、彼は説教した。彼は歌い、彼は論争した。


12世紀革命(中世解釈者革命)は愚ブログで以前書いた・12世紀ルネッサンス、アリストテレス翻訳事情 、 ・ R.E. ルーベンスタイン、 『中世の覚醒』、小沢千重子 訳 の時代の話。イスラム経由のアラビア語アリストテレス文献翻訳の時代に、毛唐さんたちは古代ローマ法を発見。読解・註釈した。つまり、アリストテレスを"発見"し、古代ローマ法を"発見"し、来る膨張ヨーロッパの礎を築いた。

■勢いで読むと、人文大好き、読解・註釈大好き、読解・註釈で新しい思想、そして社会変革へ!と楽しい。勢いがいいが、ヨタも多い。それも魅力ということにしましょう。でも、冷静に考えると、なぜ日本人に必要か?という問題が生じる。西洋文明を普遍的とみなし同化する路線はどうよ!という愚ブログのいつものつっこみ。でも、佐々木中は答えています。彼は西洋文明を学ぶことは猿真似であることは否定していないようです。

神秘主義だ、神学だ、否定神学だ、などと言って悪口を言った気でいる人間の神経がね。そんなものは、単にヨーロッパ人の内輪揉めの罵倒語でしょう。連中が前の世代を乗り越えるための内ゲバの悪口じゃないですか。そんなことまでヨーロッパ人の猿真似をしなくてはならないのか。逆です。彼女ら彼らの偉大なる足跡を見据えるためにこそ、こうした卑屈さを踏み越えなくてはならないのです。頭を冷やしましょう。連中の自作自演に、もう付き合っていられないのですよ。そうした冷徹さをもってこそ、こうした死を賭けて読みまた書くということが、抵抗と革命を呼び寄せる遥かな前兆なのだとうことが明らかになる。これは話のはじめから繰り返している通りです。

連中呼ばわりしていますが、冷徹さをもって"死を賭けて読みまた書くということ"を猿真似しましょうといっています。なぜなんら、本文では「そんなことまでヨーロッパ人の猿真似」とあります。までです。猿真似すべきものもあるということです。

::思いつきメモ;

■著者の言いたいことのひとつ。自分と世界の区別がつかないのは幼稚なことだ。自分と世界の区別がつかない人間は、

こうして、「読めぬものを読む」という苦難とは逆の、「どうせ読めてしまうものしか読まない、読まなくても先刻承知だと高を括って読まない」という安逸が、死を、とめどない死を生みだすわけです。

となじられます。

■現在の日本の思想状況にも苦言です。そして、著者の生まれた頃の革命家の口吻で攻め立てます。

アガンベンごときの尻馬に乗って、終わりだ終末だ動物だなんて言っている人は世界にうようよいますが、少しは自分がどういう低劣で無惨で粗悪な思考の形態に媚びへつらっているのか、胸に手でもあてて考えてみたほうがいい。これは忠告です。今ならまだ間に合います―と言いたいところなんですが、どうもね。まあ彼らがナチスやオウム真理教のごとき惨禍を起こさないことだけを願いますよ。

事情はこちらの見巧者のブログ記事を;東浩紀界隈の動揺

■でもさ、ルターって元祖"反ユダヤ思想家"とされているんだけど。Google; ルター 反ユダヤ

■読んで・読み込んで"革命"って、日本でも例は多いよね。

本居宣長:::古事記
吉田松陰:::孟子
徳川家康:::吾妻鏡










自己批評が...

2011年01月18日 20時36分43秒 | ぐち




■猫猫センセ、残念でした;

次に、小谷野敦さんの『母子寮前』は非常にベタな私小説のスタイルで、末期がんの母親の看病という切実なテーマながら、自己批評が欠落しているのではないかと指摘があり、選に漏れた。

いまじゃ、トラックだって、自意識過剰自己批評ぶってるのだから、いらないんだよ、そんなもん。

●挟撃された猫猫センセ;

銀の文学スプーンを咥えて生まれてきた朝吹真理子、と中卒西村賢太のダブル受賞。挟撃された猫猫センセ! 上流階層とガチ庶民階層に挟み撃ちされる中産階級の猫猫センセ。中産階級の没落、あるいは、ハンパな中産階級を嫌悪するちょっと前のネオリベ的風潮の象徴か? 帯に短し(ロウアーミドル出身)、タスキに長し(東大博士)。半端なアカデミシャンで、半端な壮絶なる人生をもつ私小説作家という二重に半端な役割を担わされてしまった猫猫センセ! かわいそうに!

やはり、我利我利猫猫センセの戦略負け。

中卒・西村賢太;23歳のとき(貧乏作家@いか註)藤澤清造の作品と出会って共鳴して以来、清造の没後弟子を自称し、自費で朝日書林より刊行予定の藤澤清造全集(全5巻、別巻2)の個人編集を手掛けている。 wiki

東大博士・猫猫センセ; ●「自分、自分、自分」地獄。”当時はさまざまな悩みを抱えていた。恋愛の悩みや、自分が将来名を成せるか、学者として成功できるか、そして自分の書いた文章が評価されるかといった悩みである。” よく書けている。自分のことしか考えてないって。(愚評)
超大御所の評伝(『谷崎潤一郎伝―堂々たる人生』)で、....。超一流作家に"堂々たる"ぶらさがり。「自分が将来名を成せるか、学者として成功できるか、そして自分の書いた文章が評価されるか」ばっかり考えている。

▲追記; やはり、氾濫、坂東太郎。

愚評で、小谷野センセの"坂東太郎"的性質をご指摘申し上げたら、はや、氾濫。

坪内祐三の父親が犯罪容疑者であったらしいことを指摘。 いいぞ、もっと、"坂東太郎"! 暴れろ!

家康公がお出ましになって、東遷されるまでは。