醜聞;
公衆は醜聞を愛するものである。(中略)「わたしは有島氏ほど才子ではない。しかし有島氏よりも世間を知っている。」こう云った後、豚のように幸福に熟睡したであろう。
--芥川龍之介 「侏儒の言葉」--
最近はトーダイ→大蔵省出の大臣のおバカ発言を聞いて、「ちぇっ、バカな奴だ」と棄て台詞を吐けたので、豚のように幸福に熟睡するができている。 すこぶる快適。マンセー!
■今日は、暖冬の今年に褐を入れるがごとき、寒い日だった。でも、快晴。典型的な関東の冬空となった。この空快晴にして風寒しというのは、曇天の北国、あるいは「裏」日本で不快な冬を過ごせなければならなかった者にとっては「革命」的な経験である。
▲怨嗟の的
柳沢問題。この件で本当に憤っている人の声をラジオで聞いた。それは電話で一般人の意見を聞くものであり、福島瑞穂の営業用言説とは違い、まじ怒ってた。実はおいらはその憤りが些かなりとも理解できる。
<柳沢問題>というのはおいらの周りにもある。<柳沢問題>の重要で、かつだからこそ悪質な点というのは、<柳沢>的人間にはそれほど「悪意」がないことである。
でも、おいらは、<柳沢>的人間こそこの社会でもっとも害悪をなしているものだと思う。つまり、戦前生まれであり家庭や共同体では戦前流の生活意識を無意識、あるいは意識的に植え込まれる一方、ガッコでは建前としての戦後民主主義を教義として習得したことである。
柳沢自身東大法学部の出ある。そして大蔵省に入っている。ということは、あの「日本国憲法」、人権だの平和だのを唄っているとされる、の精神と実務的運営が出来るという建前で、東大法学部を出て、大蔵省で勤務していたはずである。
それがどうだい!? たいした人権意識、民主主主義の御精神である。 言ってることと、やっていることが正反対という人間が行うことは最悪の事態を招く。
■さて、女性、特に<「エリート」フェミ>が今回憤るというかと言えば、日本の慣習では女は<「エリート」職>などに就くべきでなく、そもそも目指すべきでもない。女は結婚して子どもを生め!と陽に陰に圧力をかけられ育ってきたことへの怨みである。
柳沢問題で憤る女性は、実は、<不運な「エリート」フェミ>も多い。<不運な「エリート」フェミ>とは、女は<「エリート」職>を目指すべきでなく、お兄ちゃんや弟と違って、<「エリート」職>を目指すことを陰に陽に断念させられた人々である。
女は今でも<2流の民>として扱われている。<1流の民>にあーしろ!こーしろ!といわれて、うんざりしているのである。
▲一方、<1流の民>問題であるが、おいらはある意味社会の<底辺>というか<周辺>の組織で「非正規」賃金労働者として働いている。<底辺>の話なので、これをもって日本主流を語ることもできないが...、現在日本のへたれの原因は日本では「エリート」が<ばか>だからだとおいらは思う。
<1流の民>があれこれ指示する。指示する団塊の世代以上の<旧帝大>(なぜ彼らがこういう言い方するのか謎。そんなに帝国が好きなのか?)出のおっさん方は、ばか、が多い。<柳沢的>ばかである。自分たちは、人を指示することが仕事と思っているが知識もなければ統率力もない。ただ、<旧帝大>出て有名会社に30年いましたというだけで、<2流の民>を こきつかうことしかできない。
彼らの知的能力の低さや倫理の低さの原因は、
1)多分学部出てからまともに勉強していなく、
2)彼らの世代の大学進学率から見て彼らは「エリート」なので、会社では高卒実務者が尻拭いをしていた。
3)高度成長期だったのでルーチンな仕事で、頭はともかく体を動かしていればよかった。
4)大卒一流企業社員を亭主にすることに至上の価値をもつ<専属淫売婦>にかしずかれ、ナルシズムが満たされ、男尊女卑、<ぼく指令する人・きみこきつかわる人>という実践イデオロギーを体感できていた。
などであろうと、おいらは睨んでいる。
そこで、勇敢にもけなげに こきつかわれている のは、<2流の民>である女性と非正規賃金労働者である。
●
働け! 子どもつくれ!
「やれやれ」である。
ということで、今夜も「エリート」を妬む愚民の怨みというそこの浅い動機の、このブログの本義に沿った、ものになってしまった。 おやすみなさい。
(なお、いつにもまして、カッコ続出になってしまったが、びみょうな問題なので、斟酌してくだされ。)
公衆は醜聞を愛するものである。(中略)「わたしは有島氏ほど才子ではない。しかし有島氏よりも世間を知っている。」こう云った後、豚のように幸福に熟睡したであろう。
--芥川龍之介 「侏儒の言葉」--
最近はトーダイ→大蔵省出の大臣のおバカ発言を聞いて、「ちぇっ、バカな奴だ」と棄て台詞を吐けたので、豚のように幸福に熟睡するができている。 すこぶる快適。マンセー!
■今日は、暖冬の今年に褐を入れるがごとき、寒い日だった。でも、快晴。典型的な関東の冬空となった。この空快晴にして風寒しというのは、曇天の北国、あるいは「裏」日本で不快な冬を過ごせなければならなかった者にとっては「革命」的な経験である。
▲怨嗟の的
柳沢問題。この件で本当に憤っている人の声をラジオで聞いた。それは電話で一般人の意見を聞くものであり、福島瑞穂の営業用言説とは違い、まじ怒ってた。実はおいらはその憤りが些かなりとも理解できる。
<柳沢問題>というのはおいらの周りにもある。<柳沢問題>の重要で、かつだからこそ悪質な点というのは、<柳沢>的人間にはそれほど「悪意」がないことである。
でも、おいらは、<柳沢>的人間こそこの社会でもっとも害悪をなしているものだと思う。つまり、戦前生まれであり家庭や共同体では戦前流の生活意識を無意識、あるいは意識的に植え込まれる一方、ガッコでは建前としての戦後民主主義を教義として習得したことである。
柳沢自身東大法学部の出ある。そして大蔵省に入っている。ということは、あの「日本国憲法」、人権だの平和だのを唄っているとされる、の精神と実務的運営が出来るという建前で、東大法学部を出て、大蔵省で勤務していたはずである。
それがどうだい!? たいした人権意識、民主主主義の御精神である。 言ってることと、やっていることが正反対という人間が行うことは最悪の事態を招く。
■さて、女性、特に<「エリート」フェミ>が今回憤るというかと言えば、日本の慣習では女は<「エリート」職>などに就くべきでなく、そもそも目指すべきでもない。女は結婚して子どもを生め!と陽に陰に圧力をかけられ育ってきたことへの怨みである。
柳沢問題で憤る女性は、実は、<不運な「エリート」フェミ>も多い。<不運な「エリート」フェミ>とは、女は<「エリート」職>を目指すべきでなく、お兄ちゃんや弟と違って、<「エリート」職>を目指すことを陰に陽に断念させられた人々である。
女は今でも<2流の民>として扱われている。<1流の民>にあーしろ!こーしろ!といわれて、うんざりしているのである。
▲一方、<1流の民>問題であるが、おいらはある意味社会の<底辺>というか<周辺>の組織で「非正規」賃金労働者として働いている。<底辺>の話なので、これをもって日本主流を語ることもできないが...、現在日本のへたれの原因は日本では「エリート」が<ばか>だからだとおいらは思う。
<1流の民>があれこれ指示する。指示する団塊の世代以上の<旧帝大>(なぜ彼らがこういう言い方するのか謎。そんなに帝国が好きなのか?)出のおっさん方は、ばか、が多い。<柳沢的>ばかである。自分たちは、人を指示することが仕事と思っているが知識もなければ統率力もない。ただ、<旧帝大>出て有名会社に30年いましたというだけで、<2流の民>を こきつかうことしかできない。
彼らの知的能力の低さや倫理の低さの原因は、
1)多分学部出てからまともに勉強していなく、
2)彼らの世代の大学進学率から見て彼らは「エリート」なので、会社では高卒実務者が尻拭いをしていた。
3)高度成長期だったのでルーチンな仕事で、頭はともかく体を動かしていればよかった。
4)大卒一流企業社員を亭主にすることに至上の価値をもつ<専属淫売婦>にかしずかれ、ナルシズムが満たされ、男尊女卑、<ぼく指令する人・きみこきつかわる人>という実践イデオロギーを体感できていた。
などであろうと、おいらは睨んでいる。
そこで、勇敢にもけなげに こきつかわれている のは、<2流の民>である女性と非正規賃金労働者である。
●
働け! 子どもつくれ!
「やれやれ」である。
ということで、今夜も「エリート」を妬む愚民の怨みというそこの浅い動機の、このブログの本義に沿った、ものになってしまった。 おやすみなさい。
(なお、いつにもまして、カッコ続出になってしまったが、びみょうな問題なので、斟酌してくだされ。)